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常磐ときわまつまち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

常磐ときわまつまち(ときわまつちょう)は、かつて東京とうきょう渋谷しぶやにあった町名ちょうめいである。現在げんざいひがし1丁目ちょうめひがし4丁目ちょうめ渋谷しぶや4丁目ちょうめ広尾ひろお3丁目ちょうめにまたがる[1]

概要がいよう

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1928ねん昭和しょうわ3ねん)に設置せっちされた[2]きゅう地名ちめいである東京とうきょうゆたか多摩たまぐん渋谷しぶやまち大字だいじ渋谷しぶや常磐ときわまつ由来ゆらいする。

常磐ときわまつ地名ちめい由来ゆらいは、ふるくからのこのに「千両せんりょう値打ねうちがくほどの銘木めいぼく」と賞賛しょうさんされていたまつ古木ふるき、「常磐ときわまつ」があったことによる[2]。もとの漢字かんじ表記ひょうきは「常盤ときわ」であったが、「さられるから」と、「常磐ときわ」とあらためられた[2]

この一帯いったいには幕末ばくまつ薩摩さつまはん島津しまつ地所じしょであり、これが明治めいじ時代じだい以降いこう1912ねん明治めいじ45ねんごろまで皇室こうしつの「御料ごりょう乳牛にゅうぎゅうじょう」となっていた[3]大正たいしょう時代じだいはじごろまでの地形ちけいによれば、「御料ごりょう乳牛にゅうぎゅうじょう」は現在げんざい常陸宮ひたちのみやていから青山学院あおやまがくいん初等しょとうにかけて所在しょざいし、ここでとれる牛乳ぎゅうにゅう皇室こうしつ献上けんじょうされていた[2]

1966ねん昭和しょうわ41ねん)4がつ1にち住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっし町名ちょうめい変更へんこうにより、一部いちぶ道路どうろじきのぞいてひがし渋谷しぶや分割ぶんかつされ事実じじつじょう消滅しょうめつした[2]残余ざんよ同年どうねん7がつ1にち広尾ひろお3丁目ちょうめ吸収きゅうしゅう)。しん町名ちょうめいが「ひがし」という記号きごうてきなものになったのは、しん町名ちょうめいめぐって常磐ときわまつまち氷川ひかわまち渋谷しぶや氷川神社ひかわじんじゃ由来ゆらいする)の住民じゅうみん対立たいりつしたため、やはり両町りょうちょう合併がっぺいすることになっていた恵比寿えびすひがしから「恵比寿えびす」をいた妥協だきょうあん採用さいようしたためである。現在げんざい常磐ときわまつ地名ちめいは、かつてのまちいきつビルやマンション名称めいしょうなどにかんされているのがみられるほか、渋谷しぶや区立くりつ常磐ときわまつ小学校しょうがっこう名前なまえのこっている。

常陸宮ひたちのみやてい

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常陸宮ひたちのみやてい常盤ひたちまつ御用邸ごようてい)のもり

1964ねん昭和しょうわ39ねんせいじん親王しんのう常陸宮ひたちのみや創設そうせつするにあたり、みやてい常磐ときわまつまち常盤ときわまつ御殿ごてんきゅう東伏見ひがしふしみみややしき)にさだめられた。常盤ときわまつ御殿ごてんはそれまで、せいじん親王しんのうあにである皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう明仁あきひと上皇じょうこう)の東宮御所とうぐうごしょであった[4]

常磐ときわまつ存在そんざいしたしょ学校がっこう

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東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがく前身ぜんしんであるだい日本にっぽんのうかい附属ふぞく私立しりつ東京とうきょうのう学校がっこうは1898ねん明治めいじ31ねん)10がつ常磐ときわまつ御料地ごりょうち移転いてん開校かいこう常磐ときわまつ校舎こうしゃ)した。1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ25にちアメリカぐんによる東京とうきょうだい空襲くうしゅうによりだい部分ぶぶん焼失しょうしつ戦後せんごこう青山学院あおやまがくいん売却ばいきゃくして世田谷せたがや移転いてんした。青山学院あおやまがくいん現在げんざい当地とうち校舎こうしゃ設置せっちしている。

國學院大學こくがくいんだいがくとその母体ぼたいであるすめらぎてん講究こうきゅうしょは、1923ねん大正たいしょう12ねん)に麹町こうじまち飯田いいだまちげん千代田ちよだ飯田橋いいだばし)から、常磐ときわまつ御料地ごりょうち(のちの常磐ときわまつまち常磐ときわまつこうおよ道路どうろはさんで隣接りんせつする氷川ひかわうら御料地ごりょうち(のちの若木わかぎまち若木わかぎこう)へ移転いてんし、現在げんざいまで当地とうち設置せっちされている。

