(Translated by https://www.hiragana.jp/)
栢野寺 - Wikipedia コンテンツにスキップ

栢野かやのてら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

栢野かやのてら(かやのでら)は栢野かやの大杉おおすぎのある神社じんじゃ初期しょき呼称こしょう平安へいあん時代じだい中期ちゅうきごろから栢野かやのしゃしょうした。

越前えちぜんそうやすしきよし養老ようろう元年がんねん(714ねん日本にっぽんさん名山めいざんさん霊山れいざん)のひと白山はくさんはじめてのぼ修行しゅぎょうやまひら白山しろやま信仰しんこうもととなったが、大杉おおすぎひゃくほんすぎあたいするとして白山はくさんみょう観世音かんぜおんだい菩薩ぼさつまつ栢野かやのてらとなった。

明治めいじ5ねんには廃仏毀釈はいぶつきしゃくにより役人やくにん査察ささつおそ古文書こもんじょ焼却しょうきゃくしており当地とうち保存ほぞんてら文献ぶんけんのこっていないが伝承でんしょう栢野かやのてら時代じだい以降いこう文献ぶんけんに「栢野かやの」の記述きじゅつがある[1]てらとはわれるが住職じゅうしょくたとのことでなく村落そんらくしゃ(やしろ)であったとかんがえられる。なお栢野かやの元元もともとかや」であったとの伝承でんしょうもある[2]

のち栢野かやのしゃとなったが、きょうから源義経みなもとのよしつね武蔵坊むさしぼう弁慶べんけいらとともに平泉ひらいずみ目指めざし、平泉寺ひらいずみじったのち[3]丸岡まるおか山中さんちゅう温泉おんせんトンネルつらぬ大内おおうちとうげてこのてらまつみょう観世音かんぜおんだい菩薩ぼさつ安全あんぜん祈願きがんして、安宅あたかせきかったとの伝承でんしょうがある。我谷わがたにダム埋没まいぼつのため移住いじゅうした我谷わがたにまち地区ちくふるくから「矢場やばしり(やばしり)」とばれ、弁慶べんけいおくれるほか従者じゅうしゃへの目印めじるしとしていわしるしけたともわれる[1]

栢野かやのてら白山はくさんいんひとつとの伝承でんしょうもあるが[1]きゅう江沼えぬまぐんひがし谷口たにぐちむら現在げんざい加賀かが柏野かしわのまち)に過去かこいち存在そんざいした「かしわ野寺のでら(かしわのてら)」が白山はくさんいんであるとの見解けんかい定着ていちゃくしている [4]。 「かしわ野寺のでら」と「かしわ野寺のでら」、「かしわ」と「かしわ」の混同こんどう誤記ごきおおくの文献ぶんけんられる。後年こうねん佐久間さくまもりまさしもうけ、加賀かが一向いっこう一揆いっき終焉しゅうえんかれた山城やましろ栢野かやのじょう」にかんしても同様どうよう混同こんどうられる。1902ねん明治めいじ35ねん)9がつ初版しょはん吉田よしだ東伍とうごの『だい日本にっぽん地名ちめい辞書じしょ』では疑問ぎもんていしながらも柏野かしのてら栢野かやのてらとしているが[5]、これは1925ねん大正たいしょう14ねん)9がつ地元じもと編纂へんさんの『石川いしかわけん江沼えぬまぐん』で柏野かしのてらただしいと指摘してきされている。またこの江沼えぬまによれば消失しょうしつしていた柏野かしのてら焼跡やけあとから本尊ほんぞん大正たいしょう5ねん帝国ていこく博物館はくぶつかんぞうしたとされる[6]栢野かやのじょうかんしても『朝倉あさくら始末しまつ』や『こしのぼるさんしゅうこころざし』など「柏野かしの」とかれるとされるが昭和しょうわ年代ねんだい福井ふくいふみ編纂へんさんでは「栢野かやの」との見解けんかいである[1]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d 大聖寺だいしょうじ川上かわかみ流域りゅういき歴史れきし編纂へんさん委員いいんかい へん大聖寺だいしょうじ川上かわかみ流域りゅういき歴史れきし』(初版しょはん)ホクトインサツ、小松こまつまち原著げんちょ2009ねん4がつ5にち)、86,278ぺーじ  NCID 大聖寺だいしょうじ川上かわかみ流域りゅういき歴史れきし: 大聖寺だいしょうじ川上かわかみ流域りゅういき歴史れきし編纂へんさん委員いいんかい, 2009.4
  2. ^ 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけいだい17かん石川いしかわけん地名ちめい平凡社へいぼんしゃ東京とうきょう、1991ねん9がつ、70ぺーじISBN 4-582-49017-4 
  3. ^ 週刊しゅうかん義経よしつね伝説でんせつ紀行きこう”. 日経にっけいBP (2005ねん6がつ9にち). 2009ねん6がつ28にち閲覧えつらん Archived 2015-12-08 at the Wayback Machine. 日経にっけいBP 週刊しゅうかん 義経よしつね伝説でんせつ紀行きこう (2005ねん6がつ9にち)
  4. ^ 白山はくさんいん」とは、いまの加賀かがにあったとされるかしわ野寺のでら温泉寺おんせんじ極楽寺ごくらくじしょう野坂寺のさかじ大聖寺だいしょうじいつ だかふれあいたい日記にっき: 石川いしかわ県立けんりつ大聖寺実業高等学校だいしょうじじつぎょうこうとうがっこう
    白山はくさんいん at the Wayback Machine (archived 2024-06-06)白山はくさんいんとは、いまの加賀かがにあったとされるかしわ野寺のでら温泉寺おんせんじ極楽寺ごくらくじしょう野坂寺のさかじ大聖寺だいしょうじいつつ, だかふれあいたい日記にっき: 石川いしかわ県立けんりつ大聖寺実業高等学校だいしょうじじつぎょうこうとうがっこう
  5. ^ 吉田よしだ東伍とうごだい日本にっぽん地名ちめい辞書じしょ北陸ほくりく東国とうごく明治めいじ35ねん9がつ26にち初版しょはん)』 だい5かん増補ぞうほばん)、冨山とやまぼう東京とうきょう千代田ちよだ神田かんだ神保じんぼうまち、1971ねん3がつ25にち、81ぺーじISBN 4-572-00031-X 
  6. ^ 石川いしかわけん江沼えぬまぐん役所やくしょ へん石川いしかわけん江沼えぬまぐん』(復刻ふっこくばん臨川りんせん書店しょてん京都きょうと左京さきょう、1985ねん10がつ31にち原著げんちょ1925ねん9がつ)、940、995ぺーじISBN 4-653-01253-9 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]