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本田ほんだ雅人まさと

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本田ほんだ 雅人まさと
2020ねん
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん (1962-11-13) 1962ねん11月13にち(61さい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん高知こうちけん中村なかむらげんよんまんじゅう
学歴がくれき 国立音楽大学くにたちおんがくだいがく卒業そつぎょう
ジャンル ジャズ
フュージョン
職業しょくぎょう 音楽家おんがくか
作曲さっきょく
担当たんとう楽器がっき サクソフォーン
フルート
キーボード
ギター
トランペットなど
活動かつどう期間きかん 1985ねん -
レーベル ヴィレッジミュージック
ビクターエンタテインメント
ソニー・ミュージックエンタテインメント
共同きょうどう作業さぎょうしゃ はら信夫しのぶとシャープス&フラッツ
WITNESS
T-SQUARE
本田ほんだ雅人まさとB.B. STATION
SAX TRIANGLE
フォー・オブ・ア・カインド
SEATBELTS
本田ほんだ雅人まさと with VOICE OF ELEMENTS
公式こうしきサイト Masato Honda Official WEB SITE
著名ちょめい使用しよう楽器がっき
EWI
NuRAD

本田ほんだ 雅人まさと(ほんだ まさと、1962ねん11月13にち - )は、日本にっぽんサクソフォーン奏者そうしゃスタジオ・ミュージシャン作曲さっきょく高知こうちけん中村なかむらげんよんまんじゅうまれ。国立音楽大学くにたちおんがくだいがく卒業そつぎょう昭和音楽大学しょうわおんがくだいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ非常ひじょう卓越たくえつした技術ぎじゅつりょくぬしで「ハイパーサックスプレイヤー」の異名いみょうつ。

人物じんぶつ来歴らいれき[編集へんしゅう]

音楽おんがく教員きょういんだった父親ちちおや影響えいきょう小学しょうがく3年生ねんせいでサックスをはじめる。高知こうちけん立中たつなかむら高等こうとう学校がっこう時代じだい吹奏楽すいそうがく所属しょぞく、その国立音楽大学くにたちおんがくだいがくサクソフォン入学にゅうがく、ほぼおな時期じき秋本あきもと奈緒美なおみのサポートで本格ほんかくてきなプロミュージシャン活動かつどう開始かいしする。また大学だいがくビッグバンド名門めいもんチーム「ニュー・タイド・ジャズ・オーケストラ創立そうりつメンバーとして活躍かつやくし、1983ねんだい14かい山野やまの ビッグ・バンド・ジャズ・コンテストはつ出場しゅつじょうにして最優秀さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょう本田ほんだ自身じしん最優秀さいゆうしゅうソリストしょうかがやいている。翌年よくねんもこのコンサートでだい活躍かつやくしたことで、はら信夫しのぶまり、よく1985ねん大学だいがく卒業そつぎょうまえシャープス&フラッツ前川まえかわはじめ代替だいたいメンバーとして参加さんかする。そのはる国立音大くにたちおんだい首席しゅせき卒業そつぎょう。シャープス&フラッツのソリストをつとめるかたわ角松かどまつ敏生としお渡辺わたなべ美里みさと谷村たにむら有美ゆみ安全あんぜん地帯ちたいなど、サポートミュージシャンとしての活動かつどうおこなう。

このころ山本やまもと達彦たつひこのサポートをつうじて梶原かじはらじゅん意気投合いきとうごう自宅じたくちかくだったこともあり音楽おんがく談義だんぎ研究けんきゅうはなかせるなか石川いしかわ雅春まさはるくわわりその延長えんちょうでこの3にんWITNESS結成けっせい、とりわけ梶原かじはらとはその現在げんざいいたるまで親友しんゆうとして、またたがいのサポートなどでもかせない存在そんざいとしてふか親交しんこうがある。

1991ねんT-SQUARE加入かにゅうし、同年どうねん発表はっぴょうのアルバム『NEW-S』でデビュー。1997ねん発表はっぴょうの『BLUE IN RED』を最後さいご翌年よくねん退団たいだん自己じこビッグバンド本田ほんだ雅人まさと B.B. STATIONて、以後いごはソロで活動かつどう

1998ねんにはTHE SEATBELTS参加さんか。また、勝田かつた一樹かずき小池こいけおさむとSAX TRIANGLEを結成けっせい、このとしと2009ねんにライブを開催かいさいしている。

