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朝倉あさくらだかけい

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朝倉あさくら だかけい
時代じだい 南北なんぼくあさ時代じだい - 室町むろまち時代ときよ
生誕せいたん 正和しょうわ3ねん1314ねん
死没しぼつ 文中ぶんちゅう元年がんねん/おうやす5ねん5月2にち1372ねん6月3にち
改名かいめい 彦三郎ひこさぶろうわらわめい)、せいけいこうけい
別名べつめい 孫次まごじろう弾正だんじょう左衛門尉さえもんのじょう
戒名かいみょう とくいわおそうゆう
官位かんい 遠江とおとうみもり下野げやもり
氏族しぞく 朝倉あさくら
父母ちちはは ちち朝倉あさくらひろけい
兄弟きょうだい こうけい中野なかの小太郎こたろう能登のとまもる
松尾まつお孫太郎まごたろう宗景むねかげ
けい阿波あわ賀茂かもけいむかいひさけいさんだんさき弼景
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朝倉あさくら だかけい(あさくら たかかげ)は、南北なんぼくあさ時代じだいから室町むろまち時代ときよにかけての武将ぶしょう越前えちぜん朝倉あさくらだい2だい当主とうしゅ

幼名ようみょう彦三郎ひこさぶろうといい(彦四郎ひこしろうとする史料しりょうもある)、元服げんぷくせいけい名乗なのっていた。こうけいは、ちち朝倉あさくらひろけい同様どうよう足利あしかがくみして斯波しば被官ひかん人的じんてき立場たちばであった。

文和ふみかず4ねん1355ねん)2がつ15にち東寺とうじ南大門なんだいもんでの合戦かっせん[注釈ちゅうしゃく 1]において、南朝なんちょうがわの3まん大軍たいぐんやぶったこうにより、足利尊氏あしかがたかうじから、その母衣ほろ朝倉あさくら弾正だんじょう左衛門尉さえもんのじょうだかけいかれ、たかしへんいみなたまわったとされ(たかし元々もともとだか名乗なのっていた)[2]、『 朝倉あさくら始末しまつ』では、このときから、遠江とおとうみまもるだかけい名乗なのるようになったとする。ただし、このときこうけい南朝なんちょうがわぞくしてたかし敵対てきたいしていたので、たかしからへんいみなたまわったというはなしすこぶあやしい[注釈ちゅうしゃく 2]

その2ねん正平しょうへい12ねん/のべぶん2ねん1357ねん)12月2にちたかしより足羽あすわそうあずかしょしょくあてがわれる[2]

正平しょうへい21ねん/貞治さだはる5ねん1366ねん)の貞治さだはるへんでは、幕府ばくふぐん一員いちいんとして主筋しゅうすじたる斯波しば高経たかつね反旗はんきひるがえして杣山そまやまじょうめ、こうけいはそのこうから11月6にちだい2だい将軍しょうぐん義詮よしあきらより、越前えちぜん宇坂そうなつめそう東郷とうごうそうさか南本郷みなみほんごう河南かなん下郷しもごう木部きべとう中野なかのきょうなど7かしょ地頭じとうしょくたまわ[2]越前えちぜん朝倉あさくら基礎きそきずいた。

正平しょうへい22ねん/貞治さだはる6ねん1367ねん)、あたらしい越前えちぜん守護しゅごである畠山はたけやまよしふかによる仁和寺にんなじかん喜寿きじゅいんりょうである真柄まがらそう使節しせつ遵行妨害ぼうがいするなど、幕府ばくふとの関係かんけい背景はいけい独自どくじ立場たちばきずいた[1]

文中ぶんちゅう元年がんねん/おうやす5ねん(1372ねん)に死去しきょ享年きょうねん59。家督かとく朝倉あさくらけい(3だい大功たいこうそういさお)がいだ。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、系譜けいふるいかれているこの記述きじゅつは2がつ15にち京都きょうと合戦かっせんと3がつ12にち東寺とうじ合戦かっせん混在こんざいさせており、かんおう擾乱じょうらんさい足利あしかが直義ただよし斯波しば高経たかつねしたがってみなみ朝方あさがたについた事実じじつかくすために系譜けいふるい改竄かいざんしたうたがいを指摘してきするせつもある[1]
  2. ^ 実際じっさいこうけいしゅ足利あしかが斯波しば高経たかつねこうこうけい北条ほうじょうだかからのへんいみな)からのへんいみなか。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 河村かわむら昭一しょういち南北なんぼくあさにおける守護しゅご権力けんりょく構造こうぞう」『わかえつ郷土きょうど研究けんきゅう』23かん2-4ごう、1978ねん /所収しょしゅう:木下きのしたさとし 編著へんちょ『シリーズ・室町むろまち幕府ばくふ研究けんきゅう だいいちかん 管領かんりょう斯波しば』 戒光さち出版しゅっぱん、2015ねんISBN 978-4-86403-146-2
  2. ^ a b c みずふじしん朝倉あさくら義景よしかげ吉川弘文館よしかわこうぶんかん人物じんぶつ叢書そうしょ〉、1981ねん、3ぺーじ