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ながれよ、わがなみだ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ながれよ、わがなみだ」(ながれよ、わがなみだ、英語えいご: "Flow, my tears")は、イングランド王国おうこく音楽家おんがくかジョン・ダウランド作曲さっきょくしたリュート歌曲かきょくである[1]1600ねん出版しゅっぱんどう時代じだいのヨーロッパで随一ずいいち人気にんき知名度ちめいどほこった楽曲がっきょくであり、器楽きがくきょくばんだけでも東欧とうおうのぞしょ地域ちいきで100前後ぜんこう写本しゃほん刊本かんぽん残存ざんそんし、ダウランドの存命ぞんめいから後世こうせいいたるまですうおおくの音楽家おんがくかによってオマージュ作品さくひん作曲さっきょくされた。比喩ひゆてき意味いみでも文字通もじどおりの意味いみでもダウランドの代名詞だいめいしてき歌曲かきょくで、ダウランド自身じしん、「なみだのジョン・ダウランド」(ちゅう英語えいご: "Jo: dolandi de Lachrimae")と署名しょめいすることさえあった[2]

文献ぶんけんじょう初出しょしゅつは『だい歌曲かきょくしゅう』(1600ねん)で、当時とうじだいつづりは「ながれよ、わがなみだ、なんじのみなもとからあふちよ」(ちゅう英語えいご: Flow my teares fall from your springs)。もともと1596ねんに「なみだのパヴァーヌ」(ラクリメ・パヴァン、"Lachrimae pavan")というだい器楽きがくきょくとして作曲さっきょくされたものである[3]歌詞かしはダウランド自身じしんによって、このきょくのためにかれた可能かのうせい指摘してきされている。1604ねんには、「ラクリメ」の編曲へんきょくあつめた楽曲がっきょくしゅう『ラクリメ、あるいはななつのなみだ』(ちゅう英語えいご: Lachrimae, or Seaven Teares)が出版しゅっぱんされた。

詳細しょうさい[編集へんしゅう]

ダウランドのほか歌曲かきょく同様どうよう、この作品さくひん形式けいしきらくしき)と様式ようしき舞曲ぶきょくに、この場合ばあいとくパヴァーヌもとづいている。初出しょしゅつ1600ねんロンドン出版しゅっぱんされた『こえ四声しせいこえのためのだい歌曲かきょくあるいはエアしゅうリュートもしくはオルファリオン、およびヴィオラ・ダ・ガンバのためのタブラチュアき』(ちゅう英語えいご: The Second Booke of Songs or Ayres of 2, 4 and 5 parts: with Tableture for the Lute or Orpherian, with the Violl de Gamba)、通称つうしょうだい歌曲かきょくしゅう』(ちゅう英語えいご: The Second Booke of Songs)である。

うただしは「ながれるなみだ」のモティーフで、「ながれよ、わがなみだ」の歌詞かしとともにラからはじまり段階だんかいてきにミまで下降かこうする。このモティーフはおそらくオルランド・ディ・ラッソモテットルカ・マレンツィオマドリガーレからの借用しゃくようともかんがえられ(この形式けいしきのモティーフはエリザベスあさ音楽おんがくではなげきを表現ひょうげんするのにしばしばもちいられた)、本歌ほんかきょくにはほかにも両者りょうしゃからの借用しゃくようられる[4]。アンソニー・ボーデンは、本歌ほんかきょくを「おそらく17世紀せいき初期しょき英語えいご歌曲かきょくもっとひろられているもの」としょうしている[5]

関連かんれんきょく[編集へんしゅう]

この歌曲かきょくには、器楽きがくきょくばん変種へんしゅ数多かずおお存在そんざいし、そのだい部分ぶぶんには「ラクリメ」(ラテン語らてんご: Lachrimaeあるいはラテン語らてんご: Lachrymae字義じぎてきには「なみだ」の)というかたりだいされている。作曲さっきょく自体じたい歌曲かきょくよりも器楽きがくきょくほうさきで、「ラクリメ・パヴァン」(「なみだのパヴァーヌ」、"Lachrimae pavan")として1596ねん完成かんせいし、歌詞かしからけられたものである[3]歌詞かしはこのきょくのためにとくろされたものであるとしんじられており、ダウランド自身じしんによるものである可能かのうせいもある[6]。イングランドの音楽おんがくがく研究けんきゅうしゃピーター・ホルマンの主張しゅちょうによれば、ラクリメの最初さいしょはん("Lachrimae Antiquae"つまり「ふるなみだ」とばれる)は「おそらくこの時代じだいにおいて、もっと際立きわだって人気にんきたか広範囲こうはんい流布るふされた器楽きがくきょく」であるという[7]。ホルマンによれば、ヨーロッパちゅう(イングランド・スコットランド・オランダ・フランス・ドイツ・オーストリア・デンマーク・スウェーデン・イタリアなど)に現存げんそんする写本しゃほん刊本かんぽんのうちおよそ100さつほどにどうきょくやそのへんきょく収録しゅうろくされているという[7]

