岩崎いわさきあきらしん

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岩崎いわさき あきらしん(いわさき ひろまさ、1963ねん - )は日本にっぽんプログラマーおよびメディアワークスのゲーム雑誌ざっし中心ちゅうしん活動かつどうするライターである。活動かつどうさい、「いわさきひろまさ」の表記ひょうき使用しようする場合ばあいおおい。もとアミューズ所属しょぞく

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1963ねん京都きょうと出身しゅっしん京都教育大学きょうときょういくだいがく附属ふぞく高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう。1983ねん大阪歯科大学おおさかしかだいがく入学にゅうがくし1987ねん中退ちゅうたい[1]

大学だいがく在学ざいがくちゅう1985ねんころからCD-iのシステム設計せっけいたずさわる(1987ねんごろまで)。それと前後ぜんごして『Beep』においてライター活動かつどう開始かいしドクトルだみお名義めいぎ当初とうしょはプログラミング記事きじだったが、のちにゲームレビューページとなる)。

1988ねんよりハドソンPCエンジンゲームソフト(おもCD-ROM2SUPER CD-ROM²作品さくひん)のプログラム・演出えんしゅつ担当たんとうする一方いっぽうで、『マルしょうPCエンジン』においてPCエンジンソフトのゲームレビューを担当たんとう現役げんえきのプログラマーとしての視点してん評価ひょうかし、シューティングゲームびいきではあったが、辛口からくち採点さいてんおこなっていた。

1994ねんからメディアワークス活躍かつやくうつし、『電撃でんげきPCエンジン』、『電撃でんげきPlayStation』、『電撃でんげきおう』などでゲームレビューやゲームにかんするコラムを担当たんとう。また、プログラマーであることから電子でんし出版しゅっぱん、オンライン事業じぎょうげなどにかかわった[2]

2007ねん、メディアワークスを退社たいしゃ韓国かんこくのベンチャー企業きぎょうでゲーム開発かいはつたずさわった。

2011ねん8がつにはゲームロフトニュージーランド支部しぶへ1ねん契約けいやく移籍いせきした。すうほんのスマートフォンゲームの制作せいさくたずさわったのち、日本にっぽん帰国きこく[3]

2012ねん12がつごろAppBankGames株式会社かぶしきがいしゃ出向しゅっこう、いくつかのアプリの開発かいはつたずさわる(2013ねん10がつごろ退社たいしゃ)。

そのNAtURAL DOCtRINE』のマルチプレイヤーのバランス調整ちょうせいたずさわる(2013ねん11月~2014ねん2がつ)。

2014ねん3がつからenish所属しょぞくし、2015ねん7がつ1にちけで執行しっこう役員やくいんゲームデザインディレクターに就任しゅうにん[4]するも、2016ねん8がつ退社たいしゃ

