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木佐貫きさぬきひろし

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木佐貫きさぬき ひろし
オリックス時代じだい
(2012ねん3がつ16にち明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょうにて)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 鹿児島かごしまけん川内せんだいげん薩摩さつま川内せんだい
生年月日せいねんがっぴ (1980-05-17) 1980ねん5月17にち(44さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
188 cm
84 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2002ねん 自由じゆう獲得かくとくわく[1]
はつ出場しゅつじょう 2003ねん3がつ30にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2015ねん9がつ30にち引退いんたい試合しあい
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
派遣はけんれき
コーチれき
  • 読売よみうりジャイアンツ (2019 - 2020)
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム 日本の旗 日本にっぽん
五輪ごりん 2003ねん(アジア予選よせん

木佐貫きさぬき ひろし(きさぬき ひろし、1980ねん5月17にち[1] - )は、鹿児島かごしまけん川内せんだいげん薩摩さつま川内せんだい出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。みぎとうみぎ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

プロまえ[編集へんしゅう]

川内せんだい川内せんだい南中なんちゅう学校がっこうでは軟式なんしき野球やきゅう所属しょぞく川内かわうち高校こうこうでは3ねん1998ねん鹿児島かごしまけん高等こうとう学校がっこう春季しゅんき野球やきゅう大会たいかいにて杉内すぎうち俊哉としやようする鹿児島かごしま実業じつぎょうやぶ優勝ゆうしょうなつ全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん鹿児島かごしま大会たいかい決勝けっしょうでは鹿児島かごしま実業じつぎょうに1-3で惜敗せきはい甲子園こうしえん出場しゅつじょうのがした[2]卒業そつぎょう亜細亜大学あじあだいがく進学しんがく。2ねんにはリーグせん勝利しょうりながら大学だいがく選手権せんしゅけん準決勝じゅんけっしょうでドラフト有力ゆうりょく候補こうほだった山村さんそんただし九州共立大きゅうしゅうきょうりつだい)と延長えんちょう10かいって完封かんぷう勝利しょうり決勝けっしょうでも先発せんぱつし3かい1失点しってん交代こうたいするも優勝ゆうしょう貢献こうけんした[3]東都とうと大学だいがくリーグ通算つうさん31試合しあい登板とうばん、12しょう8はい防御ぼうぎょりつ1.80、225だつ三振さんしん。4年生ねんせい大学だいがく選手権せんしゅけんぜん試合しあい登板とうばんし、準決勝じゅんけっしょうでは九州共立大きゅうしゅうきょうりつだい新垣あらかきなぎさって完封かんぷう勝利しょうり決勝けっしょうでは和田わだあつし早大そうだい)との投手とうしゅせんせいして優勝ゆうしょう[4]明治めいじ神宮じんぐう大会たいかいでは右腕うわんいたみもあって決勝けっしょうのみ救援きゅうえん登板とうばんして胴上どうあ投手とうしゅ[5]。2連続れんぞく最高さいこう殊勲しゅくん選手せんしゅ最優秀さいゆうしゅう投手とうしゅ、ベストナインのさんかん受賞じゅしょうだい1かい世界せかい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん日本にっぽん代表だいひょうにも選出せんしゅつされた[1]

2002年度ねんどドラフト会議かいぎにて読売よみうりジャイアンツから自由じゆう獲得かくとくわく指名しめいけて入団にゅうだん[1]

巨人きょじん時代じだい[編集へんしゅう]

2003ねん(1ねん)は大学だいがくから同期どうき広島東洋ひろしまとうようカープ永川えいかわ勝浩かつひろとシーズン最後さいごまで新人しんじんおうあらそいをえんじ、最終さいしゅうてきにリーグ最多さいたタイの2完封かんぷう(とも中日ちゅうにちせん)をふくむシーズン10しょうげ、新人しんじんおうえらばれる。

