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小林こばやし達雄たつお

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小林こばやし 達雄たつお
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1937-11-02) 1937ねん11月2にち(86さい
日本の旗 日本にっぽん新潟にいがたけん長岡ながおか
出身しゅっしんこう 國學院大學こくがくいんだいがく
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 考古学こうこがく
研究けんきゅう機関きかん 國學院大學こくがくいんだいがく
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小林こばやし 達雄たつお(こばやし たつお、1937ねん11月2にち - )は、日本にっぽん考古こうこ学者がくしゃ國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ名誉めいよ教授きょうじゅ新潟にいがた県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん名誉めいよ館長かんちょう

経歴けいれき

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1937ねん新潟にいがたけん長岡ながおかまれ。新潟にいがた県立けんりつ長岡ながおか高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう。その國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶまなび、國學院大學こくがくいんだいがく大学院だいがくいん博士はかせ課程かてい満期まんき退学たいがく

東京とうきょう教育庁きょういくちょう文化ぶんかはいり、文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい調査官ちょうさかん転任てんにん。1978ねん調査官ちょうさかん退任たいにんし、國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅいた。1985ねん教授きょうじゅ昇格しょうかく。1994ねん学位がくい論文ろんぶん縄文じょうもん土器どき研究けんきゅう』を國學院大學こくがくいんだいがく提出ていしゅつして博士はかせごう取得しゅとく[1]。2008ねん國學院大學こくがくいんだいがく定年ていねん退任たいにんし、名誉めいよ教授きょうじゅとなった。2023ねんアメリカ芸術げいじゅつ科学かがくアカデミー会員かいいん選出せんしゅつされた[2]

役職やくしょく

著作ちょさく

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著書ちょしょ
共編きょうへんちょ
  • 日本にっぽん陶磁とうじ全集ぜんしゅう 3 土偶どぐう埴輪はにわ亀井かめい正道せいどう共編きょうへん 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1977
  • 日本にっぽん原始げんし美術びじゅつ大系たいけいI 縄文じょうもん土器どき講談社こうだんしゃ 1977
  • 図説ずせつ発掘はっくつかた日本にっぽん だい2かん 関東かんとう甲信越こうしんえつへん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ 1986
  • 古代こだい復元ふくげん 3 縄文じょうもんじん道具どうぐ講談社こうだんしゃ 1988
  • 縄文じょうもん土器どき大観たいかんぜん4かん編著へんちょ小学館しょうがくかん)1988-89 
  • 新版しんぱん古代こだい日本にっぽん だい7かん 中部ちゅうぶはら秀三郎ひでさぶろう共編きょうへん 角川書店かどかわしょてん 1993
  • 縄文じょうもん時代じだいにおける自然しぜん社会しゃかいへん 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん(季刊きかん考古学こうこがく別冊べっさつ) 1995 
  • 最新さいしん縄文じょうもんがく世界せかい編著へんちょ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1999
  • 縄文じょうもん土器どきへんねん社会しゃかいへん 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん(普及ふきゅうばん季刊きかん考古学こうこがく) 1999 
  • 世界せかいのなかの縄文じょうもん 対論たいろん佐原さはらしん 新書しんしょかん 2001
  • 縄文じょうもんランドスケープ』編著へんちょ ジョーモネスクジャパン機構きこう 2002
  • 古代こだい翡翠かわせみ文化ぶんかなぞさぐる』へん 学生がくせいしゃ 2006
  • 考古学こうこがくハンドブック』へん 新書しんしょかん 2007
  • 土器どき考古学こうこがく安藤あんどう広道ひろみち後藤ごとう建一けんいち田尾たおまことさとし手塚てづか直樹なおき共著きょうちょ 学生がくせいしゃ(らしの考古学こうこがくシリーズ) 2007
  • 総覧そうらん縄文じょうもん土器どき 小林こばやし達雄たつお先生せんせい古稀こき記念きねん企画きかく』アム・プロモーション 2008[4]
  • 世界せかい遺産いさん縄文じょうもん遺跡いせき編著へんちょ どうなりしゃ 2010

脚注きゃくちゅう

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