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みやこ使ぬし

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ひがしかんきくから転送てんそう

みやこ使ぬし[1](つかのおみ)またはひがしかん きく[2](やまとのあや の つか)は、『日本書紀にほんしょきとうつたわる古代こだい日本にっぽん人物じんぶつ

日本書紀にほんしょき』では「みやこ使ぬし」「ひがしかんちょくきく(やまとのあやのあたい つか)」「ひがしかんきくじき」、文献ぶんけんでは「都賀つが使つかいぬし」「都賀つがただし」とも表記ひょうきされる。「使つかいぬし」は敬称けいしょう[ちゅう 1]

やまとかんじきひがしかん阿知あち使ぬし阿智あちおう)のとされる渡来とらいじんである。

系譜けいふ[編集へんしゅう]

日本書紀にほんしょき』や「坂上さかがみ系図けいずしょ引『新撰しんせん姓氏せいしろく逸文いつぶんでは、みやこ使ぬし都賀つが使つかいぬし)を阿知あち使ぬしとする[3][1]

また上記じょうき新撰しんせん姓氏せいしろく逸文いつぶんでは、都賀つが使つかいぬしには山木やまきただしこころざしつとむただしなんじ伎直の3にんがあり、3にんはそれぞれあにはら中腹ちゅうふくおとうとはらであるとする[3][1]

記録きろく[編集へんしゅう]

日本書紀にほんしょき[編集へんしゅう]

日本書紀にほんしょき応神天皇おうじんてんのう20ねん9がつじょうでは、やまとかんただし阿知あち使ぬしおよびその使ぬしが、自分じぶんたち党類とうるい17けんひきいて来朝らいちょうしたとえる[4][1]

いで応神天皇おうじんてんのう37ねん2がつ1にちじょうによれば、阿知あち使ぬしみやこ使ぬし中国ちゅうごく江南こうなん)にぬえこうおんなもとめるためつかわされ、くれおうからあにひめおとうとひめあなさづけられた[4][1]応神天皇おうじんてんのう41ねん2がつ阿知あち使おもらはから筑紫つくしいたり、そこでむねがた大神おおがみ(= 宗像むなかた大神だいじん)のもとめにおうじてあにひめどうかみ献上けんじょうした。そしてのこる3にんれてかえったが、すで天皇てんのうくずれじていたため、だい鷦鷯みそさざいみこと(のちの仁徳天皇にんとくてんのう)に3にん献上けんじょうしたという[4]

さらに雄略天皇ゆうりゃくてんのう7ねんじょうによれば、天皇てんのう大伴室屋おおとものむろやみことのりして、ひがしかんちょくきくひがしかんきくじき)にめいじてしんかんすえ高貴こうき鞍部あんぶけんたかいん斯羅錦部にしきべじょうやすにしき訳語やくごやすらをうえ桃原とうばるした桃原とうばる真神まがみばらの3しょに遷居させたという[5][1]。また雄略天皇ゆうりゃくてんのう23ねん8がつ7にちじょうによれば、天皇てんのう大伴室屋おおとものむろやひがしかんきくじかのこみことのりし、皇太子こうたいし(のちのせいやすし天皇てんのう)を援けて星川ほしかわおう星川ほしかわ皇子おうじ)をほろぼさせている[5][1]

その[編集へんしゅう]

古事記こじき応神天皇おうじんてんのうでは、かんじき渡来とらいしたことがしるされるが、具体ぐたいてき人名じんめいげられていない[1]

坂上さかがみ系図けいずしょ引『新撰しんせん姓氏せいしろく逸文いつぶんでは、阿智あち使ぬし都賀つが使つかいぬしは、雄略天皇ゆうりゃくてんのうときに「使つかいぬし」をあらためて「ただし」のカバネたまわったとする[3][4][1]

後裔こうえい氏族しぞく[編集へんしゅう]

みやこ使ぬしについて『日本書紀にほんしょき』では、前述ぜんじゅつのようにやまとかんじきひがしかん遠祖えんそ位置いちづけられている[1]

