(Translated by https://www.hiragana.jp/)
朝香孚彦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

朝香あさかまこと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝香あさか まこと
まこと彦王)
朝香あさかみや
続柄つづきがら

ぜん 朝香あさか まこと彦(あさか たかひこ)
おう →(すめらぎせき離脱りだつ
敬称けいしょう 殿下でんか →(すめらぎせき離脱りだつ
出生しゅっしょう 1912ねん10月8にち
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
死去しきょ (1994-05-06) 1994ねん5月6にち(81さいぼつ
埋葬まいそう 日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう文京ぶんきょう豊島としまおか墓地ぼち
配偶はいぐうしゃ 藤堂とうどう千賀子ちかこ
子女しじょ 鈴木すずき冨久ふく冨久ふく子女しじょおう
まこと彦王
坂本さかもとよし仍子(よし仍子女王じょおう
父親ちちおや 朝香あさかみやばと彦王
母親ははおや ばと彦王允子のぶこ内親王ないしんのう
役職やくしょく 陸軍りくぐん中佐ちゅうさ
テンプレートを表示ひょうじ

朝香あさか まこと(あさか たかひこ、1912ねん大正たいしょう元年がんねん10月8にち - 1994ねん平成へいせい6ねん5月6にち)、またはまこと彦王(たかひこおう)は、日本にっぽんきゅう皇族こうぞく陸軍りくぐん軍人ぐんじん朝香あさかみやばと彦王だい1王子おうじ1947ねん昭和しょうわ22ねん)10がつ14にちすめらぎせき離脱りだつ陸軍りくぐん軍人ぐんじんとして、皇族こうぞくとしてはじめて操縦そうじゅう桿をにぎった。こう45りくだい53最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん中佐ちゅうさだい124だい天皇てんのう昭和しょうわ天皇てんのう従兄じゅうけいだい125だい天皇てんのう明仁あきひとしたがえおいだい126だい天皇てんのうとくひとししたがえめいまごにあたる。

婚儀こんぎにて

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

1912ねん大正たいしょう元年がんねん10月8にち午前ごぜん55ふん朝香あさかみやばと彦王と同妃どうひ允子のぶこ内親王ないしんのうだい122だい明治天皇めいじてんのうだい8皇女おうじょ)のだい1王子おうじとしてせいける。御七夜おしちやの14にちに「まこと彦(たかひこ)」と命名めいめい陸軍りくぐんだい学校がっこう卒業そつぎょう航空こうくう兵科へいか異動いどうし、陸軍りくぐん航空こうくう本部ほんぶ教育きょういく部員ぶいんだい51航空こうくう師団しだん参謀さんぼうとうをつとめた。1938ねん昭和しょうわ13ねん12月16にち伯爵はくしゃく藤堂とうどうだか令嬢れいじょう千賀子ちかこ結婚けっこん[1]1947ねん昭和しょうわ22ねん10月14にち皇室こうしつ典範てんぱんだい11じょう1こうにより、つま千賀子ちかこ家族かぞくともすめらぎせき離脱りだつし、以後いごは「朝香あさか まこと(あさか たかひこ)」と名乗なのる。戦後せんごは、公職こうしょく追放ついほう[2]聴講生ちょうこうせいとして東京大学とうきょうだいがく航空こうくう工学こうがくまなび、1952ねん昭和しょうわ27ねん)には日本航空にほんこうくう運航うんこう就職しゅうしょく。このあいだ1950ねん昭和しょうわ25ねん)につま千賀子ちかこが、みずからの結核けっかく快癒かいゆねがってカルメルかいはいり、カトリック信者しんじゃとなったのを家族かぞく全員ぜんいん受洗じゅせん1952ねん昭和しょうわ27ねん)12月26にち千賀子ちかこ病死びょうししたのち敬虔けいけんクリスチャンでありつづけ、75さいになってからも愛車あいしゃBMWあししげ東京とうきょう世田谷せたがやカトリック上野毛かみのげ教会きょうかい早朝そうちょうミサかよ姿すがたが『週刊しゅうかん読売よみうり1988ねん昭和しょうわ63ねん5月29にちごうほうじられた。1994ねん平成へいせい6ねん5月6にち逝去せいきょ。81さいぼつ

年譜ねんぷ[編集へんしゅう]

  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん
    • 5月 - 亡妻ぼうさい千賀子ちかこいたみ『べにばらのかをり』を出版しゅっぱん同年どうねん11がつ再版さいはん[7]
  • 1994ねん平成へいせい6ねん

栄典えいてん[編集へんしゅう]

血縁けつえん[編集へんしゅう]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明治天皇めいじてんのう
(1852-1912)
在位ざいい
1867-1912
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇たいしょうてんのう
(1879-1926)
在位ざいい
1912-1926
竹田たけだみや恒久こうきゅうおう
(1882-1919)
 
