宮本みやもと徳蔵とくぞう

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宮本みやもと 徳蔵とくぞう
誕生たんじょう 1930ねん2がつ18にち
三重みえけん伊勢いせ
死没しぼつ (2011-02-02) 2011ねん2がつ2にち(80さいぼつ
東京とうきょう新宿しんじゅく
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
教育きょういく 修士しゅうし文学ぶんがく
最終さいしゅう学歴がくれき 東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん人文じんぶん社会しゃかいけい研究けんきゅう修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう
活動かつどう期間きかん 1973ねん - 2011ねん
代表だいひょうさく力士りきし漂泊ひょうはく
とらほう
おも受賞じゅしょうれき 新潮しんちょう新人しんじんしょう(1975ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1987ねん
柴田しばた錬三郎れんざぶろうしょう(1991ねん
デビューさくろくじゅうろく
ウィキポータル 文学ぶんがく
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宮本みやもと 徳蔵とくぞう(みやもと とくぞう、1930ねん2がつ18にち - 2011ねん2がつ2にち[1])は、日本にっぽん小説しょうせつ

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

三重みえけん伊勢いせまれ。在日ざいにち朝鮮ちょうせんじんとしてうまれるがもなく日本人にっぽんじん夫婦ふうふ養子ようしとなる。東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶん卒業そつぎょうどう大学院だいがくいん修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう家業かぎょうぐが、1973ねん、「ろくじゅうろく」を『新潮しんちょう』に発表はっぴょうして小説しょうせつデビュー。1975ねん、「浮遊ふゆう」で新潮しんちょう新人しんじんしょう受賞じゅしょう、これを上京じょうきょうする。1987ねん随筆ずいひつ力士りきし漂泊ひょうはく』で読売よみうり文学ぶんがくしょう、1991ねん、『とらほう』で柴田しばた錬三郎れんざぶろうしょう受賞じゅしょう谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう敬愛けいあいし、相撲すもう歌舞伎かぶきものあいする。フランス文学ぶんがくにも造詣ぞうけいふかいのは当然とうぜんながら、たいへん遅咲おそざきの作家さっかである。仏文ふつぶん井上いのうえきわむ一郎いちろうから、淀野よどの隆三りゅうぞう研究けんきゅう深入ふかいりしたために作家さっかになりそこねたので、きみはそうならないようにとわれたという(『動詞どうしてき人生じんせい岩波書店いわなみしょてん)。

2011ねん2がつ2にち肺炎はいえんのため東京とうきょう新宿しんじゅく病院びょういん死去しきょ。80さいぼつ[1]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 力士りきし漂泊ひょうはく 相撲すもうアルケオロジー』(小沢おざわ書店しょてん、1985ねんちくま学芸がくげい文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ再刊さいかん))
  • 相撲すもう変幻へんげん』(スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、1990ねん
  • 河原かわはらはな歌舞伎かぶきのアルケオロジー』(小沢おざわ書店しょてん、1991ねん
  • とらほう』(新潮社しんちょうしゃ、1991ねん
  • 銀狐ぎんぎつねしょう』(新潮社しんちょうしゃ、1994ねん
  • ふゆおうぎ エッセイしゅう』(恒文社こうぶんしゃ、1994ねん
  • 『スペインさむらい』(新潮社しんちょうしゃ、1995ねん
  • やぶしろ仙女せんにょ』(集英社しゅうえいしゃ、1997ねん
  • 潤一郎じゅんいちろうごのみ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1999ねん
  • うみにじ』(新潮社しんちょうしゃ、2000ねん
  • べいしま』(集英社しゅうえいしゃ、2002ねん
  • 敵役かたきやく』(集英社しゅうえいしゃ、2004ねん
  • 『たべもの快楽かいらくじょう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2006ねん
  • 文豪ぶんごう食卓しょくたく』(白水しろみずしゃ、2010ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 宮本みやもと徳蔵とくぞう死去しきょ 作家さっか - 47NEWS(よんななニュース)[リンク]