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榊山神社 (中津川市) - Wikipedia コンテンツにスキップ

榊山さかきやま神社じんじゃ (中津川なかつがわ)

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きむぬさしゃ 榊山さかきやま神社じんじゃ
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん中津川なかつがわ福岡ふくおか500番地ばんち
位置いち 北緯ほくい3533ふん35.67びょう 東経とうけい13727ふん18.52びょう / 北緯ほくい35.5599083 東経とうけい137.4551444 / 35.5599083; 137.4551444 (榊山さかきやま神社じんじゃ)
主祭しゅさいしん けんそく須佐すさおとこいのち 天照大御神あまてらすおおみかみ よこしま美之みゆきいのち
社格しゃかくひとし 郷社ごうしゃ きむぬさしゃ
創建そうけん 養老ようろう2ねん(718ねん)6がつ
例祭れいさい 7がつだい4日曜日にちようび
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きむぬさしゃ 榊山さかきやま神社じんじゃ(さかきやまじんじゃ)は、岐阜ぎふけん中津川なかつがわ福岡ふくおか鎮座ちんざする神社じんじゃきゅう社格しゃかく郷社ごうしゃ

祭神さいじん

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歴史れきし

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明治めいじ24ねん(1891ねん)8がつかれた由緒ゆいしょしょによると、創建そうけん養老ようろう2ねん718ねん)6がつ荒田あらたさかえひさ勧請かんじょうとされる。

荒田あらたさかえひさいえにわに、突然とつぜんななほんすぎなえてんからった。そのとき荒田あらだ童子どうじが、

われ津島つしま牛頭ごず天王てんのうナリ。此ノしょじゅうンデちょう荘内そうないまもるラン、其ノしるしすぎなえおけケリ」と神託しんたくはなした。

そこで荒田あらたさかえひさすぎなええてもりとして社殿しゃでんきずき、「飛天ひてんおう」としょうして牛頭ごず天王てんのう氏神うじがみとして尊崇そんすうした。

また、この出来事できごと地名ちめいうえ苗木なえぎげん中津川なかつがわ市立しりつ福岡ふくおか小学校しょうがっこう付近ふきん)の由来ゆらいとなった。

鎌倉かまくら時代ときよ元弘もとひろたてたけし年間ねんかんに、遠山とおやまいちくも入道にゅうどう広恵ひろえてらじょうよりたつみ方向ほうこう木曽川きそがわのぞ要害ようがいである高森たかもりしろきずくと、「うえ」のはぶいて苗木なえぎとした。

以降いこう苗木なえぎ遠山とおやまにより保護ほごされた。鎌倉かまくら時代ときよ末期まっきから南北なんぼくあさ時代じだいころ広恵ひろえてらじょう宗良親王むねながしんのうせていたといういいつたえがある。てきぐんめられたさいに、遠山とおやまけい天王てんのういのると、社殿しゃでんからてきぐんはなたれ、たちまち暴風雨ぼうふううがおきててきぐん退散たいさんしたという。

戦国せんごく時代じだい天文てんもん年間ねんかん遠山とおやまただしれん苗木なえぎじょう築城ちくじょうすると、天王てんのう苗木なえぎじょう移転いてんしようとしたが、神体しんたい途中とちゅううごかなくなった。ちょくかどはこの天王てんのうまつることにし、天文てんもん10ねん1541ねん)にあらたな社殿しゃでんきずいた。これがげんしゃである。

江戸えど時代じだいには苗木なえぎはん保護ほごけた。

明治めいじ元年がんねん1868ねん)に榊山さかきやま神社じんじゃ改称かいしょうする。

うえ苗木なえぎ天王てんのう跡地あとちには、明治めいじ32ねん1899ねんうえ苗木なえぎ神社じんじゃ創建そうけんされている。

現在げんざい建物たてもの大半たいはん昭和しょうわ11ねん1936ねん)の再建さいけんである。

例祭れいさい

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  • 毎年まいとし7がつだい4日曜日にちようび例祭れいさいは、「たたきまつり」という。みこによるまいかみへの祝詞のりとたてまつじょうされると、氏子うじこ代表だいひょうらが参拝さんぱいしゃさかきたたいていくものである。
  • 天文てんもん年間ねんかん遠山とおやまただしかど天王てんのう苗木なえぎじょう移転いてんしようとしたさいに、この神体しんたいうごかなくなってしまった。家臣かしんたちは最後さいご手段しゅだんとしてさかきえだきょうものたたいたが神体しんたいうごかなかったという。「たたきまつり」は、このいいつたえに由来ゆらいする。詳細しょうさい榊山さかきやま神社じんじゃ

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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  • 太刀たち めい 吉則よしのり[1] - 南北なんぼくあさ時代じだい山城やましろこく刀工とうこう三条さんじょう吉則よしのりさくで、「吉則よしのりめいがあり、「吉則よしのり太刀たち」とばれている。だい12だい苗木なえぎ藩主はんしゅ遠山とおやまともろく寄進きしんである。1928ねん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされ[1]現在げんざい中津川なかつがわ苗木なえぎ遠山とおやま史料しりょうかん寄託きたくされている。

中津川なかつがわ指定してい文化財ぶんかざい

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  • 榊山さかきやま神社じんじゃ 本殿ほんでん[2]
  • 榊山さかきやま神社じんじゃ 拝殿はいでん[2]
  • 榊山さかきやま神社じんじゃ せき灯籠どうろう[3]
  • 榊山さかきやま神社じんじゃ 乃木のぎ希典まれすけ筆跡ひっせき記念きねん[4]

交通こうつう機関きかん

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外部がいぶリンク

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参考さんこう文献ぶんけん

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福岡ふくおかまち 通史つうしへん 下巻げかん』 だいきゅうしょう 宗教しゅうきょう だいせつ 町内ちょうない鎮座ちんざかく神社じんじゃ 榊山さかきやま神社じんじゃ p961~p962 福岡ふくおかまち 1992ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 太刀たち めい 吉則よしのり”. 岐阜ぎふけん. 2013ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 有形ゆうけい文化財ぶんかざい”. 中津川なかつがわ (2013ねん2がつ13にち). 2013ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ 榊山さかきやま神社じんじゃ せき灯籠どうろう”. 中津川なかつがわ (2011ねん2がつ23にち). 2013ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ 榊山さかきやま神社じんじゃ 乃木のぎ希典まれすけ筆跡ひっせき記念きねん”. 中津川なかつがわ (2011ねん10がつ7にち). 2013ねん4がつ21にち閲覧えつらん