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放蕩ほうとう息子むすこのたとえはなし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
レンブラント・ファン・レイン放蕩ほうとう息子むすこ帰還きかん』1666-68ねん エルミタージュ美術館びじゅつかん

放蕩ほうとう息子むすこのたとえはなし(ほうとうむすこのたとえばなし、英語えいご: Parable of the Prodigal Son)は新約しんやく聖書せいしょルカの福音ふくいんしょ(15:11 - 32)に登場とうじょうする、イエス・キリストかたったかみのあわれみふかさにかんするたとえはなしである。

このたとえはなしは、福音ふくいんしょ登場とうじょうするたとえはなしのうちでもっともよくられているもののひとつである。

内容ないよう[編集へんしゅう]

あるひとにん息子むすこがいた。おとうとほうおや健在けんざいなうちに、財産ざいさんまえ請求せいきゅうした。そして、ちち要求ようきゅうどおりにあたえた[1]

そして、生前せいぜん分与ぶんよけた息子むすことおくに旅立たびだち、そこで放蕩ほうとうちくずして財産ざいさん使つかはたした。だい飢饉ききんきて、その放蕩ほうとう息子むすこはユダヤじんよごれているとしているぶた世話せわ仕事しごとをして生計せいけいてる。ぶたのえささえもべたいとおもうくらいにえにくるしんだ。

ちちのところには食物しょくもつのありあまっている雇人やといにんおおぜいいるのに、わたしはここでえてのうとしている。かれかえった。かえるべきところはちちのところだとおも帰途きとく。かれちちかっておうとしんめていた。「おとうさん、わたしはてんたいしても、またおとうさんにたいしてもつみおかしました。もう息子むすこばれる資格しかくはありません。やとにんのひとりにしてください。」と。ところが、ちちかえってきた息子むすこると、はしりよってだきよせる。息子むすこあらために先行せんこうしてちちゆるしがあった。

父親ちちおやは、かえってきた息子むすこ一番いちばんふくせ、あし履物はきものかせ、盛大せいだい祝宴しゅくえんひらいた。それをあに父親ちちおや不満ふまんをぶつけ、放蕩ほうとうのかぎりをくして財産ざいさん無駄むだにしたおとうと軽蔑けいべつする。しかし、父親ちちおやあにをたしなめてった。「よ、おまえはいつもわたしと一緒いっしょにいる。わたしのものは全部ぜんぶまえのものだ。だが、おまえのあのおとうとんでいたのにかえった。いなくなっていたのにつかったのだ。祝宴しゅくえんひらいてたのしみよろこぶのはたりまえではないか。」(口語こうごやく新約しんやく聖書せいしょ ルカ 15:11-32

解説かいせつ[編集へんしゅう]

この物語ものがたり主題しゅだいは、かみさからった罪人ざいにんむかれるかみのあわれみふかさである。登場とうじょうする「父親ちちおや」はかみまたはキリストを、「おとうと」(放蕩ほうとう息子むすこ)はかみけたつみびとを、「あに」はりつほう忠実ちゅうじつひとしているといわれる。

放蕩ほうとう息子むすこであったおとうと故郷こきょう帰還きかんし、父親ちちおや祝宴しゅくえんひらいてれられるという物語ものがたりとおして、かみふかあわれみの奥義おうぎ表現ひょうげんされている[2]