2004ねん成績せいせきびず、シーズン途中とちゅうから一時いちじおさ転向てんこうする。

2005ねんは14試合しあい登板とうばんにとどまり勝利しょうり(0しょう1はい5セーブ)、7がつ右肩みぎかたかぶとこつ手術しゅじゅつけた。

2006ねん1がつおか智宏ともひろとともに奄美あまみ大島おおしまでの小久保こくぼ裕紀ゆうき斉藤さいとう和巳かずみ自主じしゅトレに同行どうこう6月19にちオリックス・バファローズせんやく1ねんぶりに一軍いちぐん登録とうろくそく先発せんぱつするも、3失点しってん敗戦はいせん投手とうしゅになる。合計ごうけい3先発せんぱつのチャンスをあたえられるが、いずれも序盤じょばんにKOされ0しょう3はいでシーズンをえ、2ねん連続れんぞく勝利しょうりという結果けっかわった。

2007ねん主力しゅりょく投手とうしゅであった上原うえはらひろしジェレミー・パウエル故障こしょう出遅でおくれたため開幕かいまく一軍いちぐんりをたし、自己じこ最高さいこうとなる12しょう(9はい)・防御ぼうぎょりつ3.09を記録きろくした。内海うつみ哲也てつや高橋たかはししょうなりとともにいちねんとおしてローテーションをまもった。

2008ねんは、開幕かいまくから低迷ていめいするチームのなか好投こうとうし、4月で3しょう(1はい)をあげ、敗戦はいせんによる「8イニング完投かんとう」ながら2004ねん以来いらいとなる完投かんとう記録きろくした。しかし5がつから調子ちょうしくずし、7にち阪神はんしんタイガースせんでは3かい途中とちゅう金本かなもとともけんへの頭部とうぶ死球しきゅう危険きけんだま退場たいじょうとなる。以後いごみじかいイニングで降板こうばんする試合しあいつづき8がつ一軍いちぐん登録とうろく抹消まっしょう。チームは日本にっぽんシリーズ出場しゅつじょうしたが、木佐貫きさぬき自身じしん登板とうばん機会きかい回避かいひし、そのままシーズンをえた。前半ぜんはんせん貢献こうけん主張しゅちょうしたがみとめられず年俸ねんぽうげん更改こうかいした。年末ねんまつ会田あいだ有志ゆうじなどの成長せいちょうかぶドミニカウィンターリーグ派遣はけんされることをけ、本人ほんにん希望きぼうでドミニカへわたった。

2009ねんは、開幕かいまく先発せんぱつローテーションわくあらそいにやぶれ、ぐんスタート。8月のローテーションの谷間たにまでようやくシーズンはつ登板とうばんはつ先発せんぱつのチャンスをたが、3かい途中とちゅう3失点しってんでKOされ、ぐん降格こうかく。その一軍いちぐん登板とうばん機会きかいられぬまま、シーズンをえた。ぐんでは先発せんぱつじくとして活躍かつやくし、リーグ最多さいたしょう(9しょう)、最多さいただつ三振さんしん(94)のかんとなったが、防御ぼうぎょりつは4.05とふるわなかった。12月4にち高木たかぎ康成やすなりとの交換こうかんトレードオリックス・バファローズ移籍いせき[6]

オリックス時代じだい[編集へんしゅう]

2010ねんは、オープンせん好投こうとうし、開幕かいまくローテーションりをたす。3月28にち福岡ふくおかソフトバンクホークスせんで、8かい途中とちゅう1失点しってんで、2008ねん7がつ27にち以来いらいとなる609にちぶりの勝利しょうり投手とうしゅとなり、移籍いせきはつ勝利しょうりげた。5月22にち阪神はんしんせんから5連勝れんしょう記録きろく。6月は29にち東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスせんで、新人しんじん時代じだいの2003ねん以来いらいとなる7ねんぶりの完封かんぷう勝利しょうり記録きろくするなど4しょう0はい活躍かつやくで6がつ月間げっかんMVP獲得かくとくする。7月31にち勝利しょうりで9しょうげたが、8がつ6にち千葉ちばロッテマリーンズせんで9かい2まで失点しってんながら、そこから3失点しってんきっして敗戦はいせん投手とうしゅになると、この試合しあいから5試合しあいは、自身じしん登板とうばんしているあいだ味方みかた打線だせん援護えんごが5試合しあいわずけい2てんしかなく、なかなか白星しろぼしがつかなかった。9月8にちのロッテせんで2失点しってん完投かんとう勝利しょうりをあげ、3ねんぶりのけた勝利しょうり達成たっせい最終さいしゅうてき防御ぼうぎょりつ3てんだい記録きろくしたが、こう不調ふちょうなみはげしく12はい記録きろくあずか四球しきゅうすうはリーグ2暴投ぼうとうあずか死球しきゅうすうはリーグ最多さいた制球せいきゅうみだ試合しあいおおく、また援護えんごりつはパリーグでワースト2の3.71となかなか打線だせん援護えんごめぐまれなかった。一方いっぽう本塁打ほんるいだは9ほんすくなかった。また、ロッテせんでは4しょう4はい交流こうりゅうせんでは3しょう1はいとまずまずの成績せいせきのこした一方いっぽうで、西武せいぶせんでは5せん4はい防御ぼうぎょりつ7.01と非常ひじょう相性あいしょうわるかった。

