王おう衍 (西にし晋すすむ)

王おう 衍（おう えん、甘露かんろ元年がんねん（256年ねん） - 永えい嘉よしみ5年ねん4月がつ1日にち（311年ねん5月5日にち））は、西にし晋すすむの政治せいじ家か・武将ぶしょう。字じは夷えびす甫はじめ。本ほん貫ぬきは琅邪郡ぐん臨沂県けん。父ちちは平ひら北きた将軍しょうぐんの王おう乂。子こは王おう玄げん。族ぞく弟おとうとは王おう敦あつしと王おう導しるべ。従兄じゅうけいに竹林ちくりんの七なな賢けんで有名ゆうめいな王おう戎えびす、弟おとうとに王おう澄きよしと王おう詡がいる。

生涯しょうがい

若わかい頃ころから聡明そうめいで容姿ようし端麗たんれい、雅みやびやかな姿すがたであったという。

幼おさない頃ころに父ちちに伴ともなわれて竹林ちくりんの七なな賢けんの一人ひとりの山やま濤の屋敷やしきを訪おとずれたが、その際さいに山やま濤は王おう衍に感嘆かんたんし、親子おやこが辞去じきょするのを見送みおくりながら、「どんな母親ははおやからこんな素晴すばらしい少年しょうねん（原語げんごでは寧やすし馨かおる児じ、すなわちこんなにも良よい子供こどもの意い）が生うまれることやら。しかしひょっとすると、あんなのが今いまに天下てんか国家こっかを誤あやまるようなことをしでかすかもしれんて」とひとりごちたという。

成長せいちょうするにつれて王おう衍は司馬しば炎えん（武たけ帝みかど）や王おう戎えびすからも高たかく評価ひょうかを受うけるようになった。そのため彼かれは若わかくして名門めいもん王おう氏しの俊秀しゅんしゅうとして人々ひとびとから将来しょうらいを嘱望しょくぼうされるようになり、官位かんいは昇進しょうしんして黄門こうもん侍さむらい郎ろうとなった。だが山やま濤の不安ふあんは的中てきちゅうし、王おう衍はその才能さいのうを国政こくせいに生いかそうとはせず、政界せいかいで生活せいかつを送おくりながらも老ろう荘そう虚無きょむの清談せいだんに情熱じょうねつと心しんを傾かたむけるようになった。王おう衍の清談せいだんは見事みごとで、その美貌びぼうと相あいまって当時とうじの士人しじんの人気にんきを博はくした。王おう衍も自みずからの弁舌べんぜつと知性ちせいを子こ貢みつぎ相当そうとうだと見みていたという。えもいわれぬ品しなの良よさや名句めいくを吐はいて相手あいてをやりこめて人ひとを皆みな心服しんぷくさせて「口中くちじゅうの雌めす黄き」（雌めす黄きとは硫黄いおうと砒素ひそを混まぜた土ど絵具えのぐで、当時とうじの黄色おうしょくの紙かみに書かいた文字もじに誤あやまりがあれば雌めす黄きで塗ぬり消けしたため）と評ひょうされた。こうして無為むいの日々ひびを送おくりながらも名門めいもんの故ゆえか、彼かれは官位かんいをますます昇進しょうしんさせ、周囲しゅういの人々ひとびとはその風雅ふうがを慕したって門下もんかに集あつまり、遂ついには西にし晋すすむの政界せいかい自体じたいが清談せいだんの道場どうじょうになり立身出世りっしんしゅっせには清談せいだんが手立てだてになるまでの流行りゅうこうをきたした。

