もとのり

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もとのり(り げんそく、生年せいねんしょう - えい3ねん4がつ7にち[1]652ねん5がつ20日はつか))は、中国ちゅうごくとう高祖こうそふかしじゅう二男じなんははおう才人さいじんつね

経歴けいれき[編集へんしゅう]

武徳ぶとく4ねん621ねん)、荊王にふうじられた。さだかん7ねん633ねん)、しゅう刺史ししにんじられた。さだかん10ねん636ねん)、彭王にあらためふうされ、とげしゅうみやこただしにんぜられた。あいだもなくかんむりふく位階いかいえて僭越せんえつであるとして免官めんかんされた。さだかん17ねん643ねん)、澧州刺史ししにんじられ、態度たいどあらためて職務しょくむ精励せいれいし、名声めいせいをえた。えい徽3ねん(652ねん)にると、つかさ荊州だいとく追贈ついぞうされ、けんじりょうに陪葬された。おくりなおもえといった。こうはじめもち春宮とうぐうのぼって、かれ葬列そうれつぎるのをのぞみ、はげしく慟哭どうこくしたという。

がなく、霍王もとあやこうぎ、りゅうさく年間ねんかんみなみあきらおうてられた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ きゅうとうしょまき4, こうそうおさむうえ ひさしさんねんよんがつかぶとうまじょうによる。

伝記でんき資料しりょう[編集へんしゅう]