2011ねんは、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい影響えいきょう延期えんきされて実施じっし4がつ12にち大阪おおさかドームでの開幕かいまくせん自身じしんはつ開幕かいまく投手とうしゅつとめ、02ねん全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい決勝けっしょう2003ねんのオールスターゲームだい1せん同様どうよう早稲田大学わせだだいがく野球やきゅう出身しゅっしんのホークスの大黒柱だいこくばしら和田わだあつしい9かい0/3を自責じせきてん1。だが、12球団きゅうだん開幕かいまく投手とうしゅ唯一ゆいいつ勝利しょうりがなく5月4にち登録とうろく抹消まっしょうとなった。その、5月14にち一軍いちぐん登録とうろくされ、その北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズたたかえ函館はこだて千代台ちよがだい公園こうえん野球やきゅうじょう)に先発せんぱつしたが、2かい1から本塁打ほんるいだ連打れんだで8失点しってん降板こうばんセ・パ交流こうりゅうせん阪急はんきゅうブレーブスユニフォーム復刻ふっこく試合しあいの5がつ20日はつかたい広島東洋ひろしまとうようカープせんで7かい1失点しってん相手あいての7ばん指名しめい打者だしゃ今村いまむらたけし犠牲ぎせいバント無難ぶなん処理しょりしシーズンはつ白星しろぼしげたが、その先発せんぱつ結果けっかのこせず、7がつ11にちたい埼玉さいたま西武せいぶライオンズせんで4かい9安打あんだ6失点しってんぐん降格こうかくぐん降格こうかく通告つうこくされ、かえりばんする道中どうちゅう新横浜しんよこはまえき偶然ぐうぜんにも巨人きょじん時代じだいのコーチである鹿取かとり義隆よしたか遭遇そうぐうし、「ツーシームやチェンジアップをおぼえたら?」と助言じょげんけ、ツーシームを習得しゅうとくする[7]。その昇格しょうかくし、閉幕へいまく間際まぎわの10がつ15にちたい日本にほんハムせんで、6かい失点しってん好投こうとうようやく2しょうをあげた。シーズンをとおしては、2しょう7はい防御ぼうぎょりつ4.60と不本意ふほんい成績せいせきわった。

2012ねんはシーズンはつ登板とうばんとなった4がつ8にちたい楽天らくてんせんで4安打あんだ完封かんぷう勝利しょうりをあげると、4がつ15にち一昨年いっさくねんかなり苦手にがてにしていた西武せいぶ相手あいてに7かい途中とちゅう1失点しってん好投こうとうで、連勝れんしょうスタートとなった。ところが、4がつ22にちたい日本にほんハムせんで9かい1失点しってん完投かんとうけをきっしたのを皮切かわきりに打線だせん援護えんごめぐまれず白星しろぼしからとおざかる。6月6にちたいヤクルトせん一塁いちるいベースカバーにはいったさいに、ひだりふとももうら肉離にくばなれを発症はっしょうして翌日よくじつ一軍いちぐん登録とうろく抹消まっしょう。リハビリにつとめていたあるむすめに「パパはどうして、昼間ひるまからいえにいるの?」とたずねられて戸惑とまどい、そのとき同僚どうりょう寺原てらはら隼人はやとが「ぼくらはきな野球やきゅうをやっていればそれでいいかもしれないけれど、むすめたちには肩身かたみせまおもいをさせられない」と発言はつげんしたのをおもして発奮はっぷん[8]、7がつ13にちさい登録とうろくされると、3試合しあい救援きゅうえん登板とうばんて、オールスターけに2試合しあい連続れんぞく完投かんとう勝利しょうりをあげる。その先発せんぱつ投手とうしゅとしてシーズン終了しゅうりょうまでローテーションをまもき、防御ぼうぎょりつ2.60、QSりつ66.7%と先発せんぱつ投手とうしゅとしての責務せきむたしたものの、力投りきとうしても味方みかた打線だせん援護えんごとぼしい試合しあいおおく、5しょう9はいわった。契約けいやく更改こうかいでは、2.60だった防御ぼうぎょりつ評価ひょうかされ1200まんえんぞうの6200まんえん更改こうかいした。

