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ひら禅門ぜんもんらん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ひら禅門ぜんもんらん(へいぜんもんのらん)は、鎌倉かまくら時代ときよ後期こうきせいおう6ねん4がつ22にち1293ねん5月29にち)に鎌倉かまくらこった政変せいへん平頼綱たいらのよりつならんとも[1]もと退しりぞけた8だい執権しっけん北条ほうじょう時宗じしゅう死去しきょ北条ほうじょうとくむねいえうち管領かんりょうとして、幕府ばくふ実権じっけんにぎった平頼綱たいらのよりつなが、主君しゅくんである9だい執権しっけん北条ほうじょう貞時さだときによってほろぼされた事件じけん

概要がいよう[編集へんしゅう]

もと退しりぞけた8だい執権しっけん北条ほうじょう時宗じしゅうが34さいわかさで死去しきょし、その貞時さだときが9だい執権しっけんとなったよく弘安ひろやす8ねん1285ねん)、とく宗家そうけ執事しつじである平頼綱たいらのよりつなは、政治せいじ路線ろせん対立たいりつしていた有力ゆうりょく御家人ごけにん安達あだち泰盛やすもりとその一族いちぞく、および泰盛やすもり御家人ごけにん霜月しもづき騒動そうどうで討滅した。そのしばらくは、頼綱よりつな追加ついかほう頻繁ひんぱんすなど手続てつづきを重視じゅうしした政治せいじ運営うんえいおこなっていたが、弘安ひろやす10ねん1287ねん)に、7だい将軍しょうぐんみなもとおもんみかんたて親王しんのうしておもんみかん親王しんのうとなった時期じき政治せいじ姿勢しせい一変いっぺんさせ、とくむね専制せんせいへと邁進まいしんした(ただし、五味ごみ文彦ふみひこせつのように、安達あだち泰盛やすもりむね外戚がいせき立場たちばにあり、泰盛やすもり主導しゅどうした一連いちれん法令ほうれいとくむね権力けんりょく強化きょうかするものとしてとらえ、とくむね専制せんせい始期しき弘安ひろやす徳政とくせいもとめる見解けんかいもある)[2]

貞時さだときは、自身じしん乳母うばちちでもある頼綱よりつなささえられてみずからを頂点ちょうてんとするとくむね専制せんせい体制たいせいいたが、頼綱よりつな権勢けんせい不安ふあんいだくようになる。ついにせいおう6ねん1293ねん)、鎌倉かまくらだい地震じしん(4がつ12にち)の混乱こんらんじょうじて貞時さだとき鎌倉かまくらけいだに頼綱よりつなていへの襲撃しゅうげきめいじ、頼綱よりつなはなって自害じがいし、その飯沼いいぬまむねたれ、のこされた一族いちぞく93めいもことごとく自害じがいもしくは処刑しょけいされた。混乱こんらんなか貞時さだときむすめ2にん死亡しぼうしている。霜月しもつき騒動そうどう影響えいきょう甚大じんだいさにたいし、ひら禅門ぜんもんらんはあっけなくわった。この政変せいへんとそのまえこった鎌倉かまくらだい地震じしんに、せいおう年号ねんごうは8がつえいひとし改元かいげんされた。

れきあいだ』によると、頼綱よりつな不和ふわだった嫡男ちゃくなんひらそうつなが「頼綱よりつな次男じなんむね将軍しょうぐんにしようとしている」と貞時さだとき讒訴ざんそしたという。予兆よちょうがあったのか、頼綱よりつなはかつて泰盛やすもり調伏ちょうぶく祈祷きとう依頼いらいした山門さんもん護持ごじそうに、「世上せじょうこわかしこ」として自身じしん安全あんぜんいのらせている。

以後いご頼綱よりつな一族いちぞく御内おんうちじん勢力せいりょく一時いちじ後退こうたいして、貞時さだとき専制せんせい政治せいじはじまる。金沢かなざわあらわとき安達あだちなど霜月しもつき騒動そうどう没落ぼつらく余儀よぎなくされた勢力せいりょく徐々じょじょ幕府ばくふ中枢ちゅうすう復帰ふっきしたほか矢野やのりんけいなど貞時さだときちか法曹ほうそう官僚かんりょう重用じゅうようされた。また、頼綱よりつな一族いちぞくでも頼綱よりつなおとうと(または従兄弟いとこ)とされる長崎ながさきこうつなつづ貞時さだとき重用じゅうようされた。

おやげん僧正そうじょう日記にっき』によれば、えいひとし2ねん1294ねん)4がつ21にちよく22にちらんから1ねんにあたる)に貞時さだときしんげん幕府ばくふ護持ごじそう久我くがとおるただし)にたいして、「追善ついぜん目的もくてきではない」とことわりつつも頼綱よりつな一門いちもんのためにいのらせている[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 現在げんざい高校こうこう日本にっぽん教科書きょうかしょ資料集しりょうしゅうには平頼綱たいらのよりつならん表記ひょうきされている。
  2. ^ 五味ごみ霜月しもつき騒動そうどうそう権力けんりょく内部ないぶこうそうとらえる(五味ごみとくむね専制せんせい政治せいじ」『国史こくしだい辞典じてんだい10かん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1989ねん P313-314)。
  3. ^ 高橋たかはしまき一朗いちろう ちょ「『おやげん僧正そうじょう日記にっき』とそう被官ひかん」、五味ごみ文彦ふみひこ へん日記にっき中世ちゅうせいむ』吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1998ねん /所収しょしゅう:高橋たかはしまき一朗いちろう日本にっぽん中世ちゅうせい権力けんりょく寺院じいん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2016ねんISBN 978-4-642-02932-2 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]