度量衡どりょうこう

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度量衡どりょうこう(どりょうこう)は、租税そぜい貨幣かへい土地とち制度せいどなどの確立かくりつのため、計量けいりょうもちいるながさ()・体積たいせきりょう)・おもさ(衡)の基準きじゅんさだめた制度せいど[1]

意義いぎ[編集へんしゅう]

人類じんるいりょう観念かんねんかず観念かんねん並行へいこうして発達はったつしてきた[2]字義じぎてきには、は「なが」および「さし(ものさし)」、りょうは「体積たいせき」および「ますます、ます)」、は「質量しつりょう」および「ばかり(はかり)」をあらわしている。

度量衡どりょうこう制度せいどとく国内こくないいちりつ徴税ちょうぜい金貨きんか銀貨ぎんかなどの秤量ひょうりょう貨幣かへい正確せいかく計量けいりょうおも目的もくてきであった[1]計量けいりょう客観きゃっかんてき基準きじゅんがなければ困難こんなんであり、計量けいりょう基準きじゅんには時間じかんてき普遍ふへんせい空間くうかんてき不変ふへんせい再現さいげんせいがなければならない[2]

度量衡どりょうこう制度せいどは、支配しはいしゃ徴税ちょうぜい基準きじゅんさだめたり、だい規模きぼ建築けんちくおこなったり、天文てんもん気象きしょう知識ちしきもとづく権威けんい保持ほじのためにもちいられてきた[2]。しかし、いったん定着ていちゃくして慣習かんしゅうすると強大きょうだい権力けんりょくでも変更へんこう困難こんなんとなり、復古ふっこによって度量衡どりょうこう統一とういつすることがかえされた[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

トル法とるほう一般いっぱんてきになるまで、黄河こうが流域りゅういき源流げんりゅうとするものと、チグリス・ユーフラテスおよびナイルがわ源流げんりゅうとするもののふたつがあり、それぞれおおきさや名称めいしょうにおいておおくの共通きょうつうてんをもっている[2]

西洋せいよう[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん5000ねんから4000ねんごろ古代こだいバビロニアでは高度こうど度量衡どりょうこう制度せいど創設そうせつされており、時間じかん角度かくど係数けいすうほう現代げんだいでも世界せかいてきもちいられている[1][2]古代こだいバビロニアでは最初さいしょ計数けいすうほうにも度量衡どりょうこうにも十進法じっしんほう使用しようしていたが、やがて時間じかん角度かくど貨幣かへいふくめて60しんほう使用しようするようになった[2]

東洋とうよう[編集へんしゅう]

黄河こうが流域りゅういきでは紀元前きげんぜん1700ねんごろには度量衡どりょうこう制度せいどがあった痕跡こんせきみとめられている[1]古代こだい中国ちゅうごく度量衡どりょうこう制度せいど紀元前きげんぜん221ねん始皇帝しこうていによって統一とういつされた[1][2]。ただし、単位たんいけい整備せいびされたのはおうのときとされており、りゅう歆(りゅういん)により十進法じっしんほう単位たんいけいてられた[2]

日本にっぽんでは701ねん大宝たいほう元年がんねん)にとう律令りつりょう制度せいど手本てほんにして大宝たいほう律令りつりょうさだめられた度量衡どりょうこう最初さいしょのものである[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 東京とうきょう計量けいりょう検定けんていしょ. “計量けいりょう制度せいど歴史れきし国民こくみん生活せいかつ 2019.7)”. 国民こくみん生活せいかつセンター. 2020ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i 小泉こいずみ袈裟けさしょう尺度しゃくど歴史れきし : I.東西とうざいゆう制度せいど源流げんりゅう」『精密せいみつ機械きかいだい26かんだい311ごう精密せいみつこう学会がっかい、1960ねん、715-718ぺーじdoi:10.2493/jjspe1933.26.7152020ねん7がつ22にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]