「ラクリメ」は後世こうせい音楽おんがく(たとえばバッハショパンなど)よりも抽象ちゅうしょうてき音楽おんがくであり、いわゆる決定けっていばん楽曲がっきょく存在そんざいしない[7]。ダウランドやどう時代じだいじんたちは、今日きょうにおけるジャズのように、なか即興そっきょうてき演奏えんそうおこなったとおもわれる[7]。ホルマンのひょうによれば、「ラクリメ」の人気にんきはそのゆたかなメロディーやモティーフに由来ゆらいするものだという[7]どう時代じだいほかのイングランドの作曲さっきょく一般いっぱんてきに、楽節がくせつごとに1つか2つのモティーフしかもちいず、それらを退屈たいくつ緩慢かんまんかたち水増みずましした[7]。それとは対照たいしょうてきに、ダウランドの「ラクリメ」では、強烈きょうれつ印象いんしょうのこ多種たしゅ多様たようなメロディーが展開てんかいされ、しかもそれらが緊密きんみつかつ巧妙こうみょう関連かんれんっているのである[7]

ダウランド自身じしんによる器楽きがくきょくばんには、リュートきょく「ラクリメ」、リュートきょく「ラクリメへのガイヤルド」("Galliard to Lachrimae")、コンソート合奏がっそうきょく"Lachrimae antiquae"(1604ねん)などがある。ダウランドはまた楽曲がっきょくしゅう『ラクリメ、あるいはななつのなみだ』(ちゅう英語えいご: Lachrimae, or Seaven Teares、ロンドン、1604ねん)を出版しゅっぱんした。同書どうしょは、「ながれるなみだ」のモティーフにもとづく7つの「ラクリメ」パヴァーヌなどを収録しゅうろくしている。

様々さまざま作曲さっきょくがこの作品さくひんもとづいてあらたなきょくいた。その代表だいひょうてき人物じんぶつ作品さくひんヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク[8]トマス・トムキンズ[9]トバイアス・ヒュームの"What Greater Griefe"[よう出典しゅってん]などがある。トマス・モーリーも、First Booke of Consort Lessons(ロンドン、1599ねん)で、ブロークン・コンソートの6つの楽器がっきのための「ラクリメ・パヴァーヌ」を作曲さっきょくした。とりわけ、ジョン・ダニエルの"Eyes, look no more"には「ながれよ、なみだ」へのオマージュがより明白めいはくており[10]ジョン・ベネットの"Weep, o mine eyes"も同様どうようである[11]。20世紀せいきには、アメリカの作曲さっきょく指揮しきしゃであるヴィクトリア・ボンドが"Old New Borrowed Blues (Variations on Flow my Tears)"というきょくいた[12]ベンジャミン・ブリテンは、ダウランドのエアわたしなげきでひとしんうごかせるものなら」("If my complaints could passions move")にもとづく変奏曲へんそうきょくしゅうヴィオラのためのラクリメ」において、「ながれよ、わがなみだ」の冒頭ぼうとう引用いんようしている。2006ねんには、イギリスの電子でんし音楽おんがくグループのバンコ・デ・ガイアが、ヴォコーダーはんである「ながれよわがなみだ、とアンドロイドはいた」("Flow my Dreams, the Android Wept")を製作せいさくした[13]

歌詞かし[編集へんしゅう]

Flow my teares fall from your springs,
Exilde for euer: Let mee morne
Where nights black bird hir sad infamy sings,
There let mee liue forlorne.

Downe vaine lights shine you no more,
No nights are dark enough for those
That in dispaire their last fortuns deplore,
Light doth but shame disclose.

Neuer may my woes be relieued,
Since pittie is fled,
And teares, and sighes, and grones my wearie dayes, my wearie dayes,
Of all ioyes haue depriued.

Frō the highest spire of contentment,
My fortune is throwne,
And feare, and griefe, and paine for my deserts, for my deserts,
Are my hopes since hope is gone.

Harke you shadowes that in darcknesse dwell,
Learne to contemne light,
Happie, happie they that in hell
Feele not the worlds despite.

ながれよ、わがなみだ、なんじのみなもとからあふちよ。
とこしえの追放ついほうけたれば、せめて悲嘆ひたんゆるたまえ。
よるくろとりみずからのあわれな汚名おめいをさえずる
そのにてひとみじめにきさせたまえ。

せよ、むなしきひかり二度にどかがやくなかれ。
いかなよるとてやみふかさにるものか、
のぞみをててのこりの人生じんせいなげきにきるものには。
ひかりあきらかにするのは、ただ恥辱ちじょくのみ。

わが苦痛くつうえることはけっしてあるまい。
なぜならおも慈悲じひはとうにって、
なみだと、ためいきと、うめきのこえが、わがわずらわしき日々ひびから、わがわずらわしき日々ひびから、
すべてのよろこびをうばったのだから。

