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日本にっぽんライン

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日本にっぽんライン観光かんこうから転送てんそう
1987ねん昭和しょうわ62ねん)に撮影さつえいされた国土こくど交通省こうつうしょう 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス空中くうちゅう写真しゃしんもと作成さくせい愛知あいちけん犬山いぬやま岐阜ぎふけん各務原かがみはらさかいながれる木曽川きそがわ犬山いぬやま頭首とうしゅこうライン大橋おおはし
さるついばめじょう城山しろやま)からのぞ日本にっぽんラインくだりの遊覧ゆうらんせん
さるついばめじょうからのぞ木曽川きそがわ日本にっぽんライン)と鳩吹はとふきさん方面ほうめん山々やまやま
犬山いぬやま橋下はしもと船場ふなば
木曽川きそがわ観光かんこう株式会社かぶしきがいしゃ犬山いぬやまきょう営業えいぎょうしょ

日本にっぽんライン(にほんライン)は、岐阜ぎふけん美濃加茂みのかもから愛知あいちけん犬山いぬやまにかけての木曽川きそがわ沿岸えんがん峡谷きょうこく別称べっしょう

概要がいよう[編集へんしゅう]

風景ふうけいヨーロッパ中部ちゅうぶながれるラインがわていることから、1913ねん大正たいしょう2ねん)に志賀しが重昂しげたかによって命名めいめいされた[1][ちゅう 1]

かつては、和船わせんもちいて全長ぜんちょう13kmにわたって渓流けいりゅううつくしさをあじわいながらやく1あいだはんかわくだ遊覧ゆうらんができる「日本にっぽんラインくだ」が運行うんこうされていたが、営業えいぎょう休止きゅうしとなり、現在げんざいラフティングたのしめる。

犬山いぬやまには犬山いぬやましろをはじめゆう園地えんち野猿やえん公園こうえんなどの観光かんこう施設しせつがあり、周辺しゅうへん一帯いったいがラインくだりとともに観光かんこう形成けいせいしている。日本にっぽんモンキーパークはかつて「犬山いぬやまラインパーク」という名称めいしょう運営うんえいされていた。

日本にっぽんラインくだ[編集へんしゅう]

日本にっぽんライン付近ふきんでの遊覧ゆうらんせん事業じぎょうは、犬山いぬやま鵜飼うかい1899ねん明治めいじ32ねん)に再興さいこうさせた鵜飼うかいがまさんろうが、1914ねん大正たいしょう3ねん)に「犬山いぬやまとおるせん」を設立せつりつし、現在げんざい可児かに土田どたまでの遊覧ゆうらんせん事業じぎょう「ラインのぼり」を開始かいししたことにはじまる[3]犬山いぬやまどおりせんによる事業じぎょう土田どたまでの交通こうつう便びんわる短期間たんきかん廃業はいぎょうとなり、その1922ねん大正たいしょう11ねん)に高山本線たかやまほんせん古井こいえき開業かいぎょうわせ「古井ふるいゆうせん」が設立せつりつされ青柳あおやぎきょうから犬山いぬやま城下じょうかまでの運航うんこう開始かいしし「日本にっぽんラインくだり」の端緒たんしょとなった。また1924ねん大正たいしょう13ねん)には名古屋なごや実業じつぎょう山田やまだざいきち土田つちたにライン遊園ゆうえん整備せいび料理りょうり旅館りょかん北陽ほくようかん」を開業かいぎょう協業きょうぎょうするかたち三宅みやけ徳三郎とくさぶろう土田つちた大脇おおわきみなとから犬山いぬやま城下じょうかまでの運航うんこう開始かいし[3]1925ねん大正たいしょう14ねん時点じてんでは土田つちたがわに45せき対岸たいがん坂祝さかほぎがわに25せきふね用意よういされていた[4]。また1927ねん昭和しょうわ2ねん)に太田おおたゆうせん組合くみあい設立せつりつされラインくだ観光かんこう本格ほんかくし、1929ねん昭和しょうわ4ねん)には取組とりくみ遊覧ゆうらん組合くみあい坂祝さかほぎまち行幸ぎょうこういわおから土田どたまでの運航うんこう開始かいし[3]

名古屋鉄道なごやてつどう1928ねん昭和しょうわ3ねん)4がつ28にち直営ちょくえい乗合のりあいバスをライン遊園ゆうえん現在げんざい可児川かにがわえき) - 北陽ほくようかんまえ営業えいぎょう開始かいしした。これは日本にっぽんラインくだりの送迎そうげい目的もくてきとする路線ろせんであったが、この路線ろせん現在げんざい名鉄めいてつバスつらなる名古屋なごや鉄道てつどうのバス事業じぎょう嚆矢こうしとなった。

1940年代ねんだいには今渡いまわたりダム完成かんせいともな古井こいこうからの発着はっちゃく終了しゅうりょうし、だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょう運行うんこう中断ちゅうだんされた[3]戦後せんご1947ねん昭和しょうわ22ねん)には「美濃太田みのおおたゆうせん」「日本にっぽんライン観光かんこう」が設立せつりつされ、1948ねん昭和しょうわ23ねん)より運行うんこう再開さいかい[3]大脇おおわきみなとからのコースは荒廃こうはいし、今渡いまわたり開設かいせつされ可児かにあい急流きゅうりゅうかたちとなり、1958ねん昭和しょうわ33ねん)に美濃太田みのおおたゆうせん日本にっぽんライン観光かんこう統合とうごうし「日本にっぽんライン遊覧ゆうらんせん」を設立せつりつ。その名古屋なごや鉄道てつどう子会社こがいしゃ日本にっぽんライン名鉄めいてつゆうせん」(のち日本にっぽんライン観光かんこう)の運営うんえい移行いこうする[3]

日本にっぽんライン観光かんこう[編集へんしゅう]

名古屋なごや鉄道てつどうによる遊覧ゆうらんせん事業じぎょう運行うんこう区間くかんは、岐阜ぎふけん美濃加茂みのかもにある美濃太田みのおおた乗船じょうせんじょうから愛知あいちけん犬山いぬやまにある犬山いぬやま橋下はしもと船場ふなばまでのやく13kmであった。例年れいねん3がつ10日とおかから11月30にちまで運行うんこうおこなわれた。名鉄めいてつ犬山線いぬやません 犬山遊園いぬやまゆうえんえきから終着しゅうちゃくてん犬山いぬやま橋下はしもと船場ふなばまでは徒歩とほやく5ふん犬山いぬやま下船げせんじょう美濃太田みのおおた乗船じょうせんじょうむす専用せんようバスが運行うんこうされ、マイカーでの観光かんこうきゃくのアクセス手段しゅだんとなっていた。

1950年代ねんだい以降いこう下流かりゅうから上流じょうりゅうへのトラック運搬うんぱんによるゆうせん運搬うんぱんやエンジンきのふね導入どうにゅうし、昭和しょうわ40年代ねんだい後半こうはん最盛さいせいむか1973ねん昭和しょうわ48ねん)には可児かにがわ24まん8せんにん美濃加茂みのかもがわ49まん5せんにん集客しゅうきゃく記録きろくした[3]1969ねん昭和しょうわ44ねんごろまでは乗船じょうせんじょう美濃太田みのおおたではなく可児川かにがわえき当時とうじ・ライン遊園ゆうえんえきちかくの可児かに土田どた地区ちくにあった。

1993ねん平成へいせい5ねん11月28にち観光かんこうせん可児かに付近ふきんいわ転覆てんぷくし、乗客じょうきゃく30にんかわされ1人ひとり死亡しぼう、19にん負傷ふしょうする事故じこ発生はっせいした[5]

2002ねん平成へいせい14ねんまではえきからのバス運行うんこう美濃太田みのおおたのレストハウス日本にっぽんラインシュロスをふくめて運営うんえいしていたが、利用りようしゃすう低迷ていめいし、さらに名古屋なごや鉄道てつどう鉄道てつどう以外いがい事業じぎょう採算さいさん拡大かくだいし、2003ねん平成へいせい15ねん)3がつ中間ちゅうかん決算けっさん上場じょうじょう以来いらいはつ無配むはいとなる事態じたい発生はっせいしたことにより、2002ねん平成へいせい14ねん)12月に運休うんきゅうした。2003ねん平成へいせい15ねん)1がつ発表はっぴょうされた名古屋なごや鉄道てつどう経営けいえい合理ごうりさく日本にっぽんライン観光かんこう整理せいり対象たいしょうとなり、同年どうねんちゅう清算せいさんされた。

2006ねん平成へいせい18ねん)まではJR高山本線たかやまほんせん / JR太多線たいたせん / 長良川ながらがわ鉄道てつどう越美南線えつみなんせん 美濃みの太田おおたえきから美濃太田みのおおた乗船じょうせんじょう経由けいゆして名鉄めいてつ広見線ひろみせん 日本にっぽんライン今渡いまわたりえき可児かにえきしん可児かにえき)へかうひがし鉄道てつどうバス路線ろせんバス運行うんこうされていた。

木曽川きそがわ観光かんこう[編集へんしゅう]

日本にっぽんライン観光かんこう清算せいさん地元じもと資本しほんによる「木曽川きそがわ観光かんこう」が事業じぎょう継承けいしょうし、2003ねん平成へいせい15ねん)7がつ遊覧ゆうらんせん運行うんこう再開さいかいきゅう日本にっぽんラインシュロスの施設しせつ美濃加茂みのかも公社こうしゃ2003ねん平成へいせい15ねん)に購入こうにゅうし、どう駐車ちゅうしゃじょうはゴミ回収かいしゅうじょうとして使用しようされたが2009ねん平成へいせい21ねん)に解体かいたいされた。

しかし利用りようしゃすう減少げんしょう歯止はどめがかからず、また2011ねん平成へいせい23ねん8がつ17にち発生はっせいした天竜川てんりゅうがわ川下かわしもせん転覆てんぷく死亡しぼう事故じこ影響えいきょうもあって利用りようしゃすう回復かいふくのぞめないことから、2012ねん平成へいせい24ねん12月18にち木曽川きそがわ観光かんこう2013ねん平成へいせい25ねん運休うんきゅう決定けっていした[6]

またかつて使つかわれていた和船わせんつづ木曽川きそがわ観光かんこう保有ほゆう[7]犬山いぬやま犬山いぬやまきょう付近ふきん桃太郎ももたろうこうあいだで11月に運航うんこうされる「桃太郎ももたろう紅葉こうようせん」や[8]いぬ山城やましろこう発着はっちゃくいぬ山城やましろ周辺しゅうへんなどを遊覧ゆうらんする「いぬ山城やましろ遊覧ゆうらんせん」にもち犬山いぬやま犬山いぬやま観光かんこう協会きょうかい主催しゅさい運航うんこうされたがその2021ねんれい3ねんからは木曽川きそがわ観光かんこう直接ちょくせつ運航うんこうけている[7]

ラフティング[編集へんしゅう]

その2019ねんれい元年がんねん時点じてんで、ほぼどうルートの美濃加茂みのかも太田おおたきょう付近ふきんから犬山いぬやま桃太郎ももたろう神社じんじゃ付近ふきんにて、犬山いぬやま国際こくさいユースホステル運営うんえいするYHAラフティングによる「木曽川きそがわラフティング」と2018ねん参入さんにゅうしたEAT&LIVEが運営うんえいするリバーポートパーク美濃加茂みのかもによる「木曽川きそがわアドベンチャー」の2しゃによるラフティングツアーの営業えいぎょうおこなわれている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1913ねん大正たいしょう2ねん)に中央ちゅうおう新聞しんぶん地理ちり学者がくしゃ志賀しが避暑ひしょについて質問しつもんしたさいに、木曽川きそがわ風景ふうけいをラインがわのようだとたとえたことに由来ゆらいする[2]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 下川しもかわ耿史 『環境かんきょう年表ねんぴょう 明治めいじ大正たいしょうへん(1868 - 1926)』299ぺーじ 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃかん 2003ねん11月30日刊にっかん 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20522067
  2. ^ 3 木曽川きそがわ周辺しゅうへんにみる歴史れきしてき風致ふうち犬山いぬやま、2022ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g 日本にっぽんラインくだり」の歴史れきし 可児かに光生みつお美濃加茂みのかも市民しみんミュージアム
  4. ^ 木曽川きそがわすいけい42 「日本にっぽんラインくだり」の痕跡こんせき2 - 中日ちゅうにち新聞しんぶん2020ねん11がつ10日とおか朝刊ちょうかん
  5. ^ 川下かわしもせんとう安全あんぜんせいかんする調査ちょうさ報告ほうこくしょ 日本にっぽん小型こがた船舶せんぱく検査けんさ機構きこう
  6. ^ 「『日本にっぽんラインくだり』姿すがたす 木曽川きそがわ、13ねんに」日本経済新聞にほんけいざいしんぶん2012ねん12月19にち
  7. ^ a b 犬山いぬやましろ遊覧ゆうらんせん運行うんこう期間きかん10ばい以上いじょう今年ことしはあすから - 中日ちゅうにち新聞しんぶん2021ねん3がつ19にち愛知あいち県内けんないばん
  8. ^ <木曽川きそがわすいけい>(43)「日本にっぽんラインくだり」の痕跡こんせき(3) 中日新聞ちゅうにちしんぶん、2020ねん11月21にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]