日本にほんハム時代じだい[編集へんしゅう]

2013ねん1がつ25にち糸井いとい嘉男よしお八木やぎさとしとの交換こうかんトレードで赤田あかだすすむわれ大引おおびきあきらとも北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ移籍いせき[9]同年どうねん5がつ20日はつか巨人きょじんせんでは7かいを1失点しってん勝利しょうり投手とうしゅとなり、史上しじょう12にんぜん球団きゅうだん近鉄きんてつのぞく12球団きゅうだん)からの勝利しょうり達成たっせいした[10]。なお、この試合しあいでは高校こうこう時代じだいった巨人きょじん先発せんぱつすぎないち、1998ねんなつ全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん鹿児島かごしま大会たいかい決勝けっしょうけて以来いらいやく15ねんぶりのいをせいしている[11][12]同年どうねんシーズン終了しゅうりょうまで先発せんぱつローテーションの一角いっかくにない、2けた勝利しょうりにはとどかなかったものの、最終さいしゅうてきにはブライアン・ウルフならんでチームトップタイとなる9しょうをマークした。

2014ねんは、春季しゅんきキャンプちゅうインフルエンザ感染かんせん一軍いちぐん公式こうしきせんには、若手わかて投手とうしゅ台頭たいとうで5試合しあいしか登板とうばんできず、1しょう3はいでシーズンをえた。

2015ねんは、シーズン終盤しゅうばんまで一軍いちぐんでの登板とうばん機会きかいがなく、イースタン・リーグ公式こうしきせんでも16試合しあい登板とうばんで0しょう6はい防御ぼうぎょりつ7.67という成績せいせきわった[13]9月18にちに、翌年よくねん戦力せんりょく構想こうそうからはずれていることが判明はんめい球団きゅうだんでの現役げんえき続行ぞっこう可能かのうせいなどを熟慮じゅくりょした[14]結果けっか同月どうげつ29にちにこのとしかぎりで現役げんえき引退いんたいすることを表明ひょうめいした[15]よく30にちには、このとしはじめての出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく[16]て、たい千葉ちばロッテたたかえ札幌さっぽろドーム)の5かいひょうに1イニング限定げんてい登板とうばん。2だつ三振さんしんふくさんしゃ凡退ぼんたいという内容ないようで、現役げんえき生活せいかつめくくった。11月27にちづけで、日本にっぽん野球やきゅう機構きこう(NPB)から任意にんい引退いんたい選手せんしゅとして公示こうじ[17]

現役げんえき引退いんたい[編集へんしゅう]

2016ねんにはスカウトとして巨人きょじん復帰ふっき[18]2019ねんからはファーム投手とうしゅコーチに就任しゅうにんした[19]2021ねんからはふたたびスカウトに就任しゅうにんした[20]。スカウトを担当たんとうしたおも選手せんしゅ直江なおえ大輔だいすけふねさこ大雅たいが森田もりた駿しゅんなどがいる。

プレースタイル[編集へんしゅう]

直球ちょっきゅうは2003ねん自己じこ最速さいそく152km/hを計測けいそく[21]フォークボールだまとする。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

地元じもと薩摩さつま川内せんだい市内しないには「木佐貫きさぬきロード」(距離きょりやく1.7km)なるものが存在そんざいする。そこは木佐貫きさぬき本人ほんにん中学ちゅうがく高校こうこう時代じだいにトレーニングをした場所ばしょであり、どう選手せんしゅ活躍かつやくさらなる人材じんざい輩出はいしゅつねがって、地元じもと市民しみん団体だんたいによってづけられた。

登板とうばんのBGMは入団にゅうだんしてからずっとヴァン・ヘイレンの『JUMP』を使用しようしている。打席だせきはいるときはHOTEI & Charの『Stereo Castar』。

