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寺西てらにし重郎しげお

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寺西てらにし 重郎しげお
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1942-12-28) 1942ねん12月28にち
日本の旗 日本にっぽん広島ひろしまけん因島いんのしま
出身しゅっしんこう 一橋大学ひとつばしだいがく
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 経済けいざいがく
研究けんきゅう機関きかん 一橋大学ひとつばしだいがく
学位がくい  経済けいざいがく博士はかせ
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寺西てらにし 重郎しげお(てらにし じゅうろう、1942ねん12月28にち - )は、日本にっぽん経済けいざい学者がくしゃせんもん金融きんゆう一橋大学ひとつばしだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう日本学士院にほんがくしいんしょう受賞じゅしょう

概要がいよう

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広島ひろしまけん因島いんのしま土生はぶまちげん尾道おのみち因島いんのしま土生はぶまち)で、三和さんわドック創業そうぎょうしゃ寺西てらにしただしただし長男ちょうなんとしてまれる。兄弟きょうだい3にんとも広島ひろしま県立けんりつ因島いんのしま高等こうとう学校がっこうまな[1]一橋大学ひとつばしだいがく経済学部けいざいがくぶすすみ、1965ねん卒業そつぎょう。そのどう大学だいがく大学院だいがくいんまなび、1970ねん一橋大学ひとつばしだいがく大学院だいがくいん経済けいざいがく研究けんきゅう博士はかせ課程かてい退学たいがく

1970ねんより一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ専任せんにん講師こうしとなる。1976ねんから1978ねんまでイェール大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ。1983ねん学位がくい論文ろんぶん日本にっぽん経済けいざい発展はってん金融きんゆう』を一橋大学ひとつばしだいがく提出ていしゅつして経済けいざいがく博士はかせ学位がくい取得しゅとく[2]。1984ねんから一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ教授きょうじゅ。1985ねんから1986ねんまでオーストラリア国立こくりつ大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょちょう一橋大学ひとつばしだいがくふく学長がくちょう(2000ねん~2001ねん)。2006ねん一橋大学ひとつばしだいがく定年ていねん退官たいかんし、同学どうがく名誉めいよ教授きょうじゅとなった。そのも、2006ねんから2012ねんまで、日本にっぽん大学だいがく商学部しょうがくぶ商業しょうぎょう学科がっか教授きょうじゅとして教鞭きょうべんをとり、また日本にっぽん大学だいがく大学院だいがくいん商学しょうがく研究けんきゅう教授きょうじゅもつとめた。2008ねんには神戸大学こうべだいがく経済けいざい経営けいえい研究所けんきゅうじょ非常勤ひじょうきん講師こうし。2013ねんには日本にっぽん大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ。また、2015ねんから2020ねんまで一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ非常勤ひじょうきん研究けんきゅういん[3]

そのほかにも、大学だいがく評価ひょうか学位がくい授与じゅよ機構きこうとくにん教授きょうじゅ日本銀行にっぽんぎんこう金融きんゆう研究所けんきゅうじょ客員きゃくいん研究けんきゅういん東京大学とうきょうだいがく日本にっぽん経済けいざい国際こくさい共同きょうどう研究けんきゅうセンター運営うんえい諮問しもん会議かいぎ委員いいん文部もんぶ科学かがくしょう高等こうとう教育きょういくきょく科学かがくかん財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん経済けいざい研究所けんきゅうじょ理事りじをつとめた。

研究けんきゅう内容ないよう業績ぎょうせき

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坂本さかもと二郎じろうゼミ、篠原しのはらさんだいひらたゼミをて、藤野ふじの正三郎しょうざぶろう師事しじ[4]弟子でし武田たけだ浩一こういち法政大学ほうせいだいがく教授きょうじゅ)、三重野みえのぶんはれ京都きょうと大学だいがく教授きょうじゅ[5]北川きたがわひろし成蹊大学せいけいだいがく学長がくちょうとう[6]