昌子しょうじ内親王ないしんのう
(1888-1940)
北白川きたしらかわ宮成みやなりひさおう
(1887-1923)
 
房子ふさこ内親王ないしんのう
(1890-1974)
朝香あさかみやばと彦王
(1887-1981)
 
允子のぶこ内親王ないしんのう
(1891-1933)
ひがし久邇くにみや稔彦としひこおう
(1887-1990)
 
聡子さとこ内親王ないしんのう
(1896-1978)
昭和しょうわ天皇てんのう
(1901-1989)
在位ざいい
1926-1989
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和しょうわ天皇てんのう
(1901-1989)
在位ざいい
1926-1989
竹田たけだひさしとく
(1909-1992)
永久えいきゅうおう
(1910-1940)
朝香あさかまこと
(1912-1994)
もりあつしおう
(1916-1969)
 
成子なるこ内親王ないしんのう
(1925-1961)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上皇じょうこう
明仁あきひと

(1933-)
在位ざいい
1989-2019
 
竹田たけだ恒正つねまさ
(1940-)
 
 
 
 
 
きた白川しらかわ道久みちひさ
(1937-2018)
 
 
 
朝香あさかまこと
(1943-)
ひがし久邇くに信彦のぶひこ
(1945-2019)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今上きんじょう天皇てんのう
とくひとし

(1960-)
在位ざいい
2019-
 
 
竹田たけだ
 
 
 
 
(男系だんけい断絶だんぜつ)
 
 
 
 
朝香あさかひがし久邇くに


参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • うえほうかいおとこ監修かんしゅう,外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう昭和しょうわ56ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 戦後せんご1947ねん(昭和しょうわ22ねん)ちちしたがすめらぎせき離脱りだつ朝香あさか冨久ふくとなり、女子美術大学じょしびじゅつだいがくまなぶ。皇太子こうたいし候補こうほともなった。きゅう盛岡もりおか藩主はんしゅ南部なんぶ南部なんぶ利久としひさとついで離婚りこん。のち、日清製粉にっしんせいふん勤務きんむする一般人いっぱんじん再婚さいこんし、もうけた。また、SF同人どうじん宇宙塵うちゅうじん』に参加さんかし、ペンネーム「よしえんふう」(ディエンビエンフーのたたか由来ゆらい)あるいは「南部なんぶふう」名義めいぎ小説しょうせつ発表はっぴょうした(『日本にっぽんSF・原点げんてんへの招待しょうたい宇宙塵うちゅうじん傑作けっさくせん2』講談社こうだんしゃ収録しゅうろく)。同誌どうしには「朝香あさか冨久ふく」「南部なんぶ冨久ふく名義めいぎでカットを発表はっぴょうしたこともある。2009ねん2がつ19にち心不全しんふぜんにより67さい死去しきょ[12]
  2. ^ あさか・ともひこ。東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがく音楽学部おんがくがくぶチェロ専攻せんこうしたのちCBSソニー勤務きんむ東京とうきょう庭園ていえん美術館びじゅつかん館長かんちょう特別とくべつ顧問こもんつとめる。
  3. ^ 岐阜ぎふけん武儀むぎぐん美濃みのまち誕生たんじょうしたことから「みのこ」と名付なづけられる。のち日新製糖にっしんせいとう勤務きんむ一般人いっぱんじん結婚けっこんし、三児みつごもうける。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 親王しんのう諸王しょおう略傳りゃくでんまことまこと彦]”. nss.o.oo7.jp. 2023ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1947ねん10がつ17にちめん
  3. ^ 彙報いほう”. 官報かんぽう 667: 603. (1929-03-23). 
  4. ^ 貴族きぞくいん要覧ようらんへい)』昭和しょうわ21ねん12がつぞうてい貴族きぞくいん事務じむきょく、1947ねん、40ぺーじ
  5. ^ 官報かんぽうだい5822ごう昭和しょうわ21ねん6がつ13にち
  6. ^ 官報かんぽうだい2634ごう叙任じょにん及辞れい」1935ねん10がつ11にち
  7. ^ 資料しりょう検索けんさく - 南山大学なんざんだいがく 蔵書ぞうしょ検索けんさく (OPAC)”. 南山大学なんざんだいがくライネルス中央ちゅうおう図書館としょかん. 2024ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ 官報かんぽうだい849ごう叙任じょにん及辞れい」1929ねん10がつ28にち。p.672
  9. ^ 官報かんぽうだい2043ごう叙任じょにん及辞れい」1933ねん10がつ21にち。p.497
  10. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち
  11. ^ 官報かんぽうだい5048ごう叙任じょにん及辞れい」1943ねん11月9にち。p.197
  12. ^ 週刊しゅうかん新潮しんちょう』2009ねん4がつ2にちごうより。
  13. ^ a b 「FRIDAY」1989ねん1がつ26にち増刊ぞうかんごうp36-37

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]