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松下まつした禎二ていじ

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松下まつした禎二ていじ

松下まつした 禎二ていじ(まつした ていじ、1875ねん明治めいじ8ねん6月21にち - 1932ねん昭和しょうわ7ねん6月23にち[1])は、日本にっぽん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん庚申こうしん倶楽部くらぶ)、医学いがくしゃ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

鹿児島かごしまけん高城たかぎぐん西方にしほうむら現在げんざい薩摩さつま川内せんだい西方にしほうまち出身しゅっしん[2]1890ねん明治めいじ23ねん)、だい高等こうとう中学校ちゅうがっこう医学部いがくぶ入学にゅうがくし、1894ねん明治めいじ27ねん)に卒業そつぎょうした。

1897ねん明治めいじ30ねん)よりドイツ留学りゅうがくし、フライブルク大学だいがくギーセン大学だいがくハレ大学だいがくブレスラウ大学だいがく植物しょくぶつがく動物どうぶつがく物理ぶつりがく鉱物こうぶつがく内科ないかがく病理びょうりがく衛生えいせいがく細菌さいきんがく耳鼻咽喉じびいんこう科学かがく哲学てつがく心理しんりがく論理ろんりがくなどをまなんだ。

1902ねん明治めいじ35ねん)に帰国きこくし、翌年よくねん3がつ17にち医学いがく博士はかせ学位がくい[3]同年どうねん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく医科いか大学だいがく教授きょうじゅとなり、衛生えいせいがく講座こうざ担当たんとうした。1913ねん大正たいしょう2ねん)6がつ23にち理学りがく博士はかせ学位がくい[4]1916ねん大正たいしょう5ねん)からは新設しんせつ微生物びせいぶつがく講座こうざ担当たんとうした。

1920ねん大正たいしょう9ねん)、京都きょうと帝国ていこく大学だいがく退任たいにんして、だい14かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ出馬しゅつば当選とうせんたした。

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 学校がっこう衛生えいせい講話こうわ』(たからぶんかん福音ふくいんしゃ、1914ねん
  • 新撰しんせん生理せいり衛生えいせい』(はなぼう、1914-1915ねん
  • 免疫めんえきがく』(細菌さいきんがく時報じほうしゃ、1913-1916ねん
  • 文字もじノいろいろ』(福音ふくいん印刷いんさつはなぼう、1920ねん
  • 衛生えいせいひゃく』(博文ひろぶみかん、1920ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 国民こくみん年鑑ねんかん』、国民こくみん新聞しんぶんしゃ、1932ねん
  2. ^ 川内かわうち郷土きょうどへんさん委員いいんかい 1980, p. 1039.
  3. ^ 官報かんぽうだい5909ごう明治めいじ36ねん3がつ18にち
  4. ^ 官報かんぽうだい270ごう大正たいしょう2ねん6がつ24にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 井関いせき九郎くろうだい日本にっぽん博士はかせろく だいかん発展はってんしゃ、1922ねん 
  • 川内かわうち郷土きょうどへんさん委員いいんかい川内せんだい 下巻げかん川内せんだい、1980ねん