実践じっせん女子じょし学園がくえん前身ぜんしんとなる実践じっせん女学校じょがっこう女子じょし工芸こうげい学校がっこうは1903ねん明治めいじ36ねん常磐ときわまつ御料地ごりょうち渋谷しぶやこう)に移転いてんした[5]実践女子大学じっせんじょしだいがく実践女子大学じっせんじょしだいがく短期大学たんきだいがくは1986ねん昭和しょうわ61ねん)に都下とか日野ひの移転いてんしたが、実践じっせん女子じょし学園中がくえんなか学校がっこう高等こうとう学校がっこう現在げんざい当地とうち設置せっちされている。2014ねん平成へいせい26ねん)、大学だいがく文学部ぶんがくぶ人間にんげん社会学部しゃかいがくぶ実践女子大学じっせんじょしだいがく短期大学たんきだいがく渋谷しぶや移転いてん。また大学だいがく短期大学たんきだいがく毎年まいとし10がつ渋谷しぶやキャンパス)、11月(日野ひのキャンパス)にひらけさいされる学園がくえんさい現在げんざいも「常磐ときわさい」としょうされている。

トキワまつ学園がくえん1916ねん大正たいしょう5ねん)、常磐ときわまつ女学校じょがっこうとして常磐ときわまつ1番地ばんち設立せつりつされた[6]東京とうきょうだい空襲くうしゅうけて校舎こうしゃ焼失しょうしつ[6]1948ねん昭和しょうわ23ねん)に目黒めぐろ碑文谷ひもんや移転いてんした。

常磐ときわまつ

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常磐ときわまつまち由来ゆらいとなったまつは、大正たいしょう地形ちけいによれば現在げんざい高松宮たかまつのみやていうち用地ようちにあった。このまつ見事みごと枝振えだぶりの老木ろうぼくで、その由来ゆらいには源義朝みなもとのよしとも側室そくしつ常磐ときわ御前ごぜんえたというせつと、世田谷せたがや城主じょうしゅ吉良きら頼康よりやす側室そくしつ常盤ときわえたというせつせつがあった[3]

そのまつ東京とうきょうだい空襲くうしゅう被害ひがいけて焼失しょうしつ[2]戦後せんごあらたなまつえられ、現在げんざい渋谷しぶや渋谷しぶやひがし4-4-9にある薩摩さつまはんによっててられた「常磐ときわまついしぶみ」のかたわらにあらたに存在そんざいする[3]

東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがくスクールカラーは「松葉まつばみどり(まつばみどり)」とばれる緑色みどりいろであるが、これは常磐ときわまつ緑色みどりいろ由来ゆらいする。また、どう大学だいがく応援おうえん青山あおやまほとり」(通称つうしょう大根だいこんおどり)のうたしは、“青山あおやまほとり常盤ときわまつ”である。

常磐ときわまつえんのある人物じんぶつ

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江戸えど時代じだい末期まっき天璋院てんしょういんあつしひめは、将軍しょうぐん徳川とくがわ家定いえさだへの輿入こしいれのために国元くにもとから出府しゅっぷしたさい生活せいかつしていた三田みた薩摩さつまはん上屋敷かみやしき安政あんせいだい地震じしん被災ひさいしたため、当地とうち所在しょざいした渋谷しぶや下屋敷しもやしき居住きょじゅうして輿入こしいれした。

戦前せんぜんげんようしゃ頭山とうやまみつる屋敷やしきや、おおやけぞくかぎ桃山ももやまけんいち)と佳子けいこ松平まつだいら佳子けいこ夫妻ふさいだい邸宅ていたくがあった。

作家さっか志賀しが直哉なおや1955ねん昭和しょうわ30ねん)より当地とうちらした[7]作家さっか今井いまい達夫たつお慶応大学けいおうだいがく在学ざいがくちゅう常磐ときわまつ下宿げしゅく生活せいかつおくっていた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 渋谷しぶや町名ちょうめい地番ちばん変遷へんせん 渋谷しぶや区立くりつ図書館としょかん平成へいせい30ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f 今尾いまおめぐみかいうしなわれた地名ちめいがかりに東京とうきょうまちあるき」特集とくしゅう東京とうきょう地名ちめい まちそれぞれの物語ものがたり東京とうきょうじん』(都市とし出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃだい20かんだい5ごう平成へいせい17ねん5がつ3にち発行はっこう
  3. ^ a b c 妙円寺みょうえんじ江戸えど東京とうきょう歴史れきし散歩道さんぽみち5』まちらししゃ平成へいせい15ねん7がつ1にち発行はっこう
  4. ^ 東京とうきょうふるさと文庫ぶんこ11 東京とうきょうにふるさとをつくるかいへん渋谷しぶや歴史れきし名著めいちょ出版しゅっぱん昭和しょうわ53ねん9がつ30にち発行はっこう p248
  5. ^ 実践女子大学じっせんじょしだいがく文芸ぶんげい資料しりょう研究けんきゅうしつへん実践女子大学じっせんじょしだいがく所蔵しょぞう貴重きちょうしょ図録ずろく : 実践じっせん女子じょし学園がくえん創立そうりついち周年しゅうねん記念きねん学校がっこう法人ほうじん 実践じっせん女子じょし学園がくえん、201951、20ぺーじ 
  6. ^ a b 沿革えんかく トキワまつ学園中がくえんなか学校がっこう高等こうとう学校がっこうのウェブサイト、平成へいせい24ねん3がつ12にち閲覧えつらん
  7. ^ 図説ずせつ渋谷しぶや区史くし研究けんきゅうかい図説ずせつ渋谷しぶや区史くし渋谷しぶや、2003ねん3がつ、170ぺーじ