受賞じゅしょう叙勲じょくん

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家族かぞく親族しんぞく

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著書ちょしょ

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  • 日本にっぽん経済けいざい発展はってん金融きんゆう岩波書店いわなみしょてん 一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究けんきゅう叢書そうしょ 1982
  • 工業こうぎょう金融きんゆうシステム』東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ 1991
  • 経済けいざい開発かいはつ途上とじょうこく債務さいむ東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい 1995
  • 日本にっぽん経済けいざいシステム』岩波書店いわなみしょてん 2003
  • 戦前せんぜん日本にっぽん金融きんゆうシステム』岩波書店いわなみしょてん 2011
  • 経済けいざい行動こうどう宗教しゅうきょう: 日本にっぽん経済けいざいシステムの誕生たんじょう』勁草書房しょぼう 2014
  • 日本にっぽんがた資本しほん主義しゅぎ』その精神せいしんみなもと 中央ちゅうおう新書しんしょ 2018

共編きょうへんちょ

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  • 国際こくさい金融きんゆう貿易ぼうえき講義こうぎ大山おおやま道広みちひろ共編きょうへん 東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ 統計とうけい研究けんきゅうかい叢書そうしょ 1989
  • 戦後せんご日本にっぽん経済けいざい改革かいかく 市場いちば政府せいふ香西こうざいやすし共編きょうへん 東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい 1993
  • Markets and Government : in Search of Better Coordination 尾高おだか煌之すけ共編きょうへん 丸善まるぜん,c1998.Economic research series
  • 転換期てんかんきひがしアジアと日本にっぽん企業きぎょう青木あおき昌彦まさひこきょう編著へんちょ 東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ 2000
  • 日本にっぽん金融きんゆう数量すうりょう分析ぶんせき藤野ふじの正三郎しょうざぶろう共著きょうちょ 東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ 2000
  • 『アジアのソーシャル・セーフティネット』一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ経済けいざい制度せいど研究けんきゅうセンターへん 責任せきにん編集へんしゅう 勁草書房しょぼう 2003
  • 『コーポレート・ガバナンスの経済けいざい分析ぶんせき 変革期へんかくき日本にっぽん金融きんゆう危機ききひがしアジア』花崎はなさき正晴まさはる共編きょうへん 東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい 2003
  • 『アジアの経済けいざい発展はってん金融きんゆうシステム』福田ふくだ慎一しんいち,奥田おくだ英信えいしん,三重野みえのぶんはれ共編きょうへん 東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ 2007-08
  • 『バブル/デフレ日本にっぽん経済けいざい経済けいざい政策せいさく 7 構造こうぞう問題もんだい規制きせい緩和かんわ内閣ないかく経済けいざい社会しゃかい総合そうごう研究所けんきゅうじょ企画きかく監修かんしゅう へん 慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい 2010
  • 『エコノミストの戦後せんご 日本にっぽん経済けいざい50ねんあゆみをかえる』小峰こみね隆夫たかお,岡崎おかざき哲二てつじ,松島まつしましげる,中村なかむら尚史ひさし,中林なかばやし真幸まさき,日本にっぽん経済けいざい研究けんきゅうセンター50ねん編纂へんさん委員いいんかい共編きょうへん 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ 2013

出典しゅってん

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  1. ^ 三和さんわドック 大型おおがたドックにつよみ 環境かんきょう規制きせい背景はいけい受注じゅちゅうみ」日本経済新聞にほんけいざいしんぶん2017/9/8
  2. ^ 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. “博士はかせ論文ろんぶん日本にっぽん経済けいざい発展はってん金融きんゆう”. 2023ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  3. ^ [1]
  4. ^ 日本にっぽん経済けいざい事始ことはじ一橋大学ひとつばしだいがく創立そうりつ150ねん準備じゅんびしつニューズレター
  5. ^ 昭和しょうわ44年度ねんど学位がくい授与じゅよ単位たんい修得しゅうとく論文ろんぶんいちきょう研究けんきゅう
  6. ^ 「1988年度ねんど博士はかせ課程かてい単位たんい修得しゅうとく論文ろんぶん修士しゅうし論文ろんぶん題目だいもくいちきょう研究けんきゅう
  7. ^ a b c d e 受賞じゅしょうれき”. 一橋大学ひとつばしだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ. 2018ねん10がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん3がつ9にち閲覧えつらん
  8. ^ 平成へいせい28ねんあき叙勲じょくん みずたからちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょうしゃ” (PDF). 内閣ないかく. p. 13 (2016ねん11月3にち). 2023ねん3がつ4にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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