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山根やまねいわお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
山根やまね いわお
名前なまえ
カタカナ ヤマネ イワオ
ラテン文字もじ YAMANE Iwao
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
生年月日せいねんがっぴ (1976-07-31) 1976ねん7がつ31にち(47さい
出身しゅっしん 広島ひろしまけん広島ひろしま
身長しんちょう 170cm
体重たいじゅう 70kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション MF
あし 右足みぎあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1995-1998
1998
1999-2002
2003-2005
2006-2009
2010-2011
サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま
大分おおいたトリニティ
大分おおいたトリニータ
川崎かわさきフロンターレ
かしわレイソル
ツエーゲン金沢かなざわ
37 (03)
0 (00)
121 (12)
47 (01)
102 (04)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2008ねん10がつ10にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

山根やまね いわお(やまね いわお、1976ねん7がつ31にち - )は広島ひろしまけん広島ひろしま出身しゅっしんもとプロサッカー選手せんしゅ。サッカー選手せんしゅ山根やまね永遠えいえん実子じっし

来歴らいれき

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おさないころに小児しょうに喘息ぜんそくだったためからだきたえるために小学しょうがく5ねんからサッカーをはじめる[1]

ようちゅう広島ひろしま皆実みなみ高校こうこう卒業そつぎょう[ちゅう 1] 、1995ねんサンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま入団にゅうだん[ちゅう 2]。1997ねんエディ・トムソン監督かんとくによって攻撃こうげきてきMFとして評価ひょうかされ主力しゅりょくになる。が、よく1998ねんどうポジションにアウレリオ・ヴィドマー皆本みなもと勝弘かつひろ山口やまぐち敏弘としひろ大久保おおくぼまこと加入かにゅう外国がいこくじん監督かんとくとのコミュニケーション不足ふそく[2]もあって出場しゅつじょう機会きかい激減げきげん同年どうねん11がつ当時とうじ広島ひろしま提携ていけい関係かんけいにあったきゅうJFL所属しょぞく大分おおいたトリニティ期限きげん移籍いせきした[1]

よく1999ねんJリーグ ディビジョン2 (J2)発足ほっそく大分おおいたが「大分おおいたトリニータ」としてJ2に参入さんにゅうすると、のちに「最良さいりょう理解りかいしゃ」とべる関係かんけいとなる[2]石崎いしざき信弘のぶひろ監督かんとく就任しゅうにん大分おおいたでは石崎いしざきした連日れんじつもう練習れんしゅうでボール奪取だっしゅ能力のうりょくみがかれ選手せんしゅとして成長せいちょう[2]。1999ねん・2000ねんと2ねん連続れんぞくしてJ1昇格しょうかくにあといちせまりながらもたせないシーズンをごしたが[ちゅう 3]、2001ねんには大分おおいた完全かんぜん移籍いせき。2002ねんシーズンは2001ねんシーズン途中とちゅう解任かいにんされた石崎いしざき後任こうにんとして就任しゅうにんした小林こばやし伸二しんじのもと、2002ねん11月2にちだい41せつ大宮おおみやアルディージャたたかえさいたま大宮公園おおみやこうえんサッカーじょう)ではみずからのヘディングゴールで大分おおいた悲願ひがんのJ1昇格しょうかくをもたらした[1][2]

だが「石崎いしざきさんをJ1に昇格しょうかくさせたい」とのおもいから、2003ねんには石崎いしざき監督かんとく就任しゅうにんしていた当時とうじJ2所属しょぞく川崎かわさきフロンターレ移籍いせきする[1][2]結局けっきょくこのとし昇格しょうかく実現じつげんせず、石崎いしざきはシーズン川崎かわさき辞任じにんしたが、よく2004ねんシーズンにはせきづかたかし監督かんとくもとで、9月26にちにJ1昇格しょうかく、10月2にち優勝ゆうしょうめた[ちゅう 4]

