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おかふもと

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おか ふもと(おか ふもと、1877ねん明治めいじ10ねん3月3にち - 1951ねん昭和しょうわ26ねん9月7にち)は、歌人かじん書家しょか東京とうきょう本郷ほんごう湯島ゆしままれ。本名ほんみょう三郎さぶろうしょごう三谷みたに(さんこく)、俳号はいごうかさだに(さんこく)。

経歴けいれき

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徳川とくがわ幕府ばくふおく医師いし家系かけいまれる。おかくぬぎせんいん祖父そふ東京とうきょう府立ふりついちちゅうげん東京とうきょう都立とりつ日比谷ひびや高等こうとう学校がっこう中退ちゅうたい木村きむら正辞まさこと校長こうちょう落合おちあい直文なおふみなどが教授きょうじゅつとめていた私塾しじゅくだいはちしゅう学校がっこうかよう。ついで宝田たからだ通文みちふみ和歌わか古典こてんを、多田ただ親愛しんあいしょまなんだ。かなりの箱入はこい息子むすこであったらしく、17さいのとき香取かとり秀真ほずま一緒いっしょ国学こくがく勉強べんきょうにしにこうとさそわれたところ、「交際こうさいするのはこれまで自宅じたく訪問ほうもんしたひとだけだった。こうして自分じぶんからうのははじめてだ」とこたえたという。また、津田つだ青楓せいふうには「おかさんは財産ざいさん蕩尽とうじんしてったげい」とひょうされている[1]

伊藤いとう左千夫さちおったことをきっかけに、1899ねん明治めいじ32ねん正岡子規まさおかしき入門にゅうもんし、根岸ねぎし短歌たんかかい創設そうせつ参加さんか1903ねん明治めいじ36ねん)「馬酔木あしび編集へんしゅう同人どうじんとなる。長塚ながつかたかし斎藤さいとう茂吉しげよし島木しまき赤彦あかひこらとい、1916ねん大正たいしょう5ねん)より『アララギ』にうた発表はっぴょう1926ねん大正たいしょう15ねん)、処女しょじょ歌集かしゅうにわこけ』を刊行かんこう

1945ねん昭和しょうわ20ねん)、『アララギ』のうたともたよって長野ながのけん安曇あずみ疎開そかい戦後せんご1948ねん昭和しょうわ23ねん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいんに、1951ねん正月しょうがつには歌会うたかいはじめ召人となったが、帰京ききょうはせず同地どうちくなった。

著書ちょしょ

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  • にわこけ 古今ここん書院しょいん 1926ねん(アララギ叢書そうしょ
  • あさくも 岩波書店いわなみしょてん 1936ねん(アララギ叢書そうしょ
  • しょう笹生さそう 岩波書店いわなみしょてん 1937ねん(アララギ叢書そうしょ
  • 新選しんせんおかふもとしゅう 新潮社しんちょうしゃ 1940ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 入信にゅうしん歌稿かこう だい1へん 涌井わくい 白玉しらたま書房しょぼう 1948ねん
  • 入信にゅうしん歌稿かこう だい2へん 冬空ふゆぞら よう書房しょぼう 1950ねん
  • おかふもとぜん歌集かしゅう 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1952ねん
  • 宿やどすみ詠草よみくさ 白玉しらたま書房しょぼう 1957ねん
  • 正岡子規まさおかしき 白玉しらたま書房しょぼう 1963ねん
  • おかふもと著作ちょさくしゅう ぜん7かん 白玉しらたま書房しょぼう 1966ねん-1972ねん中野なかの久雄ひさお筆談ひつだんほか
  • 大根だいこん 信濃しなの歌稿かこう 柳沢やぎさわしょえん 1970ねん
  • おかふもと遺墨いぼくしゅう 明治めいじ書院しょいん 1996ねん
こうちゅう
  • 入木道じゅぼくどうさんしゅう 本朝ほんちょう能書のうがきでんこうちゅう岩波いわなみ文庫ぶんこ 1931ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 小高おだかけんへん近代きんだい短歌たんか鑑賞かんしょう77』新書しんしょかん、2002、44p。