延徳 春
生涯
[生 い立 ちと戦前 の活動
[1916
1941
1943
戦後 韓国 での活動
[1956
1958
備考
[日本 オープンゴルフ選手権 競技 で1933年 (第 2回 )から使用 された優勝 カップ[注釈 6]は、1941年 の大会 で優勝 した延徳 春 によって京 城 に持 ち帰 られた[9]。その後 カップは行方 不明 となっており、戦後 に再 び競技 のため来日 するようになった延 も、カップについては一切 語 らなかったという[9][7]。第 二 次 世界 大戦 中 に保全 を期 して地中 に埋 めたとも伝 えられるが[9]、戦時 中 の銀器 供出 の対象 とされたのではないか[9]、などの推測 もある。延徳 春 が使用 したゴルフクラブ4点 (イギリス製 のロングアイアン、ショート、パター、ドライバー)は天 安 市 の独立 紀 念 館 に寄贈 されており、韓国 の登録 文化財 第 500号 に登録 されている[1][4]。延徳 春 が韓国 で育 てたプロ選手 の一人 が韓 長 相 で、1972年 の日本 オープンでは韓国 人 選手 として延徳 春 以来 の優勝 を果 たした[3]。
脚注
[注釈
[- ^
現在 の広津 区 君子 洞 ・陵 洞 のソウル子供 大 公園 付近 [3]。もともと王 陵 (裕 陵 )のあった地域 の土地 を英 親王 李 垠が無償 で貸与 し、朝鮮 で初 となる18ホールの正規 コース(ゴルフ場 そのものは先行 例 がある)として建設 されたもの[6]。 - ^
年上 の甥 [3]。 - ^
韓国 の文献 では「しらます」という人物 と伝 わる[4][3]。 - ^
病気 のために「しらます」が日本 に帰 りクラブプロが空席 となっていたが、京 城 ゴルフ倶楽部 はここに朝鮮 人 を採用 することを目指 したという[3]。朝鮮 人 のゴルフ留学 も初 めてである[3]。 - ^ ソウルカントリークラブが
主催 した[3]。参加 者 はプロ3人 と養成 選手 14人 の計 17人 [3]。 - ^
日本 ゴルフ協会 チェアマン大谷 光明 が自 らデザインしたとされる、香炉 をモチーフにしたという独特 の形状 のもの[9]。
出典
[- ^ a b “연덕춘 골프채 (
延德 春 골프채)”. 문화재청 국가문화유산포털.文化財 庁 . 2022年 4月 9日 閲覧 。 - ^ “성씨의 고향곡산연씨” (
朝鮮 語 ). 중앙일보 (1984年 6月 29日 ). 2023年 2月 9日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z “[기획시리즈] 한국의 프로골퍼...① 최초의 프로골퍼 연덕춘(
延德 春 )”. G.ECONOMY (2020年 8月 27日 ). 2022年 4月 9日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h i j k “한국 최초의 프로골퍼 연덕춘”. FT Sports. FT스포츠 (2021
年 8月 22日 ). 2022年 4月 9日 閲覧 。 - ^ a b c
金 炫勇・服部 宏治 ・佐伯 若 夏 2021, p. 102. - ^
金 炫勇・服部 宏治 ・佐伯 若 夏 2021, p. 101. - ^ a b c d “
日本人 が創造 した朝鮮 のゴルフと延徳 春 の活躍 ”.特集 日本 を舞台 に活躍 した韓国 勢 .日本 ゴルフ協会 . 2022年 4月 9日 閲覧 。 - ^ a b c “[KPGA의 어제①] 공식 대회의 시작과 협회의 창설”. JTBC GOLF (2018
年 12月31日 ). 2022年 4月 9日 閲覧 。 - ^ a b c d e “
優勝 カップ物語 ”.日本 オープンゴルフ選手権 競技 .日本 ゴルフ協会 . 2022年 4月 9日 閲覧 。
参考 文献
[金 炫勇・服部 宏治 ・佐伯 若 夏 「韓国 におけるゴルフ導入 期 に関 する一 考察 」『広島国際大学 総合 教育 センター紀要 』第 5号 、2021年 。 NAID 120007039717。
外部 リンク
[- 연덕춘 골프채 (
延德 春 골프채) -国家 文化 遺産 ポータル(韓国 文化財 庁 )