しかし当時とうじの西にし晋すすむは八はち王おうの乱らん・永えい嘉よしみの乱らんと内うちは皇族こうぞくの権力けんりょく闘争とうそう、外そとは異い民族みんぞくの中国ちゅうごく内地ないちの侵入しんにゅうと危機きき的てき状況じょうきょうにあり、王おう衍のこのような行為こういは平和へいわなら賞賛しょうさんされても動乱どうらん期きでは弱弱よわよわしくて頼たよりないといえた。光ひかり熙元年がんねん（306年ねん）12月、八はち王おうの乱らんが最終さいしゅう的てきに東海とうかい王おう司馬しば越えつにより終結しゅうけつすると、王おう衍は政権せいけんを握にぎった司馬しば越えつに接近せっきんして有能ゆうのうな人材じんざいの登用とうようを提言ていげんした。この頃ころからようやく王おう衍は司馬しば越えつと協力きょうりょくして政権せいけんに参加さんかし、永えい嘉よしみ2年ねん（308年ねん）に漢かん（後ごの前ぜん趙ちょう）の王おう弥わたる・石いし勒が洛陽らくように侵攻しんこうしてくると、これを破やぶり尚書しょうしょ令れい・太ふとし尉じょうになった。武たけ陵りょう公こうも叙爵じょしゃくされたが、これは拒絶きょぜつしている。またこの侵攻しんこうで洛陽らくようの士人しじん・市民しみんが遷都せんとを求もとめると、王おう衍はこれを鎮しずめて人心じんしんを得えている。その後ごも司馬しば越えつと共ともに崩壊ほうかい寸前すんぜんの西にし晋すすむを支ささえ、劉りゅう聡さとしの漢かん軍ぐんを破やぶるなど活躍かつやくした。

しかし司馬しば越えつと彼かれに擁ようされていた懐ふところ帝みかどとの対立たいりつが表面ひょうめん化かし、懐ふところ帝みかどが司馬しば越えつ討伐とうばつの勅命ちょくめいを発はっしたために王おう衍は司馬しば越えつと共ともに項こう城じょうに逃亡とうぼうし、ここで司馬しば越えつより軍司ぐんじ・太ふとし傅でんとされて軍ぐんの指揮しきを任まかされた。永えい嘉よしみ5年ねん（311年ねん）3月がつ、司馬しば越えつが憂う憤いきどおのために急病きゅうびょうで死亡しぼうすると、人々ひとびとは司馬しば越えつ軍ぐん10万まんの後任こうにんの元帥げんすいに王おう衍が推挙すいきょし、王おう衍は「私わたしは若わかい頃ころから政治せいじをやったことがないし、こんな非常ひじょう事態じたいの対応たいおうなど出来できませんよ」と断ことわったが、しかし結局けっきょくは彼かれが軍ぐんを引ひき継ついだ。4月1日にちに司馬しば越えつの埋葬まいそうのために、司馬しば越えつの遺骸いがいを連つれて東海とうかい国こくに退却たいきゃくしていた際さい、漢かんの石いし勒に襲撃しゅうげきされて軍ぐんは壊滅かいめつ・殺戮さつりくされ、多おおくの宗室そうしつや大臣だいじんは捕虜ほりょにされ、王おう衍は捕とらえられて石いし勒の前まえに引ひき出だされた。