2000ねんのアルバム『Real Fusion』発売はつばいツアーより梶原かじはらじゅんのりちく裕之ひろゆき青木あおき智仁ともひと松本まつもとけいと「本田ほんだバンド」のメンバーがほぼ固定こていされ、青木あおき急逝きゅうせいする2006ねんまでこのメンバーを中心ちゅうしんにソロ活動かつどうおこなうこととなる。2004ねんには全曲ぜんきょくでこの5にんそろった『Assemble A Crew』をリリースしているが、皮肉ひにくにもレコーディングで全員ぜんいんそろうのはこのアルバムが最後さいごとなってしまう。

2002ねん塩谷しおやあきら青木あおき智仁ともひと沼澤ぬまさわしょうフォー・オブ・ア・カインド (FOAK) 結成けっせい。セルフ・タイトル・アルバムをリリース。2005ねんまでに2まいのオリジナルアルバムをリリースしている。

2004ねんチキンジョージレコード代表だいひょう取締役とりしまりやく間瀬ませじょう健治けんじフォークデュオアマント」を結成けっせい。このユニットでは「よんまんじゅう太郎たろう名義めいぎ活動かつどうしている[ちゅう 1]。その、バカボン鈴木すずきらとともに「おれたちだって、うたいたい!!」としょうしたスタジオミュージシャンたちうた披露ひろうするステージにも参加さんかしている。

2005ねん9がつ9にち神戸こうべでの本田ほんだバンドのステージでまだ発売はつばいされたばかりのEWI4000s世界せかいはじめてステージで使用しようしている。また、このとしの12月、本田ほんだふくめて全員ぜんいんもとT-SQUAREの松本まつもと (Key)、のりちく (Dr)、須藤すとうみつる (B) とともに「にせスクェア」としてライブをおこな翌年よくねん本田ほんだ雅人まさと with VOICE OF ELEMENTS (VOE) として正式せいしき結成けっせいどう時期じき青木あおき急逝きゅうせい本田ほんだバンドの活動かつどう自粛じしゅくしていたこともありこちらの活動かつどうえる。7月にセルフ・タイトル・アルバムをリリース。

2007ねんには歌手かしゅマリーン共演きょうえんし、Marlene Meets Masato Honda名義めいぎでアルバム、『Jazz'n out』を発表はっぴょう

2008ねんにはレーベルをビクター・エンターテインメントからBMGジャパンへ移籍いせきボブ・ジェームスネイザン・イーストハーヴィー・メイソンマイク・ミラーらをむかえ、はつ海外かいがいレコーディングとなるアルバム、『Across the Groove』を発表はっぴょうした。同年どうねんのうちにBMGジャパンは活動かつどう停止ていししてソニー・ミュージックの子会社こがいしゃとなり、結果けっかてきにT-SQUAREに在籍ざいせきしていたころおなじソニーにもどることになる。また、このころから本田ほんだバンドのベーシストに誕生たんじょうおなじというえん櫻井さくらい哲夫てつお参加さんかするようになり、2009ねん12月にそのソニーより本田ほんだ梶原かじはらのりちく松本まつもと櫻井さくらいのメンバーをじくとした『Solid State Funk』を発表はっぴょう

2015ねんにはユニバーサルミュージックに移籍いせきし、フュージョンの名門めいもんレーベルGRPレコードから5ねんはんぶりのアルバム『SAXES STREET』を発表はっぴょう

父親ちちおや音楽おんがく教員きょういんいえおおくの楽器がっきがありれる機会きかいおおかったためか、メインインストゥルメントであるサックスEWIはもちろん、木管もっかん金管きんかんギターピアノドラムてはボーカルまでありとあらゆる楽器がっき演奏えんそうできるマルチプレイヤーいちめんっており、ステージでえメドレーがまれることもある。録音ろくおんでもT-SQUARE時代じだいから多重たじゅう録音ろくおんにより一人ひとりでホーン・セクションをすべてこなして「All Woodwinds and Brass Instruments」とクレジットされたことがあるほか、ソロでもすべての楽器がっき本田ほんだ自身じしん担当たんとうした『Carry Out』のようなアルバムも存在そんざいする。また、角松かどまつ敏生としおなどのバックで演奏えんそうするさいにもひとつのきょくなかでサックスやギターなど複数ふくすう楽器がっきえて演奏えんそうする姿すがたられる。なお、自宅じたくにある数々かずかず私物しぶつ楽器がっきはステージの余興よきょうコーナーなどでも度々たびたび登場とうじょうしている。

