(Translated by https://www.hiragana.jp/)
牒 - Wikipedia コンテンツにスキップ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

(ちょう)とは、律令制りつりょうせいにおける公文書こうぶんしょ様式ようしきの1つ[1]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

本来ほんらいは、しゅてん以上いじょうかんじん個人こじんしょつかさ上申じょうしんするさいもちいられたもので、その様式ようしきしょに牒のしるしてから本文ほんぶんしるして、謹牒(つつしみてちょうす)のしょとめめくくり、最後さいごくだり年月日ねんがっぴしょ官職かんしょく位階いかい氏名しめい)をいてしょしたに「牒」の一文字ひともじれたものである。大宝たいほうれい公式こうしきれいの牒はこの文書ぶんしょのみをしていたとかんがえられている。さられいそとかん設置せっちされるようになると、れいそとかんには所管しょかん被管ひかん上下じょうげ関係かんけい存在そんざいしない場合ばあいがあるため、原則げんそくてきれいそとかんかかわる(差出人さしだしにん宛先あてさきじん片方かたがたもしくは双方そうほうれいそとかん)の場合ばあいには牒がもちいられていた。

ところが、養老ようろう3ねん719ねん)には、本来ほんらい所管しょかん被管ひかん関係かんけいにないために牒でやりりがおこなわれていたとられるそうつな三綱さんこうぞくかんかんとの文書ぶんしょのやりりは、「うつり」とあるべきところを「牒」とえたうえうつり書式しょしきをもって作成さくせいすることとされた。それは当時とうじ編纂へんさんちゅうであった養老ようろうれい公式こうしきれいにも反映はんえいされ、もう1つの牒の書式しょしきとして追加ついかされたのである。なお、太政官だじょうかんいんちょうそうつななどにおくる牒は、それぞれとく太政官だじょうかんいんちょうしょうした。平安へいあん時代じだい中期ちゅうきはいると、太政官だじょうかん牒・いんちょう牒は請印不要ふようかん宣旨せんじ院宣いんぜんにその役目やくめってわられる一方いっぽうで、蔵人所くろうどどころ検非違使けびいしちょうをはじめとしたれいそとかん増大ぞうだいで牒そのものの発給はっきゅう増大ぞうだいした。とく蔵人所くろうどどころ国政こくせい枢要すうようしたためにおおくの牒を発給はっきゅうし、次第しだいうつなど本来ほんらい書式しょしきされるべき事例じれいも牒で発給はっきゅうされるようになっていった。そのため、本来ほんらいうつりによってされるべき律令りつりょうかんあいだ平行へいこう文書ぶんしょによってされるべき個人こじんからの上申じょうしん文書ぶんしょによってされるべき個人こじんへのしたぎょう文書ぶんしょ命令めいれい文書ぶんしょ)も牒によっておこなわれるようになっていった[2]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 』 - コトバンク
  2. ^ なお、とうにおいても当初とうしょ上申じょうしん文書ぶんしょとしてもちいられていた「牒」が平行へいこう文書ぶんしょしたぎょう文書ぶんしょとしてももちいられていた事例じれいがあり、「牒」は当初とうしょから柔軟じゅうなんせい利便りべんせいゆうした公文書こうぶんしょ書式しょしきとして採用さいようされていた可能かのうせいもある(渡辺わたなべ、2014ねん、P305-306・335)。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]