一方いっぽうおとうとのためにひらかれた盛大せいだい祝宴しゅくえんよろこぶことができず、父親ちちおや不満ふまんをぶつけるあに姿すがたは、りつほう忠実ちゅうじつひとおちいりやすいファリサイ精神せいしん傲慢ごうまんさをあらわしているとむこともできる。このかたによれば、あにをたしなめる父親ちちおやのことばはファリサイパン種ぱんだね偽善ぎぜん慢心まんしん[3]注意ちゅういしなさいという、このあにのようないわゆる「善人ぜんにん」への警告けいこくふくんでいるともれる[4]マタイによる福音ふくいんしょ20しょう1-16せつ)でイエスは「ぶどうえんはたら労働ろうどうしゃのたとえ」をかたっている。一番いちばんはじめにばれた労働ろうどうしゃ夜明よあけからはたらいた。そしてあるひと午前ごぜん9から、あるひとは12から、あるひと午後ごご3から、またあるひと午後ごご5からという具合ぐあいにぶどうえんはたらいてもらい、最後さいご主人しゅじん最後さいごばれたものから順番じゅんばんおな金額きんがく報酬ほうしゅうあたえる。このことにたい最初さいしょ労働ろうどうしゃ主人しゅじんかって不平ふへいった。放蕩ほうとう息子むすこあに不平ふへいはこの最初さいしょ労働ろうどうしゃ不平ふへいおなじものとえるのであろう。[5]

また同時どうじにこのたとえはなしは、かみ楽園らくえんからされていった創世そうせいアダムエバ[6]子孫しそんである人類じんるいたいして、かみ楽園らくえんへの帰還きかんびかけるという、壮大そうだい救済きゅうさい物語ものがたり象徴しょうちょうてきかさわせている[7]

文化ぶんかてき影響えいきょう[編集へんしゅう]

ジェラール・ファン・ホントホルストの「放蕩ほうとう息子むすこ」(1623ねん)
ポンペオ・バトーニ「放蕩ほうとう息子むすこ帰還きかん」(1772ねん)

イエスのたとえはなしなかでも、もっとも有名ゆうめいなもののひとつである「放蕩ほうとう息子むすこのたとえはなし」は、おおくの芸術げいじゅつ作品さくひんのテーマとなった。レンブラントホントホルストなど、きたヨーロッパのルネッサンスのおおくの画家がかたちがこの主題しゅだいえがいた。

ジェームス・ティソ「放蕩ほうとう息子むすこ帰還きかん」(1886-94ねん) ブルックリン美術館びじゅつかん

また、15世紀せいきと16世紀せいきにはイギリスの道徳どうとくげきのサブジャンルともみなされるほどの人気にんきであった[8]シェイクスピアも「ベニスの商人しょうにん」や「すまま」「冬物ふゆもの」でも言及げんきゅうされている。

"Lost and Found"[編集へんしゅう]

かれうしなわれていたがいだされた」(Luke 15:11-32) という言葉ことばちち言葉ことばとしてルカの福音ふくいんしょのなかで使つかわれているが、そこから遺失いしつぶつ取扱とりあつかいしょとしものとどけ、の使つかわれるようになる。また「うしなわれていたがいだされた」という言葉ことばは、無条件むじょうけんかみあいによってすくわれる罪深つみぶか人間にんげん救済きゅうさいあらわメタファーとなり、奴隷どれい貿易ぼうえき商人しょうにんからてんじて牧師ぼくしとなったジョン・ニュートン作詞さくし賛美さんびアメイジング・グレイス歌詞かしにも使つかわれている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ さるいのち21しょう17せつ規定きていによると、あに2にたいしておとうとは1の割合わりあい相続そうぞくできることになっている。
  2. ^ さき よう 『イエスのたとえはなし』p.159
  3. ^ ルカによる福音ふくいんしょ12しょう1せつ
  4. ^ さき よう 『イエスのたとえはなし』pp.170-175
  5. ^ さき よう 『イエスのたとえはなし』p.174
  6. ^ 創世そうせい2しょう15せつ-3しょう24せつ
  7. ^ さき よう 『イエスのたとえはなし』pp.163-164
  8. ^ Craig, Hardin (1950-04-01). “Morality Plays and Elizabethan Drama” (英語えいご). Shakespeare Quarterly 1 (2): 64–72. doi:10.2307/2866678. ISSN 0037-3222. https://academic.oup.com/sq/article/1/2/64/5137044. 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]