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建部 政長(たけべ まさなが)は、江戸時代前期の大名。摂津国尼崎藩主、播磨国林田藩初代藩主。官位は従五位下・丹波守。
建部光重の三男として誕生した。幼名は三十郎。通称は内匠。
慶長15年(1610年)、豊臣政権下で尼崎郡代700石であった父の死去により家督を継ぐ。慶長19年(1614年)からの大坂の陣においては、池田利隆・忠継兄弟の幕下で戦功を挙げ、元和元年(1615年)7月21日、伯父の池田重利と共に摂津川辺郡・西成郡尼崎藩1万石を与えられ大名に取り立てられた。元和3年(1617年)9月11日、宗主である姫路藩主池田家の転封により播磨林田へ移封となる。
元和4年(1618年)、明石城普請手伝、元和5年(1619年)の福島正則改易の城受け取り、寛永17年(1640年)の池田輝澄改易の城受け取りを務めた。藩政では、林田川の治水工事や民政などに尽力した。寛文元年(1661年)12月28日、丹波守に叙任する。
寛文7年(1667年)8月28日、家督を三男の政明に譲って隠居し、寛文12年(1672年)4月18日に70歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院。
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建部家 | |
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戸田家 | |
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青山家 | |
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桜井松平家 | |
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建部氏林田藩初代藩主 (1617 年 - 1667 年) |
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