2016ねん8がつからはゲームデザインディレクターとして外資がいしゲーム会社かいしゃIGGの日本にっぽん支社ししゃG-BOXに在籍ざいせきしている。

2019ねん5がつ30にち同人どうじん作家さっかであるあいざわひろし入籍にゅうせきしたことをあいざわが公表こうひょうしている。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 『Beep』の連載れんさい記事きじ当初とうしょ「ヤタタウォーズ」ないのコーナーだった。不遜ふそんなキャラクターが一部いちぶ読者どくしゃ反感はんかんい、抗議こうぎ手紙てがみおくられることがあったが、それにたいして岩崎いわさき大人おとなげなく手紙てがみ誤字ごじをあげつらったため、スタッフにさえられるというシーンが「ヤタタウォーズ」ない漫画まんがえがかれた。
  • 1989ねんにハドソンで仕事しごとをしていた時期じきに、PCエンジンばん『イースI・II』の移植いしょくかかわっていた。ただし岩崎いわさき自身じしんは、あくまでPCエンジンばん開発かいはつしゃであり、オリジナルのイースシリーズの開発かいはつにはタッチしていない。
  • 1995ねん3DOにて発売はつばいされた『ポリスノーツ パイロットディスク』に出演しゅつえんしている。『ポリスノーツ』についてのインタビューをけており、その様子ようす動画どうが収録しゅうろくされている。
  • 自他じたどもみとめるシューティングゲームファンであることから、シューティングゲームのレビューにおいては、評者ひょうしゃのゲームとくらべややあまめの評価ひょうかおこなっていた。もともと評価ひょうかたかかったものの、PCエンジンばんグラディウスII -GOFERの野望やぼう-』をだい絶賛ぜっさんしていた。
  • PCエンジンばん『イースI・II』にて演出えんしゅつ担当たんとう。PCエンジンばんオリジナル要素ようそとして、「会話かいわシーンに女性じょせいキャラクターのかおをアップにしたCGを挿入そうにゅう」した。それによりのちのPCエンジンソフトの美少女びしょうじょゲーム路線ろせん確立かくりつしたと揶揄やゆされることもあったが、その手法しゅほう以後いご多数たすうのゲームソフトでも利用りようされ、現在げんざいでは一般いっぱんてきなゲームの表現ひょうげん方法ほうほうとして普及ふきゅうしている[5]
  • PCエンジンばん『イースI・II』の音楽おんがくをCD音源おんげんらし、アレンジを米光よねみつあきら依頼いらいすることをめた。FM音源おんげん直接ちょくせつ収録しゅうろくかんがえたが、『イース』をはじめてPCエンジンでプレイするユーザーにオリジナルをかせても感動かんどうはしないとかんがえ、アレンジきょく決定けっていした。当時とうじファルコムのゲームミュージックのアレンジをおこなっていた難波なんば弘之ひろゆきではなく、米光よねみつえらばれた理由りゆうは、キングレコードのミュージックフロムイースのアレンジに感動かんどうしたからだとかたっている。
  • PCエンジンばん『イースI・II』のパスワード入力にゅうりょく画面がめんにおいて「いわさきひろまさ」と入力にゅうりょくすることで、ゲームない音楽おんがくなどをくことができるうらわざがある。
  • PCエンジンばんときめきメモリアル』の評価ひょうかに100てん満点まんてんあたえた人物じんぶつとして話題わだいがることがおおいが、正確せいかくには総合そうごうてんとしては95てんである。岩崎いわさき自身じしんも『電撃でんげきPCエンジン』1994ねん12がつごう掲載けいさい座談ざだんかいにおいて「これ(『ときめきメモリアル』)に100てんつけなかったら、100てんつけるゲームないかもしんないなぁとおもったけど、微妙びみょうなところで、どうしても100てんつかなかったんだよね」とこたえている。ただし、項目こうもくべつ評価ひょうか(グラフィック・サウンド・操作性そうさせいわる・ゲームバランス・オリジナリティ・コストパフォーマンス)ではすべての項目こうもくにおいて満点まんてんである「5」をあたえていた。またどうジャンルの同人どうじん原案げんあんもこのころはじめている。
  • Wikipediaが要求ようきゅうする検証けんしょう可能かのうせいについては否定ひていてき観点かんてん一方いっぽう、PCエンジンばん『イースI・II』の制作せいさく当時とうじのことをブログにくようになった理由りゆうとしてもげており[6]、またブログちゅうでは当時とうじはんにおける記述きじゅつ内容ないようへの指摘してきなどもおこなっている。
  • 2016ねん12月17にちもとAppbankGames社長しゃちょう宮川みやがわ義之よしゆきたいして名誉めいよ毀損きそん訴訟そしょうし、名誉めいよ毀損きそん事実無根じじつむこん侮蔑ぶべつ表現ひょうげん認定にんていされ、当該とうがい記事きじ削除さくじょ謝罪しゃざいぶん掲載けいさいされたことが報告ほうこくされた[7]
  • 2022ねん11月刊行かんこう岩崎いわさき夏海なつみちょゲームの歴史れきし』について、直後ちょくごから検証けんしょうおこなっており、多数たすう事実じじつ誤認ごにん指摘してきしている[8]よく2023ねん3がつになり報道ほうどうされる事態じたいとなった[9]

かかわったゲーム作品さくひん[編集へんしゅう]

関連かんれん人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 学歴がくれきについては岩崎いわさきあきら本人ほんにんFacebookページを参照さんしょうした。
  2. ^ 電撃でんげきPlayStation D』などの雑誌ざっし付録ふろくのCD-ROM製作せいさく担当たんとうしていた。
  3. ^ 海外かいがいでの活動かつどうについては、SECCON 2015 x CEDEC CHALLENGE ゲームクラッキング&チートチャレンジ講師こうしプロフィールを参照さんしょうした。
  4. ^ enishの人事じんじ異動いどう岩崎いわさきあきらしん執行しっこう役員やくいんゲームデザインディレクターに就任しゅうにん』(プレスリリース)enish、2015ねん6がつ26にちhttps://gamebiz.jp/news/1458072023ねん8がつ26にち閲覧えつらん 
  5. ^ 多摩たまゆたか次世代じせだいRPGはこーなる!』(電撃でんげきゲーム文庫ぶんこ、1995ねん)に「岩崎いわさきあきらしん演出えんしゅつ方法ほうほう」(pp. 85–91)の項目こうもくがある。
  6. ^ 岩崎いわさきあきらしん (2010ねん3がつ16にち). “21ねんまえこといておこうとおもったワケ”. Colorful Pieces of Game. 2023ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ 岩崎いわさきあきらしん. “らせ。名誉めいよ毀損きそんなどが認定にんていされました”. Colorful Pieces of Game. 2016ねん12月17にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2023ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ 岩崎いわさきあきらしん (2023ねん2がつ15にち). “書籍しょせき「ゲームの歴史れきし」について(1)”. Colorful Pieces of Game. 2023ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  9. ^ 谷井たにい将人まさと (2023ねん3がつ16にち). “書籍しょせき「ゲームの歴史れきし」にツッコミ相次あいつぐ 「内容ないよう事実じじつことなる」とのこえ 講談社こうだんしゃは「確認かくにんちゅう”. ITmedia NEWS. 2023ねん8がつ26にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • PCエンジンばん 天外てんがい魔境まきょうII まんじMARU(発売はつばい発行はっこう:ハドソンソフト、マニュアル P.46)
  • ちょうクソゲー(発行はっこう太田出版おおたしゅっぱん著者ちょしゃ阿部あべ広樹ひろきもと進一しんいち 、P.86 ドキュメント 「ときメモ会議かいぎしつ」)
  • 電撃でんげきPCエンジン(1994ねん12がつごう P.175「レビュー委員いいんかいSPECIAL座談ざだんかいII」)

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]