当時とうじ低迷ていめいしていた巨人きょじん投手とうしゅじん再建さいけん期待きたいされ招聘しょうへいされた尾花おばな高夫たかお投手とうしゅコーチが実際じっさい巨人きょじん若手わかて投手とうしゅ投球とうきゅうにしたさい、「ソフトバンクえる投手とうしゅじんつくれる」とコメントしたが、とく木佐貫きさぬきは「潜在せんざい能力のうりょく斉藤さいとう和巳かずみクラス」と、そのポテンシャルが絶賛ぜっさんされた。

2007ねんから背番号せばんごう21から41変更へんこうげん監督かんとくからは「巨人きょじんトム・シーバーになってほしい」という期待きたいのあらわれと、復活ふっかつしてしいという意味いみがこめられているものとみられる(巨人きょじんの41ばんは、かつての斎藤さいとう雅樹まさきけていた番号ばんごうでもある)。

几帳面きちょうめん性格せいかく日記にっきさいには、文字もじ一定いってい間隔かんかくけてくことがテレビ番組ばんぐみ紹介しょうかいされたことがある。日記にっきくことになったきっかけは、リハビリちゅう当時とうじ巨人きょじんのチームリーダーの1人ひとりだった小久保こくぼ裕紀ゆうきに「くるしいときの記録きろくのこしておけ」とすすめられたという。

いつでも謙虚けんきょで、前向まえむきな姿勢しせいがファンからしたわれている。コーチからの助言じょげんくときはもちろん、取材しゅざいなどでも直立ちょくりつ不動ふどうと、生真面目きまじめ選手せんしゅである。練習れんしゅうにもきわめて熱心ねっしんである。本人ほんにんいわく、大雑把おおざっぱ性格せいかくだったが、亜細亜大あじあだいはいってからわったとはなしている。

苦手にがてなバッターは「赤星あかほしさんや井端いばたさんのようなしつこいバッター」だが、質問しつもんこたえてから「ウチの大学だいがくおしえを実行じっこうしているひと(亜細亜大学あじあだいがく先輩せんぱい)」といた。

2008ねん5がつ7にち阪神はんしんタイガースせん金本かなもとともけん頭部とうぶ死球しきゅうあたえたよく8にち試合しあいまえ練習れんしゅうちゅう本人ほんにんのもとへってあたまげて謝罪しゃざいした。「またおもげてこいよ。にするなよ、大丈夫だいじょうぶだから、とわれました」と、笑顔えがお対応たいおうした金本かなもと気遣きづかいに感謝かんしゃしていた。

歴史れきしがくすぐれており、ズームイン!!サタデーうちのコーナー『プロ野球やきゅうねつケツ情報じょうほう』では、出題しゅつだいされたテーマにまつわる歴史れきしじょう人物じんぶつについてかたることがおおい。

趣味しゅみ地図ちずちながらのまちあるき。外出がいしゅつさきのオープンテラスからラジオに電話でんわ出演しゅつえんしたことがある[22]。シーズンちゅう遠征えんせいするさいには、趣味しゅみ実用じつようねて、かなら遠征えんせいさき地図ちず自前じまえ持参じさんするという。[23]

高木たかぎ康成やすなりとの交換こうかんトレードが成立せいりつしたさいに、かねてから親交しんこうふかかった岡田おかだ彰布あきのぶはらたつとく間柄あいだがら成立せいりつした友情ゆうじょうトレードであり、岡田おかだ信頼しんらいしたうえでのトレードであったとわれた。また、きよしたけ英利ひでとし幹部かんぶ候補こうほせいとして修業しゅうぎょう気持きもちとかたっており、将来しょうらいてきには巨人きょじん復帰ふっきすることも示唆しさしていた[24]

おなじシーズンオフにオリックスへ移籍いせきのち木佐貫きさぬき同時どうじ日本にほんハムへ移籍いせきした赤田あかだすすむわれとは同郷どうきょう鹿児島かごしまけん出身しゅっしんどう学年がくねんで、中学校ちゅうがっこう時代じだい対戦たいせんしている(結果けっかは、当時とうじ投手とうしゅだった赤田あかだの1安打あんだ完封かんぷうち)。

