(Translated by https://www.hiragana.jp/)
狂気 - Wikipedia コンテンツにスキップ

狂気きょうき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーニョロ・ブロンズィーノの『あい寓意ぐうい』(部分ぶぶん

狂気きょうき(きょうき)とは、常軌じょうき逸脱いつだつした精神せいしん状態じょうたいあらわ普通ふつう名詞めいしであるが、多分たぶん使つかがわ恣意しいてきレッテル使つかわれる側面そくめんもある。その概念がいねん歴史れきしてきおおくの方法ほうほう使つかわれた。今日きょう一般いっぱん異常いじょう犯罪はんざいなどの文脈ぶんみゃくにおいてその用語ようご遭遇そうぐうする。ただし狂気きょうき心理しんりてきあらわれと、犯罪はんざい行為こうい因果いんが関係かんけいについては学者がくしゃあいだでも議論ぎろんかれる。確立かくりつした規準きじゅんからの逸脱いつだつおこなうことは、せい効果こうかおなじようになされるかもしれない。この場合ばあいの「狂気きょうきである」事実じじつは、大胆だいたん慣習かんしゅうにとらわれない様子ようすなどにたいし、なんらかの判断はんだん主体しゅたいによる相対そうたいてき評価ひょうかす。

ミシェル・フーコー狂気きょうきたん文化ぶんかてき逸脱いつだつとみなさず、狂気きょうきはその文化ぶんかをポジティブに表現ひょうげんすると主張しゅちょうした(『狂気きょうき歴史れきし参照さんしょう)。キリスト教きりすときょうイスラーム見方みかたによっては狂気きょうきとみなされるが、実際じっさいには大衆たいしゅうによる逸脱いつだつ行為こうい宗教しゅうきょうというかたち文化ぶんかてき許容きょようされる。ただし、一般いっぱんにおいて「狂気きょうきの」なにかは、きわめて異常いじょうおろかななにかとられる。それらの行動こうどう通常つうじょう容認ようにんされた社会しゃかい規準きじゅんからつよはぐれれる

司法しほうにおける狂気きょうき

[編集へんしゅう]

法律ほうりつ刑事けいじ裁判さいばんではしばしば容疑ようぎしゃまたは被告ひこくの「心神耗弱しんしんこうじゃく」、「心神喪失しんしんそうしつ」の有無うむ争点そうてんになり、精神せいしん鑑定かんていおこなわれることがある。人格じんかく制御せいぎょできる状態じょうたいにあるかどうかで責任せきにん問題もんだいこるためである。また少年しょうねんほうにも関係かんけいし、この場合ばあい正常せいじょう判断はんだんくだせる年齢ねんれいかどうかが焦点しょうてんになるが、実際じっさいには精神せいしんてき成長せいちょうには個人こじんがあり、どこかで線引せんひきするのはそもそも無理むりがある。ただ、ほうとしては画一かくいつてき基準きじゅんさだめなければ運用うんようしづらい事情じじょうがあるのもたしかである。

日本にっぽんにおいて社会しゃかいてき注目ちゅうもくあつめたのは、1989ねん東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけんである。被告ひこくの「ねずみおとこ」などの発言はつげん解離かいりせい同一どういつせい障害しょうがいうたがいがあるとられ話題わだいになった。1997ねん発生はっせいした神戸こうべ連続れんぞく児童じどう殺傷さっしょう事件じけんでは「透明とうめい存在そんざい」「酒鬼しゅき薔薇ばらせい」などのフレーズ、かる解離かいりせい障害しょうがいられはげしい話題わだいわされ、その奇妙きみょうさから一部いちぶでは冤罪えんざいせつった。2001ねん発生はっせいした附属ふぞく池田いけだしょう事件じけんでは、精神分裂病せいしんぶんれつびょうげん:統合とうごう失調しっちょうしょう)という診断しんだん悪用あくよう(いわゆるいつわりびょう一種いっしゅ)していたことが判明はんめいしている。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]