ステージでは通常つうじょう楽曲がっきょく演奏えんそうえメドレーだけではなく、余興よきょうてき色々いろいろなコーナー[ちゅう 2]、テーマをめたメドレー[ちゅう 3]、さらにMCではバックバンドのメンバーらとトークをひろげるなどエンターテイメントせいんだ内容ないようとなっている。

母校ぼこうである中村なかむら高校こうこう野球やきゅうだい49かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうしたさい吹奏楽すいそうがく部員ぶいんとしてアルプススタンドで演奏えんそう参加さんかしており、また、2017ねんだい89かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい21世紀せいきわく選出せんしゅつされたさいにも、自作じさく応援おうえんきょく複数ふくすうろし、またアルプススタンドでの応援おうえんにも参加さんかするなど全面ぜんめん支援しえんしている。

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

アルバム[編集へんしゅう]

タイトル 発売はつばいねん レーベル 品番ひんばん
B.B.STATION LIVE AT ROPPONGI PIT INN 1998 ヴィレッジ VRFL 0019
Growin' 1998 ビクターJVC VICJ 60238
Carry Out 1999 VICJ 60392
Illusion 2000 VICJ 60553
Real Fusion 2000 VICJ 60653
What Is Fusion 2001 VICJ-60736
…And You? (Single) 2001 VICJ-35003
Cross Hearts 2001 VICJ-60838
THE BEST AND MORE 2002 VICJ-60895
Crowded Colors 2003 VICJ-61093
Assemble a Crew 2004 VICJ-61209
THE BEST AND MORE II 2008 VICJ-61539
Across the Groove 2008 BMG JAPAN BVCJ-34035
Solid State Funk 2009 SMJ SICL 224
Saxes Street 2015 GRP / ユニバーサル UCCJ-2126

本田ほんだ雅人まさと with VOICE OF ELEMENTS[編集へんしゅう]

タイトル 発売はつばいねん 品番ひんばん
MASATO HONDA with VOICE OF ELEMENTS 2006 VICJ-61378

VHS[編集へんしゅう]

ビクターエンタテインメントから発売はつばい

タイトル 発売はつばいねん 品番ひんばん
What is Fusion 2001 VIVJ-5

DVD[編集へんしゅう]

タイトル 発売はつばいねん 品番ひんばん
What is Fusion 2001 VIBJ-1
Live! Cross Hearts 2003 VIBJ-3
Masato Honda LIVE! Assemble A Crew 2004 BFBA-00011
MASATO HONDA with VOICE of ELEMENTS LIVE2006 AT SHIBUYA-AX 2006.9.10 2007 BFBA-00037

プライベート[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 間瀬ませじょうは「尼崎あまさき熊蔵くまぞう3せい名義めいぎ
  2. ^ 自作じさくきょくのカラオケをながきゃくのリクエストにおうじて即興そっきょう演奏えんそうしたり、メンバーで楽器がっきえたり、ては年末ねんまつコンサートで「紅白こうはく歌合戦うたがっせん」と銘打めいうって全員ぜんいんがそれぞれうた披露ひろうするなど。
  3. ^ ないきょくメドレーやアルバム1きょくメドレーなど。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ “はたも~ら vol43 2016 Autumn-Winter 53ページ”. http://www.40010.com/mo-ra/vol43/page/index.html 2022ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん 
  2. ^ 本田ほんだ雅人まさと(インタビュアー:よし)「T-SQUARE "BLUE IN RED" Interview - 本田ほんだ雅人まさと」『CyberFusion』、1997ねんhttp://jazzfusion.com/intvw/hondfrm.htm2020ねん6がつ12にち閲覧えつらん 
  3. ^ 隆之たかゆき (2007ねん3がつ15にち). “本田ほんだ 雅人まさとさん(サックス奏者そうしゃ) : メルセデス・ベンツ CLS350 3497cc : 愛車あいしゃ物語ものがたり”. YOMIURI ONLINE. 2007ねん3がつ19にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん6がつ12にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]