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日ノ宮町(ひのみやちょう)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は日ノ宮町1丁目から日ノ宮町5丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
名古屋市中村区南部に位置する。東は名西通、西は鈍池町、南は沖田町、北は千成通に接する。
下中村町字日ノ宮による。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 以下の通り、中村区下中村町の一部により、同区日ノ宮町として成立。
- 日ノ宮町1丁目が、下中村町字白子畑・字日ノ宮・字東鈍池・字南郷中の各一部により成立。
- 日ノ宮町2丁目が、下中村町字白子畑・字日ノ宮・字東鈍池・字南郷中・字鳥喰・字稲畑の各一部により成立。
- 日ノ宮町3丁目が、下中村町字鳥喰・字稲畑・字梶ノ實・字東鈍池・字白子畑・字長筬の各一部により成立。
- 日ノ宮町4丁目が、下中村町字長筬・字鳥喰・字稲畑・字梶ノ實の各一部により成立。
- 日ノ宮町5丁目が、下中村町字鳥喰・字梶ノ實の各一部により成立。
- 1940年(昭和15年)7月1日 - 日ノ宮町1丁目に下中村町字南郷中の一部が、日ノ宮町2丁目に下中村町字南郷中・字稲畑の各一部が編入される。
- 1966年(昭和41年)1月26日 - 日ノ宮町4丁目に高須賀町字北西出が編入され、日ノ宮町5丁目に沖田町の一部が編入される。
- 2007年(平成19年)6月18日 - 3丁目に下中村町字長筬を編入[WEB 6]。
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
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365人 |
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1955年(昭和30年)
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545人 |
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1960年(昭和35年)
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770人 |
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1965年(昭和40年)
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1,148人 |
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1970年(昭和45年)
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1,784人 |
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1975年(昭和50年)
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1,804人 |
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1980年(昭和55年)
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1,809人 |
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1985年(昭和60年)
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1,777人 |
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1990年(平成2年)
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1,687人 |
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1995年(平成7年)
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1,715人 |
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2000年(平成12年)
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1,745人 |
[WEB 7]
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2005年(平成17年)
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1,779人 |
[WEB 8]
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2010年(平成22年)
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1,706人 |
[WEB 9]
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2015年(平成27年)
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1,738人 |
[WEB 10]
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市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
300 m
4
3
2
1
略地図1
日吉公園2
日ノ宮神社3
名古屋市立千成小学校4
喜多福総本家
- 中井筋用水
- 日吉公園
- 日ノ宮神社
- 名古屋市立千成小学校
- 喜多福総本家
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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