この際さい、王おう衍の態度たいどは極きわめて見苦みぐるしいものであった。まず「私わたしの仕官しかんは本意ほんいではなく、今回こんかいの抗戦こうせんも実みのところ私わたしの与あずかり知しった事ことではない」などと述のべ立だてて命乞いのちごいし、石いし勒におべっかを使つかって「王公おうこう」と呼よびかけた。石いし勒は初はじめは喜よろこんでいたが、王おう衍はなおも見苦みぐるしく命乞いのちごいを続つづけ「私わたしは本当ほんとうに今回こんかいの件けんには何なんの責任せきにんもないのです。だからどうか助たすけてくださいよ。なんでしたら、私わたしを助たすけてくれたらお礼れいに皇帝こうていにしてあげますよ」とまでい放いはなった。石いし勒はこれを聞きいて激怒げきどし、「貴方あなたは天下てんかの人ひとがみんな知しっている有名人ゆうめいじんで、ずっと晋すすむの政治せいじを仕切しきってきた張本人ちょうほんにんでしょう。若わかい頃ころから政治せいじ家かとして有名ゆうめいだったあなたが、今いまさら白髪はくはつになって、この混乱こんらんした晋すすむの政治せいじについて何なにの責任せきにんもないとは良よくも言いえたものですよ。天下てんかを破壊はかいしたのは貴方あなただ。あなたの責任せきにん以外いがいの何なに物ぶつでもない！」と怒鳴どなりつけ、ひとまず獄舎ごくしゃに入いれた。騎馬きば民族みんぞくとして素朴そぼくに暮くらしてきた石いし勒は王おう衍のような図々ずうずうしい人間にんげんを見みたことがないので呆あきれてしまい、どう処罰しょばつしていいか悩なやんだので部下ぶかに意見いけんを求もとめた。配下はいかの孔あな萇が「王おう衍は晋すすむの重臣じゅうしん。助命じょめいしても我わがほうのためになるとは思おもいません」と石いし勒に処断しょだんを進すすめ、石いし勒はそれを承諾しょうだくして夜中よなかに王おう衍を戸外こがいに連つれ出だし、壁かべを押おし倒たおしてその下敷したじきにして圧殺あっさつした（これは石いし勒が処刑しょけいに刃物はものを使つかわないようにせよと命めいじたためである）。享年きょうねん56。殺ころされる直前ちょくぜん、王おう衍は「わしはもとより聡明そうめいな古人こじんに及およびもつかぬ。なれどもし、先さきの日ひにとりとめない虚無きょむの清談せいだんなんぞに心しんひかれることをせず、力ちからを合あわせて国家こっかのためを図はかったとしたら、今日きょうこのような有様ありさまになり果はてることはなかったであろうに」と漏もらしたとされる。

司馬しば越えつの死しで西にし晋すすむは求心力きゅうしんりょくを失うしない、王おう衍をはじめとした多おおくの大臣だいじん・宗室そうしつ諸王しょおうが石いし勒に殺戮さつりくされたことで、王おう衍の死しからわずか2カ月かげつ後ごの6月がつ、石いし勒の侵攻しんこうにより洛陽らくようは陥落かんらくして西にし晋すすむは事実じじつ上じょう滅亡めつぼうした。

永和えいわ12年ねん（356年ねん）、東あずま晋すすむの桓温が北きた伐きを行おこなった際さい、船ふねから華北かほくの中原ちゅうげんを眺ながめながら「神州しんしゅうを陸りく沈し、百ひゃく年ねん丘おか虚むなしたらしむ（中国ちゅうごく国土こくどを陸地りくちが沈しずんでしまったように蛮族ばんぞくの荒あらすに委まかせた）。王おう夷えびす甫はじめらが清談せいだんをこととして国家こっかを省かえりみなかった責任せきにんは免まぬかれることができぬ」と王おう衍の行おこないを批判ひはんしている。

家族かぞく

• 妻つま：郭かく氏し
• 子こ：王おう玄げん
• 娘むすめ：王おう景けい風ふう、王おう恵めぐみ風ふう

参考さんこう文献ぶんけん

• 晋すすむ書しょ卷まき043、王おう戎えびす伝つたえ附ふ伝でん・從弟じゅうてい衍伝（略りゃくして王おう衍伝ということが多おおい）
• 資し治ち通どおり鑑かん
• 宮崎みやざき市し定じょう『大だい唐から帝国ていこく　中国ちゅうごくの中世ちゅうせい』中公ちゅうこう文庫ぶんこ
• 駒田こまだ信二しんじほか『新しん十じゅう八はち史し略りゃく4』（河出かわで書房しょぼう新しん社しゃ、1997年ねん7月がつ）
• 川本かわもと芳昭よしあき『中国ちゅうごくの歴史れきし05、中華ちゅうかの崩壊ほうかいと拡大かくだい。魏ぎ晋すすむ南北なんぼく朝あさ』（講談社こうだんしゃ、2005年ねん2月がつ）
• 三崎みさき良章よしあき『五ご胡えびす十じゅう六ろく国こく、中国ちゅうごく史上しじょうの民族みんぞく大だい移動いどう』（東方とうほう書店しょてん、2002年ねん2月がつ）