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献県(けん-けん)は中華人民共和国河北省滄州市に位置する県。
邯鄲市から流れる滏陽河(ふようが)と、山西省から流れる滹沱河(こだか)が合流し、子牙河となって天津市へ流れている。
前漢により設置された楽成県を前身とする。県治は現在の県南東部に設置され河間郡の郡治とされた。後漢の時代になると楽陵県、三国時代には魏により楽城県と改称、西晋の時代には河間国の国治とされた。
598年(開皇18年)に隋朝により広城県と、更に601年(仁寿元年)には楽寿県と改称、617年(大業3年)に県治が現在地に遷された。
1129年(天会7年)、金朝により寿州(1151年(天徳3年)に献州と改称)が設置されるとその管轄とされた。明朝が成立すると1369年(洪武2年)に楽寿県は廃止とされ、管轄区域は献州直轄とされた。1375年(洪武8年)に献州が県に降格し献県が成立、現在に至る。
- 鎮:楽寿鎮、淮鎮鎮、郭荘鎮、河城街鎮、韓村鎮、陌南鎮、陳荘鎮、段村鎮、高官鎮、十五級鎮
- 郷:商林郷、張村郷、臨河郷、小平王郷、塁頭郷、南河頭郷、西城郷
- 民族郷:本斎回族郷