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江崎えざき史子ふみこ

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獲得かくとくメダル
日本の旗 日本にっぽん
柔道じゅうどう
世界せかい柔道じゅうどう選手権せんしゅけん
ぎん 1986 マーストリヒト 48kgきゅう
ぎん 1987 エッセン 48kgきゅう
ぎん 1989 ベオグラード 48kgきゅう
アジア大会たいかい
きむ 1990 北京ぺきん 48kgきゅう

江崎えざき 史子ふみこ(えさき ふみこ、1971ねん9月27にち - )は、長野ながのけん松本まつもと出身しゅっしん日本にっぽん女子じょし柔道じゅうどう選手せんしゅ身長しんちょう155cm。現役げんえき時代じだいは48kgきゅう選手せんしゅだった[1]

経歴けいれき

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小学校しょうがっこう4ねんとき父親ちちおや影響えいきょうけて、近所きんじょ松島まつしま道場どうじょう柔道じゅうどうはじめた。同期どうきにはいずみ香澄かすみがいた[2]信州大学しんしゅうだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞく松本まつもと中学校ちゅうがっこう中学ちゅうがく2ねんとき全日本ぜんにほん女子じょし柔道じゅうどう体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん大会たいかい52kgきゅう決勝けっしょう山口やまぐちかおりやぶれるが2となった[1]翌年よくねんには階級かいきゅうを1つげて48kgきゅう出場しゅつじょうして優勝ゆうしょうげ、世界せかい選手権せんしゅけんでは決勝けっしょうでイギリスのカレン・ブリッグスやぶれたものの、中学ちゅうがく3年生ねんせいながら2となった[1]八千代やちよ松陰まつかげ高等こうとう学校がっこう進学しんがく世界せかい選手権せんしゅけんでは決勝けっしょう中国ちゅうごくただしくもやぶれてふたたび2わった[1]。1988ねんオリンピック(公開こうかい競技きょうぎ)でも有効ゆうこうやぶれて2にとどまった[1]。1989ねん体重たいじゅうべつ決勝けっしょうでは52kgきゅうから階級かいきゅうげてきた山口やまぐち一本いっぽんちして、山口やまぐちはこれを契機けいき現役げんえき退しりぞくこととなった[1]つづ世界せかい選手権せんしゅけん決勝けっしょうではブリッグスにまたもやぶれて2わった[1]翌年よくねん筑波大学つくばだいがく進学しんがく体重たいじゅうべつでは、準決勝じゅんけっしょう田村たむら亮子あきこよこ四方しほうかた一本いっぽんちするなどして5連覇れんぱ達成たっせいした[1]。さらにアジア大会たいかいでは決勝けっしょう中国ちゅうごくあいがつ判定はんてい(3-0)でやぶ優勝ゆうしょうたした[1]。しかし、1991ねん体重たいじゅうべつ決勝けっしょうでは前年ぜんねん福岡ふくおか国際こくさい彗星すいせいごと国際こくさい大会たいかいデビューをかざった田村たむら亮子あきこ判定はんてい(3-0)でやぶれて世界せかい代表だいひょうになれず[1]つづ福岡ふくおか国際こくさいでは、準決勝じゅんけっしょう世界せかいチャンピオンであるフランスのセシル・ノバック判定はんてい(2-1)でやぶるも、決勝けっしょうでは田村たむら相手あいて優勢ゆうせい試合しあいすすめながら終了しゅうりょう間際まぎわ強引ごういん内股うちまた効果こうかられてやぶれ、かた負傷ふしょうした[1]。1992ねん体重たいじゅうべつでは準決勝じゅんけっしょう長井ながい淳子じゅんこ有効ゆうこうられてやぶれた[1]大学だいがく卒業そつぎょうそごう所属しょぞくになったものの以前いぜんのような活躍かつやくられなかった。引退いんたい株式会社かぶしきがいしゃサンリに所属しょぞくしていたこともあった[3]

おも戦績せんせき

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(出典しゅってん[1]JudoInside.com)。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 平成へいせい3年度ねんど後期こうき国際こくさい試合しあい柔道じゅうどう強化きょうか選手せんしゅ近代きんだい柔道じゅうどう ベースボールマガジンしゃ、1992ねん2がつごう
  2. ^ 「ZOOM IN 素顔すがお 江崎えざき史子ふみこ近代きんだい柔道じゅうどう ベースボールマガジンしゃ、1988ねん9がつごう、66-67ぺーじ
  3. ^ 株式会社かぶしきがいしゃサンリ

外部がいぶリンク

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