オリックスと日本にほんハムでの現役げんえき時代じだいには、『亀山かめやまつとむのかめとも Sports Man Day』(オリックスの地元じもときょく毎日放送まいにちほうそう当時とうじラジオで放送ほうそうしていたスポーツ情報じょうほう番組ばんぐみ)にゲストで随時ずいじ出演しゅつえん番組ばんぐみグッズとしてリスナーなどに提供ていきょうしていたかぎしょう兵庫ひょうごけん明石あかしせい海苔のり製品せいひんシリーズには、木佐貫きさぬき似顔絵にがおえを、オリックス時代じだいから代々だいだい番組ばんぐみオリジナルラベルにえていた。だい2だいグッズの明石あかし海苔のりまではオリックス時代じだいのラベルをけていたが、日本にほんハム移籍いせきの2013ねん5がつにNPBぜん12球団きゅうだんから一軍いちぐん公式こうしきせん勝利しょうりげたことを記念きねんして、よく6がつ提供ていきょうぶんからラベルを日本にほんハムバージョンに新調しんちょう。2014ねん5がつのグッズリニューアルでは、オリックス時代じだいにプライベートでじつしょくしたことがある同社どうしゃせいの「明石あかし海苔のりふりかけ」をしんグッズ候補こうほ推薦すいせんしたところ、実際じっさいにグッズへ採用さいようされた。

巨人きょじん時代じだいから、移動いどうちゅうなどサインができない状況じょうきょうでファンにくば目的もくてきで、自身じしんベースボールカード直筆じきひつサインをれたものをあるいている。サインれは遠征えんせいなどの時間じかん利用りようしてっており、1まい1まいとお番号ばんごうれたうえに100えんショップで購入こうにゅうした小袋こぶくろれるという几帳面きちょうめんさ。球団きゅうだん支給しきゅうぶんではりず自腹じばらでカードを追加ついか購入こうにゅうしてまで配布はいふつづけており、2012ねんには年間ねんかんやく4000まいくばったという[25]

鉄道てつどうファン[編集へんしゅう]

プロ野球やきゅうかい随一ずいいち鉄道てつどうファン[26]本人ほんにんいわく、鉄道てつどうファンの分野ぶんやとしては、てつであり、球場きゅうじょうへの移動いどう電車でんしゃ利用りようすることもある[27]。なお、鉄道てつどう路線ろせんながめるのもきとのこと[27]。また、阪急電鉄はんきゅうでんてつ車両しゃりょう座席ざせき高級こうきゅうかんざわりをっているとも[28]

2011ねん3がつ全線ぜんせん開通かいつうした九州きゅうしゅう新幹線しんかんせん宣伝せんでん活動かつどうにも意欲いよくやしていた[29][30]ちなみに、2004ねん部分ぶぶん開通かいつうには出身しゅっしん川内せんだいえきいちにち駅長えきちょうつとめた。

日本にほんハム時代じだいには、2013ねん北海道テレビ放送ほっかいどうてれびほうそうFFFFF」にて札幌さっぽろ市電しでんってのインタビュー収録しゅうろくおこな[31][32]、また同年どうねん年末ねんまつスペシャルでは翌年よくねんはいせん予定よていだったJR北海道ほっかいどう江差線えさしせんでのロケ企画きかくおこなっており引退いんたい会見かいけんでも江差線えさしせんロケを現役げんえき時代じだいおもひとつとしてげた[33]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2003 巨人きょじん 25 25 7 2 3 10 7 0 -- .588 736 175.0 168 18 44 3 7 180 6 1 74 65 3.34 1.21
2004 31 21 2 0 0 7 8 5 -- .467 643 139.2 168 20 50 3 11 154 1 0 92 78 5.03 1.56
2005 14 0 0 0 0 0 1 5 0 .000 56 13.2 13 1 3 0 0 17 0 0 6 6 3.95 1.17
2006 3 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 54 10.1 24 3 2 0 0 7 0 0 11 11 9.58 2.52
2007 26 25 0 0 0 12 9 0 0 .571 613 148.2 144 17 35 3 0 131 1 0 60 51 3.09 1.20
2008 14 14 1 0 0 6 5 0 0 .545 318 74.0 87 15 19 0 1 53 3 0 36 34 4.14 1.43
2009 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.2 4 2 0 0 0 2 0 0 3 3 10.13 1.50
2010 オリックス 28 28 4 1 0 10 12 0 0 .455 767 174.1 174 9 71 0 13 140 11 1 85 77 3.98 1.41
2011 19 12 0 0 0 2 7 0 0 .222 322 72.1 86 5 22 1 2 60 4 0 42 37 4.60 1.49
2012 24 21 5 1 1 5 9 0 0 .357 628 152.1 138 8 42 1 3 96 5 0 47 44 2.60 1.18
2013 日本にほんハム 24 24 2 1 1 9 8 0 0 .529 620 145.0 141 10 50 1 5 95 8 0 64 59 3.66 1.32
2014 5 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 115 26.0 29 1 7 0 0 21 1 0 12 9 3.12 1.38
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 3 1.0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.00
通算つうさん:13ねん 215 179 21 5 5 62 72 10 0 .463 4887 1135.0 1176 109 345 12 42 958 40 2 532 474 3.76 1.34
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

