嶺 松 院
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生涯
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関連 作品
[脚注
[注釈
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小和田 哲男 編 『戦国 大名 閨 閥 事典 』(新人物往来社 、1996年 )今川 氏 の章 (執筆 者 :小和田 美智子 )は、天文 10年 (1541年 )生 まれとする。12歳 で結婚 、27歳 で夫 を失 い、72歳 で死去 した計算 になる。 - ^ 「此年〔
天文 21年 〕霜月 廿 七 日 、駿河 義元 御 息女 様 ヲ甲州 晴信 様 御 嫡武田 大吉 〔義信 〕殿様 ノ御前 ニナホシ被 食 候 」[3]、「〔同 11月 〕廿 七 日 乙 巳 、酉 戌 ノ刻 府中 〔甲府 〕穴山 宿 へ御 着 。子 丑 ノ刻 御新造 ヘ御 移 リ」[4]。 - ^ ほか、
江戸 後期 に成立 した『甲斐 国 志 』では女子 二 人 を記 している。園 光 院 には同腹 の姉妹 が一人 いたともいう。熊本 藩 細川 家 に仕 えた岩間 家 は、祖 の岩間 正成 が義信 と今川 氏 (嶺 松 院 )の子 であるとしている。 - ^
近年 、黒田 基樹 は信玄 と義信 の間 の外交 方針 の対立 を疑問 視 し、家督 継承 を含 めた内政 問題 が原因 ではないかとする新説 を唱 えている[7]。 - ^
黒田 基樹 は義信 事件 の性質 上 信玄 も義信 を廃嫡 せざるを得 ないことを理解 していた筈 であるが、廃嫡 となると嶺 松 院 と離縁 となってそのまま今川 氏 との婚姻 同盟 が消滅 してしまうこと(新 しい婚姻 関係 を結 び直 そうにも当時 の今川 氏 には婚姻 が可能 な未婚 の子女 がいない)、また義信 を廃嫡 した場合 の後継 者 の選定 の問題 もあって廃嫡 (及 びそれに伴 う義信 と嶺 松 院 の離縁 )を決断 できなかった可能 性 もあるとしている[8]。 - ^
平山 優 氏 「切腹 だったのか、病死 だったのか、これまで二 説 に分 かれていましたが、このほど大河 ドラマ『真田 丸 』でも時代 考証 を担当 されていた黒田 基樹 氏 により新 史料 が発掘 されまして病死 だという事 が明 らかになりました」 NHK大河 ドラマ「どうする家康 」コラム大河 と歴史 の裏話 『文化 人 としての武田 信玄 ・今川 義元 を描 く』2023年 6月 25日
出典
[- ^
大石 2018, p. 134. - ^
大石 2018, p. 277. - ^ 『
妙法寺 記 』[要 ページ番号 ] - ^ 『
高 白 斎 記 』[要 ページ番号 ] - ^ 「
戦国 北条 フェスオフィシャルブックvol.1」2024年 1月 7日 『武田 信玄 ・勝頼 の対 北条 氏 外交 と戦略 』平山 優 p.27 - ^
大石 2018, p. 270. - ^
黒田 基樹 『武田 信玄 の妻 、三条 殿 』東京 堂 出版 、2022年 7月 、203-210頁 。ISBN 978-4-490-21069-9。 - ^
黒田 基樹 『武田 信玄 の妻 、三条 殿 』東京 堂 出版 、2022年 7月 、217-220頁 。ISBN 978-4-490-21069-9。 - ^
黒田 基樹 『武田 信玄 の妻 、三条 殿 』東京 堂 出版 、2022年 7月 、50-51頁 。ISBN 978-4-490-21069-9。 - ^ 『「
時代 を駆 け抜 けた戦国 武将 たち~武田 信玄 の新 研究 ・義信 事件 を考 える」講師 は、2016年 NHK大河 ドラマ「真田 丸 」の時代 考証 を担当 された駿河台大学 教授 の黒田 基樹 先生 。重要 史料 によれば、義信 は病死 であった。これにより事件 の背景 や事件 への信玄 の処置 についての理解 は、大 きく考 え直 さなければならない。事件 について新 たな見解 を提示 し、真実 に迫 る。』武田 信玄 の新 研究 【NHKカルチャーオンデマンド講座 】2022年 4月 22日 - ^ 「
永 禄 10年 というと、甲斐 国 の武田 信玄 の嫡男 ・義信 が病死 した年 でもありました。」【豊臣 秀頼 が出馬 していれば家康 を打 ち取 れたかもしれない家康 に切腹 を覚悟 させた真田 信繁 のツワモノぶり…大坂 夏 の陣 で家康 本陣 を切 り崩 したラストサムライの最期 】2023.12.04濱田 浩 一郎 氏 - ^ 「
永 禄 10年 (1567年 )に病死 。」【徳川 家康 が「武田 信玄 」に心 開 かなかった複雑 事情 】2023/02/26濱田 浩 一郎 氏 - ^ a b
大石 2018, pp. 271–272. - ^ 「
戦国 北条 フェスオフィシャルブックvol.1」2024年 1月 7日 『武田 信玄 ・勝頼 の対 北条 氏 外交 と戦略 』平山 優 p.27 - ^
大石 2018, p. 272. - ^
黒田 基樹 『武田 信玄 の妻 、三条 殿 』東京 堂 出版 、2022年 7月 、220-222頁 。ISBN 978-4-490-21069-9。 - ^ 『
史料 綜覧 』 - ^ a b c 「
戦国 北条 フェスオフィシャルブックvol.1」2024年 1月 7日 『武田 信玄 ・勝頼 の対 北条 氏 外交 と戦略 』平山 優 p.27 - ^ “かつての
抗 争 相手 の妹 を徳川 秀忠 の「育 ての親 」に家康 は今川 家 を頼 りにしていたのか”. AERA dot. (2023年 8月 27日 ). 2023年 9月 5日 閲覧 。 - ^ “
信長 でも秀吉 でも信玄 でもない…「徳川 家康 にもっとも影響 を与 えた戦国 大名 」の数奇 な生涯 ”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2023年 5月 4日 ). 2023年 12月14日 閲覧 。 - ^
観 泉寺 史 編纂 刊行 委員 会 1974, p. 74. - ^ 『
言 緒 公 記 』慶長 16年 10月 20日 条 - ^
小林 輝久 彦「今川 氏 女 嶺 松 院 について」『静岡 県 地域 史 研究 会報 』210号 、2017年 。/所収 :黒田 基樹 編 『今川 氏真 』戎 光 祥 出版 〈中世 関東 武士 の研究 第 三 五 巻 〉、2023年 9月 、244-245頁 。ISBN 978-4-86403-485-2。