いともたか幸福こうふくいただきから
わが宿命しゅくめいてられた。
おそれと、かなしみと、くるしみこそが、このにふさわしきむくい、このにふさわしきむくい、
そしてわが自身じしん希望きぼうするもの。なぜなら「希望きぼう」はとうにってしまったのだから。

け! なんじらかげやみまうものどもよ、
いまよりのちひかりさげすめ。
さいわいなるかな、さいわいなるかな、地獄じごくにありて
このうつし悪意あくいらぬものたちは。

Flow my teares fall from your springs
from The Second Booke of Songs or Ayres,
of 2.4.and 5.parts: With Tablature for the Lute or Orpherian, with the Violl de Gamba
(1600)
日本語にほんごへの意訳いやく

以下いかに、訳文やくぶん簡単かんたん解説かいせつしめす。

  • Since pittie is fled(おも慈悲じひはとうにって):pityは現代げんだい英語えいごでは「あわれみ」という意味いみだが、ちゅう英語えいごでは「慈悲じひ」という意味いみもある[14]。なお、ふる用法ようほうでは、be動詞どうし + 過去かこ分詞ぶんし現在げんざい完了かんりょうあらわすのにも使つかわれる。
  • Feele not the worlds despite(このうつし悪意あくいらぬものたちは):despiteは現代げんだい英語えいごでは「軽蔑けいべつ」という意味いみだが、ちゅう英語えいごでは「悪意あくい」「敵意てきい」「憎悪ぞうお」という、よりつよ意味いみもある[15]古代こだい地中海ちちゅうかい世界せかいグノーシス主義しゅぎ思想しそうでは、悪意あくいにせかみデミウルゴス)が物質ぶっしつ世界せかい不完全ふかんぜんつくったのだとされている。グノーシス主義しゅぎルネサンスのイタリアでさい発見はっけんされて知識ちしきじんあいだ流行りゅうこうしたが、音楽おんがくがく研究けんきゅうしゃ・リュート奏者そうしゃアントニー・ルーリー主張しゅちょうによれば、大陸たいりくなん遊学ゆうがくしたことのあるダウランドにもグノーシス主義しゅぎからの影響えいきょうられるという[16]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ダウランド だうらんど John Dowland (1563―1626)”. 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ. 2018ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ Holman 1999, Section 4 The seven 'Passionate Pavans'. Melancholy.
  3. ^ a b Greer n.d.
  4. ^ Holman 1999, pp. 40–42.
  5. ^ Boden 2005, p. 322.
  6. ^ Caldwell 1991, p. 429, note.
  7. ^ a b c d e f g Holman 1999, Section 4 The seven 'Passionate Pavans'. "Lachrimae Antiquae".
  8. ^ Roberts 2006.
  9. ^ Boden 2005, p. 323.
  10. ^ Scott & Greer n.d.
  11. ^ Brown n.d.
  12. ^ Bonaventura, Jepson & Block n.d.
  13. ^ Banco de Gaia – Farewell Ferengistan CD – review on swapacd.com
  14. ^ Regents of the University of Michigan: “Middle English Dictionary Entry: pitẹ̄”. Middle English Compendium. ミシガン大学だいがく (2019ねん11月). 2020ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  15. ^ Regents of the University of Michigan: “Middle English Dictionary Entry: dē̆spīt”. Middle English Compendium. ミシガン大学だいがく (2019ねん11月). 2020ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  16. ^ Rooley 1983, pp. 7–20.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Boden, Anthony (2005). Thomas Tomkins: The Last Elizabethan. Aldershot, England: Ashgate Publishing. ISBN 0-7546-5118-5 
  • Bonaventura, Sam di; Jepson, Barbara; Block, Adrienne Fried (n.d.). "Victoria Bond". In L. Macy (ed.). Grove Music Online. (Paid subscription requiredよう購読こうどく契約けいやく)
  • Caldwell, John, ed (1991). The Oxford History of English Music: Volume 1: From the Beginnings to c.1715. Oxford: Oxford University Press. ISBN 0-19-816129-8 
  • Holman, Peter (1999), Dowland: Lachrimae (1604), Cambridge University Press, doi:10.1017/CBO9780511605666, ISBN 0-521-58829-4 
  • Greer, David (n.d.). "Air (2)". In L. Macy (ed.). Grove Music Online. (Paid subscription requiredよう購読こうどく契約けいやく)
  • Roberts, Timothy (May 2006). “For the home keyboardist”. Early Music 34 (2): 311–313. doi:10.1093/em/cal015. 
  • Rooley, Anthony (January 1983), “New Light on John Dowland's Songs of Darkness”, Early Music 11 (1): 6–22, doi:10.1093/earlyj/11.1.6 
  • Scott, David; Greer, David (n.d.). "John Danyel". Grove Music Online. (Paid subscription requiredよう購読こうどく契約けいやく)

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]