また「坂上さかがみ系図けいずしょ引『新撰しんせん姓氏せいしろく逸文いつぶんでは、ひがしかんおおくの支族しぞく(62)が都賀つが使つかいぬしからかれたむねしるされる[3][6][7]

新撰しんせん姓氏せいしろく』(抄録しょうろく)では、つぎ氏族しぞく後裔こうえいとして記載きさいされている[1]

  • 右京うきょうしょしげる 檜原ひのはら宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしまごひさげじきのち
  • 右京うきょうしょしげる 内蔵ないぞう宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしよんせいまごひがしじんじきのち
  • 右京うきょうしょしげる 山口やまぐち宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしよんせいまごじきのち
  • 右京うきょうしょしげる 平田ひらた宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしせいまごいろおっとじきのち
  • 右京うきょうしょしげる ふとし宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしさんせいまごうさぎじきのち
  • 右京うきょうしょしげる たに宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしよんせいまご宇志うしじきのち
  • 右京うきょうしょしげる うね宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしさんせいまご大父おおぶじきのち
  • 右京うきょうしょしげる 桜井さくらい宿禰すくね - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしよんせいまごひがしじんじきのち
  • 右京うきょうしょしげる ぶんすん - 坂上さかがみだい宿禰すくねどう都賀つがただしのち

考証こうしょう[編集へんしゅう]

新撰しんせん姓氏せいしろく逸文いつぶんでは、都賀つが使つかいぬしから3はら氏族しぞくかれたとしるされるが、これについては事実じじつではなく、複数ふくすう渡来とらいけい集団しゅうだん後世こうせい擬制ぎせいてき同族どうぞく結合けつごうむすんださいじょうされたものとかんがえられている[6]

また、『日本書紀にほんしょき』において「みやこ使ぬし」と「ひがしかんきく」とがことなる時期じき記述きじゅつされることについては、「ひがしかんきく」の人物じんぶつめい遡及そきゅうしてひがしかん祖先そせん伝承でんしょうまれ、「みやこ使ぬし」の伝承でんしょう形成けいせいされたとするせつげられている[8]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 使つかいぬし(おみ)」は「しん(おみ)」におなじとられるが、おもにはカバネとしてもちいる場合ばあいは「しん」、人名じんめい末尾まつび敬称けいしょうとしてもちいる場合ばあいは「使つかいぬし」と使つかけたとするせつがある(「使つかいぬし」『国史こくしだい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん)。

出典しゅってん

  1. ^ a b c d e f g h i j k みやこ使ぬし古代こだい氏族しぞく) & 2010ねん.
  2. ^ ひがしかんきく」『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん平凡社へいぼんしゃ
  3. ^ a b c d つづけぐんしょ類従るいじゅうだいなな輯下(系図けいず)、pp. 381-382。
  4. ^ a b c d 新編しんぺん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう 2 日本書紀にほんしょき (1)』小学館しょうがくかん、2002ねんジャパンナレッジはん)、pp. 486-487, 494-495, 497。
  5. ^ a b 新編しんぺん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう 3 日本書紀にほんしょき (2)』小学館しょうがくかん、2004ねんジャパンナレッジはん)、pp. 174-175, 208-213。
  6. ^ a b ひがしかん古代こだい氏族しぞく人名じんめい辞典じてん) & 2010ねん.
  7. ^ ひがしかん古代こだい氏族しぞく事典じてん) & 2015ねん.
  8. ^ みやこ使ぬし日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • せきあきらみやこ使ぬし」『国史こくしだい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん 
  • 菊地きくち照夫てるおみやこ使ぬし」『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)』小学館しょうがくかん 
  • 日本にっぽん古代こだい氏族しぞく人名じんめい辞典じてん 普及ふきゅうばん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2010ねんISBN 978-4642014588 
    • みやこ使ぬしひがしかん
  • 佐伯さえきゆうきよし へんひがしかん」『日本にっぽん古代こだい氏族しぞく事典じてん 新装しんそうばん雄山閣ゆうざんかく、2015ねんISBN 978-4639023791 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]