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山村さんそんただし

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山村さんそん ただし
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 愛媛えひめけん伊予いよぐん松前まさきまち
生年月日せいねんがっぴ (1978-12-05) 1978ねん12月5にち(45さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
188 cm
94 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2000ねん ドラフト1ぎゃく指名しめい
はつ出場しゅつじょう 2005ねん8がつ7にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2007ねん8がつ26にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

山村さんそん ただし(やまむら みちなお、1978ねん12月5にち - )は、愛媛えひめけん伊予いよぐん松前まさきまち出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。

来歴らいれき人物じんぶつ[ソースを編集へんしゅう]

愛媛えひめ県立けんりつ松山まつやま中央ちゅうおう高等こうとう学校がっこう九州共立大学きゅうしゅうきょうりつだいがく卒業そつぎょう

プロまえ[ソースを編集へんしゅう]

高校こうこう3ねんなつ愛媛えひめけん大会たいかい全国ぜんこく制覇せいはすることになる松山まつやましょうやぶれてベスト8[1]

九州共立大学きゅうしゅうきょうりつだいがく1ねん1997ねんあき明治めいじ神宮じんぐう大会たいかい当時とうじアマチュア球界きゅうかい最強さいきょうほこった3ねんおか智宏ともひろようする近畿大きんきだい(この大会たいかい優勝ゆうしょう)を相手あいて好投こうとう注目ちゅうもくあつめた。2ねん1998ねん大学だいがく選手権せんしゅけんでは延長えんちょう10かい0-1でやぶれたものの、4ねん上原うえはらひろし当時とうじ大体大だいたいだい)と投手とうしゅせんひろげて評価ひょうかたかめた。3ねん1999ねんあき明治めいじ神宮じんぐう大会たいかいではぜん試合しあい救援きゅうえん登板とうばんをし決勝けっしょう東海大とうかいだいせんで1ねん新垣あらかきなぎさのちけ5かい失点しってんおさえて大学だいがく日本一にっぽんいちとなった[2]。4ねん2000ねん大学だいがく選手権せんしゅけん新垣あらかきとの先発せんぱつ2ほんばしらのぞみ、初戦しょせん完封かんぷうすると準決勝じゅんけっしょう木佐貫きさぬきひろし亜大あだい)とって9かい1までノーヒットノーランも延長えんちょう10かい惜敗せきはい[3]福岡ふくおかろく大学だいがくリーグ通算つうさん39試合しあい登板とうばんし23しょう6はい最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅ4かい、ベストナイン3かい受賞じゅしょうした。

2000ねんのドラフト会議かいぎ福岡ふくおかダイエーホークスぎゃく指名しめいし1入団にゅうだん

プロ[ソースを編集へんしゅう]

同期どうき山田やまだあきちかしとも物入ものいりで入団にゅうだんしたものの1ねんのキャンプで故障こしょう、その原因げんいん不明ふめいうでつうみぎひじ骨折こっせつなど度重たびかさなる故障こしょうなやまされ、2ぐんせんにも満足まんぞく登板とうばんできない日々ひびが4年間ねんかんつづいた。あるとし契約けいやく更改こうかいにはみずか退団たいだんもうたこともあったという(球団きゅうだん説得せっとくされ契約けいやくした)。

2005ねん8がつ7にち楽天らくてんたたかえフルスタ宮城みやぎ)にて5ねんにして1ぐんはつ登板とうばん

2007ねん3月29にち楽天らくてんせんヤフーD)で同点どうてんの9かい2から5番手ばんてとして登板とうばん中前ちゅうぜんびたものの盗塁とうるいでピンチをしのぐと、そのうら柴原しばはらひろしのサヨナラ本塁打ほんるいだし、プロり7ねんにしてはつ勝利しょうり

2008ねんは1ぐん登板とうばんなしにわり、11月に戦力せんりょくがい通告つうこくける。同時どうじ山田やまだ戦力せんりょくがいとなっており、物入ものいりで入団にゅうだんしたにんわせてわずか17しょうという結果けっかわった。その12球団きゅうだん合同ごうどうトライアウト参加さんかしたものの、獲得かくとくする球団きゅうだんあらわれなかった。(このとき模様もようはTBSの番組ばんぐみバース・デイ』で紹介しょうかいされた)

2009ねん1がつ、アメリカ球界きゅうかいへの挑戦ちょうせん表明ひょうめい独立どくりつリーグやメジャーリーグ組織そしきとの契約けいやく目指めざして、アリゾナウインターリーグに参加さんか同年どうねん4がつリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルモンテレイ・サルタンズにテスト入団にゅうだん。しかし、9試合しあいで0しょう3はい防御ぼうぎょりつ8.22と結果けっかのこせず、5月26にち戦力せんりょくがい通告つうこく退団たいだん帰国きこくしてあきのトライアウト受験じゅけんけてトレーニングをおこなっていたが、右肩みぎかた故障こしょうつかり引退いんたい決意けつい。その自身じしん故障こしょうくるしんだ経験けいけんから理学りがく療法りょうほう目指めざし、専門せんもん学校がっこう進学しんがくした[4]

詳細しょうさい情報じょうほう[ソースを編集へんしゅう]

年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき[ソースを編集へんしゅう]

とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2005 ソフトバンク 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 2 0.2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
2007 23 0 0 0 0 2 2 0 1 .500 116 26.0 29 3 12 0 1 12 1 0 13 11 3.81 1.58
通算つうさん:3ねん 25 0 0 0 0 2 2 0 1 .500 122 27.2 30 3 12 0 1 12 1 0 13 11 3.58 1.52

記録きろく[ソースを編集へんしゅう]

背番号せばんごう[ソースを編集へんしゅう]

  • 61 (2001ねん - 2008ねん
  • 4 (2009ねん

脚注きゃくちゅう[ソースを編集へんしゅう]

  1. ^ 2001プロ野球やきゅうプレイヤーズ名鑑めいかん スポすぽツニッポン新聞社つにっぽんしんぶんしゃ
  2. ^ 週刊しゅうかんベースボール増刊ぞうかん 大学だいがく野球やきゅう2000春季しゅんきリーグせん展望てんぼうごう ベースボールマガジンしゃ
  3. ^ 週刊しゅうかんベースボール増刊ぞうかん 大学だいがく野球やきゅう2000秋季しゅうきリーグせん展望てんぼうごう ベースボールマガジンしゃ
  4. ^ 理学りがく療法りょうほういちきゅう入魂じっこん もとドラフト1ホークス投手とうしゅ 山村さんそんただしさん(31)”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. (2010ねん11月28にち). http://www.nishinippon.co.jp/feature/story_blue_sky/article/16466 2014ねん8がつ6にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[ソースを編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[ソースを編集へんしゅう]