寿ことぶきはら英太郎えいたろう

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寿ことぶきはら英太郎えいたろう
すはら えいたろう
生年月日せいねんがっぴ 1882ねん8がつ27にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 北海道ほっかいどう
ぼつ年月日ねんがっぴ (1957-06-17) 1957ねん6月17にち(74さいぼつ
出身しゅっしんこう 東京とうきょう高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこう卒業そつぎょう
げん一橋大学ひとつばしだいがく
ぜんしょく 小樽おたる商工しょうこう会議かいぎしょ議員ぎいん
所属しょぞく政党せいとう 立憲りっけん政友せいゆうかい

選挙せんきょ 北海道ほっかいどうだい1選挙せんきょ
当選とうせん回数かいすう 1かい
在任ざいにん期間きかん 1932ねん2がつ20日はつか - 1936ねん1がつ21にち

当選とうせん回数かいすう 1かい
在任ざいにん期間きかん 1947ねん4がつ2にち - 1951ねん4がつ6にち

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寿ことぶきはら 英太郎えいたろう(すはら えいたろう、1882ねん明治めいじ15ねん)8がつ27にち[1] - 1957ねん昭和しょうわ32ねん)6がつ17にち[2])は、大正たいしょうから昭和しょうわ前期ぜんき実業じつぎょう政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん小樽おたる市長しちょう

経歴けいれき[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう出身しゅっしん富山とやまけん出身しゅっしん寿ことぶきはら猪之吉いのきち長男ちょうなんとしてまれる[3]1906ねん明治めいじ39ねん東京とうきょう高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこうげん一橋大学ひとつばしだいがく)を卒業そつぎょう[2]小間物こまもの洋品ようひんしょうはじめ、1921ねん大正たいしょう10ねん寿ことぶきげん商事しょうじ設立せつりつ社長しゃちょう就任しゅうにん[3]。その共成きょうせい寿ことぶきげん産業さんぎょう北洋ほくよう無尽むじんかく社長しゃちょう小樽おたる商工しょうこう会議かいぎしょ議員ぎいん小樽おたるかい議員ぎいんなどをつとめた[2]

1932ねん昭和しょうわ7ねん)2がつだい18かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ北海道ほっかいどうだい1から立憲りっけん政友せいゆうかい公認こうにん出馬しゅつばして当選とうせん[4]衆議院しゅうぎいん議員ぎいんを1つとめた[2]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)4がつ公選こうせん初代しょだい小樽おたる市長しちょう就任しゅうにんし、1在任ざいにんして1951ねん昭和しょうわ26ねん)4がつ退任たいにん戦後せんご復興ふっこう尽力じんりょくし、1949ねん昭和しょうわ24ねん開港かいこうじゅうねん記念きねんみなとまつり」を開催かいさいした[5]

1956ねん昭和しょうわ31ねん小樽おたる博物館はくぶつかん開館かいかんするとおおくの蔵書ぞうしょ資料しりょう寄贈きぞうするなど、小樽おたる文化ぶんか振興しんこうにもくした[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだいろくじゅう八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1935ねん、33ぺーじ
  2. ^ a b c d 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』325ぺーじ
  3. ^ a b 人事じんじ興信録こうしんろく だい14はん じょう』ス9ぺーじ
  4. ^ 衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ一覧いちらん だい18かい』571ぺーじ
  5. ^ a b 日本にっぽん歴代れきだい市長しちょう だい1かん』62ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 衆議院しゅうぎいん事務じむきょくへん衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ一覧いちらん だい18かい衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1932ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい14はん じょう人事じんじ興信所こうしんじょ、1943ねん
  • 歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかいへん日本にっぽん歴代れきだい市長しちょう だい1かん歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかい、1983ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん