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あきらたかし康隆やすたか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
あきらたかし 康隆やすたかてるおか やすたか
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1908-02-01) 1908ねん2がつ1にち
日本の旗 日本にっぽん 鹿児島かごしまけん
死没しぼつ (2001-04-02) 2001ねん4がつ2にち(93さいぼつ
出身しゅっしんこう 早稲田大学わせだだいがく
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがく
研究けんきゅう機関きかん 早稲田大学わせだだいがく
博士はかせ課程かてい指導しどう教員きょういん 山口やまぐちつよし
指導しどう教員きょういん 窪田空穂くぼたうつぼ
真山まやま青果せいか
潁原退蔵たいぞう
青野あおの季吉すえきち
おも指導しどう学生がくせい 中野なかのさんさとし
中嶋なかじまたかし
学位がくい 文学ぶんがく博士はかせ
称号しょうごう 早稲田大学わせだだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ
おも業績ぎょうせき 井原いはら西鶴さいかくをはじめとした日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがく研究けんきゅう
学会がっかい 日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがくかい
おも受賞じゅしょうれき 東京とうきょう文化ぶんかしょう(1985ねん
NHK放送ほうそう文化ぶんかしょう(1988ねん
だい8かい現代げんだい俳句はいく大賞たいしょう(1996ねん
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あきらたかし 康隆やすたか(てるおか やすたか、1908ねん2がつ1にち - 2001ねん4がつ2にち)は、日本にっぽん国文学こくぶんがくしゃ近世きんせい文学ぶんがく)。俳号はいごうきり早稲田大学わせだだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ

人物じんぶつ

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鹿児島かごしまけん曽於そおぐん志布志しぶしまちまれ。金剛寺こんごうじ長男ちょうなん鹿児島かごしま県立けんりつ志布志しぶし中学校ちゅうがっこう旧制きゅうせい早稲田わせだだいいち高等こうとう学院がくいん早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ旧制きゅうせい国文こくぶん卒業そつぎょう[1]。1932ねんから1939ねんにかけて、真山まやま青果せいかした西鶴さいかく研究けんきゅう助手じょしゅつとめる。1951ねん西鶴さいかく 評論ひょうろん研究けんきゅう」で早稲田大学わせだだいがくより博士はかせごう取得しゅとく[2]。のち早稲田大学わせだだいがく教授きょうじゅ、1978ねん定年ていねん退職たいしょく名誉めいよ教授きょうじゅ。1996ねんだい8かい現代げんだい俳句はいく大賞たいしょう受賞じゅしょう

井原いはら西鶴さいかく研究けんきゅう権威けんい一人ひとりで、自然しぜん主義しゅぎ文学ぶんがくプロレタリア文学ぶんがく影響えいきょうけた西鶴さいかく作品さくひん批評ひひょう発展はってんさせ、「作家さっかきながら現実げんじつ認識にんしきふかめる」という文芸ぶんげいかんもとづき、おおくの西鶴さいかく作品さくひんあらたな鑑賞かんしょうしめした[3]。その一連いちれん研究けんきゅうは「あきらたかし西鶴さいかく」としょうされる。西鶴さいかく研究けんきゅうほか蕪村ぶそんふう俳諧はいかい研究けんきゅう業績ぎょうせきのこした。

中野なかのさんさとしによれば、あきらたかし慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく教授きょうじゅ池田いけだ彌三郎やさぶろう早慶そうけいだい粋人すいじん教授きょうじゅしょうされていたという[4]。また、早稲田大学わせだだいがく講師こうし採用さいように「ゆうりょうよりほうおおい」ことが問題もんだいになったという逸話いつわがある[5]のちに、あきらたかしは「女性じょせい学歴がくれき獲得かくとくのために大学だいがく進学しんがくをすると、キャンパスない女子じょし学生がくせいがあふれ、それを目指めざ男子だんし学生がくせいえ、やがて大学だいがく学問がくもん研究けんきゅうではなくなる」として主張しゅちょう1961ねんには「私立しりつ大学だいがく文学部ぶんがくぶ花嫁はなよめ学校がっこうしている」と発言はつげんして「女子じょし学生がくせい亡国ぼうこくろん」を展開てんかいした(なお、この当時とうじ文学部ぶんがくぶにおける女子じょし学生がくせい割合わりあい全体ぜんたいの37%である)[6]。また、池田いけだも『婦人ふじん公論こうろん』に「大学だいがくおんなろん」とだいする一文いちぶん発表はっぴょうし、ともに議論ぎろんこした。

1980ねんからのNHK「お達者だっしゃ文芸ぶんげい」の選者せんじゃとしてひろられた。また、好色こうしょく文芸ぶんげい落語らくごかんする一般いっぱん書物しょもつおおく、ときに「てるおか やすたか」と平仮名ひらがな表記ひょうきした。小沢おざわ昭一しょういちらにより早稲田大学わせだだいがく結成けっせいされた、日本にっぽんはじめての(学生がくせいサークルとしての)落語らくご研究けんきゅうかい初代しょだい顧問こもんであった[7]

著書ちょしょ

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現代げんだいやく

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  • 現代げんだいやく西鶴さいかく全集ぜんしゅうぜん12かん小学館しょうがくかん) 1977
    • 現代げんだいやく西鶴さいかくぜん6かん小学館しょうがくかんライブラリー) 1992 - 1997

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 鹿児島大かごしまだい百科ひゃっか事典じてん』(1981ねん 南日本新聞社みなみにほんしんぶんしゃ)「あきらたかし康隆やすたか
  2. ^ 博士はかせろん文書ぶんしょデータベース
  3. ^ 中嶋なかじまたかし西鶴さいかく研究けんきゅう案内あんない浮世草子うきよぞうし)」『21世紀せいき日本にっぽん文学ぶんがくガイドブック4 井原いはら西鶴さいかく』、ひつじ書房しょぼう、135-136ぺーじ、2012ねん5がつ 
  4. ^ 中野なかのさんさとし師恩しおん わす江戸えど文芸ぶんげい研究けんきゅうしゃ岩波書店いわなみしょてん、2016ねん1がつ、11-17ぺーじ 
  5. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ新潮社しんちょうしゃ. “だい13かいはん東大とうだい」としての早稲田わせだ真価しんか | 「はん東大とうだい」の思想しそう尾原おはら宏之ひろゆき連載れんさいかんがえるひと新潮社しんちょうしゃ”. かんがえるひと. 2021ねん11月25にち閲覧えつらん
  6. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう:1945-2008』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2009ねん3がつ、107ぺーじISBN 9784309225043 
  7. ^ 青山あおやま忠一ただかず追悼ついとうあきらたかし康隆やすたか先生せんせい日本にっぽん近世きんせい文学ぶんがくかい、2002ねんdoi:10.20815/kinseibungei.75.0_132https://doi.org/10.20815/kinseibungei.75.0_1322020ねん3がつ7にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 現代げんだい俳句はいくだい事典じてん』(三省堂さんせいどう) 2005
  • 小沢おざわ昭一しょういち - 芸能げいのうしゃてきこころ(文藝ぶんげい別冊べっさつ)』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ) 2010.6