2005ねんまつ川崎かわさき戦力せんりょくがいになり引退いんたい決意けつい[2]広島ひろしまのサッカースクールに就職しゅうしょくする予定よていだったが、このとしJ2に降格こうかくしたかしわレイソル監督かんとく就任しゅうにんした石崎いしざきさそわれ[2]周囲しゅうい後押あとおしもあってかしわ移籍いせきして現役げんえき続行ぞっこう[3]。2006ねん、シーズン当初とうしょからボランチの不動ふどうのレギュラーとして活躍かつやくし、48試合しあいちゅう45試合しあい出場しゅつじょう完全かんぜん復活ふっかつ[ちゅう 5]、チームはJ1に1ねん復帰ふっきする。このとし、かつて川崎かわさきでも一緒いっしょだったチームメイトの岡山おかやま一成いっせいとともに「いしさんをJ1にあげよう」を合言葉あいことばに、3度目どめ正直しょうじき石崎いしざきをJ1にあげ、個人こじん目標もくひょう達成たっせいした。2008ねん開幕かいまく直後ちょくごあし肉離にくばなれをこすなど1ねんとおしてケガにかされる。どうシーズンかぎりで石崎いしざき辞任じにんしJ2に降格こうかくしたコンサドーレ札幌さっぽろうつったが、山根やまねかしわ残留ざんりゅうした[ちゅう 6]かしわでは仮面かめんライダー主題歌しゅだいかレッツゴー!! ライダーキック」をもとにした応援おうえんコールをけた。

2010ねんJFL昇格しょうかくしたばかりのツエーゲン金沢かなざわ移籍いせき[4][ちゅう 7]。JFLへの移籍いせき抵抗ていこうかんがあったというが、広島ひろしま時代じだい同期どうき久保くぼ竜彦たつひこ存在そんざいとなったという[5]。2011ねんはコーチ兼任けんにんとなり指導しどうしゃとしても昇格しょうかく請負人うけおいにんとしてJ2への昇格しょうかく目指めざしたが、チーム事情じじょうもあって指導しどうしゃとしての手腕しゅわん満足まんぞく発揮はっき出来でき[5]どうシーズン終了しゅうりょう契約けいやく満了まんりょうによる退団たいだん発表はっぴょうされた[6]

2012ねん2がつ現役げんえき引退いんたい正式せいしき発表はっぴょう[7]千葉ちばけん明光めいこうネットワークジャパン運営うんえいするサッカースクールの指導しどうしゃとして活動かつどうしていた[8][9]

2016ねん金沢かなざわ時代じだい恩師おんし上野うえのてんひろし監督かんとくつとめ、同年どうねんにJ2に昇格しょうかくしたレノファ山口やまぐちFCのコーチに就任しゅうにんした[10]

2017ねん4がつから12がつまで柳本やなぎもと啓成よしなり代表だいひょうつとめるヤナギフィールドにてYF NARA TESOROのU-15の監督かんとく就任しゅうにん。そのとし高円宮たかまどのみやはい奈良ならけん予選よせんではじゅん優勝ゆうしょうみちびいた。

2019ねんカターレ富山とやまのヘッドコーチに就任しゅうにんした[11]

所属しょぞくクラブ

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個人こじん成績せいせき

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国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん リーグはい天皇杯てんのうはい 期間きかん通算つうさん
1995 広島ひろしま - J 6 0 - 0 0 6 0
1996 0 0 0 0 0 0 0 0
1997 21 20 3 0 0 2 0 22 3
1998 15 11 0 4 0 - 15 0
1998 大分おおいた きゅうJFL 0 0 - 3 2 3 2
1999 8 J2 32 1 4 0 3 0 39 1
2000 35 4 2 0 0 0 37 4
2001 28 3 1 0 0 0 29 3
2002 26 4 - 2 0 28 4
2003 川崎かわさき 6 39 1 - 4 0 43 1
2004 5 0 - 0 0 5 0
2005 J1 3 0 2 0 0 0 5 0
2006 かしわ 18 J2 45 2 - 0 0 45 2
2007 J1 21 1 0 0 1 0 22 1
2008 15 0 3 0 3 0 21 0
2009 12 0 2 1 0 0 14 1
2010 金沢かなざわ 8 JFL 21 0 - 2 0 23 0
2011 23 0 - 1 1 24 1
通算つうさん 日本にっぽん J1 88 4 11 1 6 0 105 5
日本にっぽん J2 210 15 7 0 9 0 226 15
日本にっぽん きゅうJFL 0 0 - 3 2 3 2
日本にっぽん JFL 44 0 - 3 1 47 1
そう通算つうさん 342 19 18 1 21 3 381 23