投手とうしゅ記録きろく
打撃だげき記録きろく
  • はつ安打あんだ:2003ねん4がつ25にちたい横浜よこはまベイスターズ3回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、3かいひょうクリス・ホルトから右前みぎまえ安打あんだ
  • はつ打点だてん:2004ねん7がつ8にちたい横浜よこはまベイスターズ16回戦かいせん東京とうきょうドーム)、3かいうら吉川よしかわ輝昭てるあきからみぎえつ適時てきじ二塁打にるいだ
その記録きろく

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 21 (2003ねん - 2006ねん
  • 41 (2007ねん - 2009ねん
  • 12 (2010ねん - 2012ねん
  • 29 (2013ねん - 2015ねん
  • 78 (2019ねん - 2020ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g 『プロ野球やきゅうカラー名鑑めいかん 2008』スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2008ねん、16ぺーじISBN 978-4-583-61526-4 
  2. ^ 鹿児島かごしまけん大会たいかいはこのとしまで準々じゅんじゅん決勝けっしょう準決勝じゅんけっしょうあいだ休養きゅうようがなく、日程にってい関係かんけいじょう杉内すぎうち準決勝じゅんけっしょう決勝けっしょうの2連投れんとうだったが、木佐貫きさぬき準々じゅんじゅん決勝けっしょうから3にち連続れんぞく登板とうばん準決勝じゅんけっしょうあめによりナイターゲームとなったため翌日よくじつ決勝けっしょう疲労ひろうのこしていた。鹿児島かごしま実業じつぎょうは1にち休養きゅうようった。これをけてけん大会たいかい日程にってい問題もんだいりとされ、のち日程にってい見直みなおされる発端ほったんとなった。
  3. ^ 週刊しゅうかんベースボール増刊ぞうかん 大学だいがく野球やきゅう2000秋季しゅうきリーグせん展望てんぼうごう ベースボールマガジンしゃ
  4. ^ 週刊しゅうかんベースボール増刊ぞうかん 大学だいがく野球やきゅう2002秋季しゅうきリーグせん展望てんぼうごう ベースボールマガジンしゃ
  5. ^ 週刊しゅうかんベースボール増刊ぞうかん 大学だいがく野球やきゅう2003春季しゅんきリーグせん展望てんぼうごう ベースボールマガジンしゃ
  6. ^ トレード成立せいりつのおらせ
  7. ^ 木佐貫きさぬき 鹿取かとりとばったり 新横浜しんよこはまえきでのばなし復調ふくちょうのきっかけ
  8. ^ “オリックス逆襲ぎゃくしゅうのキーマン、木佐貫きさぬきひろしえた“一言ひとこと”。~寺原てらはらがくれた、復調ふくちょうのきっかけ~”. NUMBER Web. (2012ねん8がつ17にち). http://number.bunshun.jp/articles/-/263937 2012ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん 
  9. ^ トレード(2012年度ねんどシーズン終了しゅうりょう ~ )” (2013ねん1がつ25にち). 2013ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ 日本にほんハム】木佐貫きさぬき史上しじょう12にんぜん12球団きゅうだん勝利しょうり[リンク]
  11. ^ おなねんおな鹿児島かごしま高校こうこう出身しゅっしん木佐貫きさぬき 杉内すぎうちに16ねんしリベンジ - スポニチ Sponichi Annex 野球やきゅう 2013ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ 杉内すぎうちった!木佐貫きさぬき青春せいしゅんのリベンジ” - ひがしスポWeb – 東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ 2013ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  13. ^ 日本にほんハム木佐貫きさぬき引退いんたい発表はっぴょう「おだい景色けしきわすれない」日刊にっかんスポーツ - 2015ねん9がつ29にち
  14. ^ 日本にほんハム木佐貫きさぬき来季らいき構想こうそうがい、1ぐん登板とうばんなし引退いんたい視野しや日刊にっかんスポーツ - 2015ねん9がつ19にち
  15. ^ ニュース | 木佐貫きさぬき投手とうしゅ現役げんえき引退いんたい表明ひょうめい | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ - 2015ねん9がつ29にち
  16. ^ 日本にほんハムが木佐貫きさぬき矢野やの高浜たかはま登録とうろく日刊にっかんスポーツ - 2015ねん9がつ30にち
  17. ^ 2015年度ねんど 任意にんい引退いんたい選手せんしゅ - 2015ねん11月28にち閲覧えつらん
  18. ^ 巨人きょじん木佐貫きさぬき引退いんたいそくスカウト転身てんしんゆかりしん監督かんとくささえる”. スポーツ報知ほうち (2015ねん12月12にち). 2015ねん12月13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  19. ^ 巨人きょじん木佐貫きさぬきスカウト、ドラ3直江なおえそだてます」”. スポーツ報知ほうち (2018ねん11月3にち). 2019ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  20. ^ 12球団きゅうだん編成へんせい&スカウト布陣ふじん一覧いちらん&2021補強ほきょうポイント【セ・リーグへん”. 週刊しゅうかんベースボール (2021ねん1がつ24にち). 2021ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  21. ^ はた進化しんかする新人しんじん. 文化放送ぶんかほうそうホームランナイター. (2003ねん6がつ18にち). https://www.joqr.co.jp/homerun/tatujin/index3.html#11 2015ねん12月23にち閲覧えつらん 
  22. ^ 8がつ2にち放送ほうそう お電話でんわのゲストに木佐貫きさぬきひろし投手とうしゅにご出演しゅつえんいただきました!
  23. ^ 前述ぜんじゅつ『MBSたびぐみ』に出演しゅつえんしたさい発言はつげんより
  24. ^ Bs木佐貫きさぬき誕生たんじょう!球団きゅうだん待望たいぼうの「みぎ先発せんぱつ投手とうしゅ獲得かくとく
  25. ^ 移籍いせきはつ白星しろぼし ハム木佐貫きさぬきふかイイばなしとは… - 日刊にっかんスポーツ・2013ねん4がつ5にち
  26. ^ 15しょう目指めざ鉄道てつどうマニア”. 週刊しゅうかんベースボールONLINE. 週刊しゅうかんベースボール. 2014ねん12月12にち閲覧えつらん
  27. ^ a b “「てつ日本にほんハム木佐貫きさぬきしん連載れんさい開始かいし. 日刊にっかんスポーツ. (2013ねん7がつ5にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130705-1152583.html 2014ねん12月12にち閲覧えつらん 
  28. ^ デイリースポーツ 2010ねん12月13にちづけ記事きじ木佐貫きさぬき公認こうにん九州きゅうしゅう新幹線しんかんせん宣伝せんでんマン」に」
  29. ^ 木佐貫きさぬき九州きゅうしゅう新幹線しんかんせんげる宣伝せんでんマン”だ デイリースポーツ 2010ねん10がつ26にち Archived 2010ねん10がつ29にち, at the Wayback Machine.
  30. ^ Bs木佐貫きさぬき「1にち駅長えきちょうでも」神戸こうべ鹿児島かごしま来年らいねん開通かいつう スポーツニッポン 2010ねん10がつ26にち
  31. ^ 選手せんしゅ出演しゅつえん情報じょうほう2013ねん7がつ - 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
  32. ^ FFFFF これまでの放送ほうそう だい305かい7/13の放送ほうそう - 北海道テレビ放送ほっかいどうてれびほうそう(Archive.today)
  33. ^ 鉄道てつどうマニアのにちハム木佐貫きさぬき 野球やきゅう人生じんせい列車れっしゃたとえ「一本いっぽんどうはしってきた」 - Full-Count

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]