指導しどうれき

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脚注きゃくちゅう

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注記ちゅうき
  1. ^ 広島ひろしま皆実みなみだかの1ねん先輩せんぱい下田しもだたかし同級生どうきゅうせい久保田くぼた智子さとこTBSアナウンサー)、1ねん後輩こうはい金本かなもとけいふとし、2ねん後輩こうはい梅田うめだ直哉なおやためまつだい(2001ねん・2005ねん世界せかい陸上りくじょう400mハードルどうメダリスト)。金本かなもととは広島ひろしま大分おおいた一緒いっしょにプレーしている。
  2. ^ 同期どうき久保くぼ竜彦たつひこ大木おおきつとむ吉村よしむらひかりしめせ西田にしだよしひろし萩野はぎの英明ひであき三浦みうら和俊かずとし水田すいでんがつみつる玉田たまだ真人まさと
  3. ^ 1999ねんJ2最終さいしゅうぶしモンテディオ山形やまがたたたかえ大分おおいた市営しえい陸上りくじょう競技きょうぎじょう)では、アディショナルタイム山形やまがた同点どうてんだんとなるFKをあたえるファールをおかしている。
  4. ^ 1がつおこなわれたイベント「スタートダッシュフェア」で「てん100」をこのとし抱負ほうふとして発表はっぴょう。このとしのリーグせん独走どくそう目標もくひょうとしてこの「てん100」がのこ試合しあいでの目標もくひょう採用さいようされ話題わだいになり、最終さいしゅうてきにはてん105、得点とくてん104をあげた。
  5. ^ 出場しゅつじょうしていない3試合しあいはすべて累積るいせき警告けいこくによるもので、シーズンをとおしての負傷ふしょう欠場けつじょうはなかった。
  6. ^ 山根やまね現役げんえき時代じだい一番いちばんくやしかったおもとして、石崎いしざきかしわ指揮しきった最後さいご公式こうしきせんであるだい88かい天皇杯てんのうはいじゅん優勝ゆうしょうわったことをげている[2]
  7. ^ 石崎いしざき指揮しきをとる札幌さっぽろへの移籍いせきばなしもあったが、札幌さっぽろ中山なかやま雅史まさし獲得かくとく優先ゆうせんさせたためはなしながれたという[2]
出典しゅってん
  1. ^ a b c d 川崎かわさき 2003.
  2. ^ a b c d e f g h i 高橋たかはし 2012, p. 1.
  3. ^ 山根やまね いわお選手せんしゅ移籍いせき加入かにゅう』(プレスリリース)かしわレイソル、2005ねん12月26にちhttp://blog.reysol.co.jp/news/2005/007796.html2016ねん5がつ21にち閲覧えつらん 
  4. ^ 山根やまねいわお選手せんしゅ 移籍いせき合意ごういのおらせ』(プレスリリース)ツエーゲン金沢かなざわ、2010ねん1がつ12にちhttp://www.zweigen-kanazawa.jp/htm/news/20100112.html2016ねん5がつ21にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b 高橋たかはし 2012, p. 2.
  6. ^ 契約けいやく満了まんりょう選手せんしゅのおらせ』(プレスリリース)ツエーゲン金沢かなざわ、2011ねん11月28にちhttp://www.zweigen-kanazawa.jp/news/newsDetail909.html2016ねん5がつ21にち閲覧えつらん 
  7. ^ 山根やまねいわお選手せんしゅ 現役げんえき引退いんたいのおらせ』(プレスリリース)ツエーゲン金沢かなざわ、2012ねん2がつ24にちhttp://www.zweigen-kanazawa.jp/news2012/newsDetail069.html2016ねん5がつ21にち閲覧えつらん 
  8. ^ 高橋たかはし 2012, p. 3.
  9. ^ コーチ紹介しょうかい・や・ら・わぎょう”. 明光めいこうサッカースクール. 2016ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  10. ^ 2016シーズン コーチングスタッフについて』(プレスリリース)レノファ山口やまぐちFC、2016ねん1がつ11にちhttp://www.renofa.com/archives/6605/2016ねん1がつ11にち閲覧えつらん 
  11. ^ 山根やまねいわお トップチームヘッドコーチ就任しゅうにんのおらせ』(プレスリリース)カターレ富山とやま、2018ねん12がつ10日とおかhttp://www.kataller.co.jp/news/2018/1210_3.html2018ねん12がつ10日とおか閲覧えつらん 

参考さんこう資料しりょう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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