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白糸川橋梁(しらいとがわきょうりょう)は、神奈川県小田原市根府川の白糸川に架かる、JR東海道本線の鉄道橋である。
初代の橋梁は1922年(大正11年)に、根府川駅と真鶴駅の間に竣工。径間150フィートの複線上路トラスが3連と、その前後に径間40フィートの単線プレートガーダーが各2径間架かる構造であった[2]。
竣工翌年の1923年9月1日。関東大震災により背後の山が崩壊し、土石流が押し寄せて壊滅的な被害を受ける。3連トラスのうち一つは泥流に押し出され行方不明、一つは大破して泥流に埋没し、残る一つも一部が泥流に埋没した。プレートガーダーも、半数ほどが行方不明になった[2]。この震災により白糸川河口付近の住民200人余りと、海岸で遊泳していた児童数十人が死亡または行方不明[3]、北側の根府川駅に停車していた旅客列車も相模湾に滑落し、百数十名の死者が出ている(犠牲者の数は資料により差異がある。根府川駅列車転落事故の項も参照)。
現在の橋は、被災の翌年に新たな橋に架け替えられた二代目である。3連トラスは初代の橋の図面がほぼそのまま使われ、被災前とほぼ同じ形態で再建された。トラスは赤く塗装されている。
根府川駅の真鶴駅寄り(南側)、西側に相模湾に開けた谷筋に南北に架かり、在来線の東海道本線の複線を渡す。下流側に国道135号(真鶴道路旧道)、上流側に東海道新幹線の橋梁が並行する。鉄道撮影のスポットとしても知られ、1991年にはかながわの橋100選に選定された[4]。2019年には丹那トンネルなどと共に「旧熱海線鉄道施設群」として、土木学会選奨土木遺産に選ばれる[5]。
地形的要因から特に南風の時には強風が観測され、しばしば列車の運行規制を受けた[1]。この区間の東海道本線は首都圏と東海地方・西日本を結ぶ物流の動脈であるとともに、伊豆半島への観光路線としても重要であるため、風への対策が求められた。1991年[6]に、車窓からの景色を極力損なわないよう[2]60%充実金網方式の防風柵が設置された。この対策により、使用開始後1年間の実績で従前に比べ運転中止日数約80%減、運転中止本数約90%減の効果が見られた[1]。
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153系電車による
急行「
伊豆」(1981
年4
月3
日撮影)。
かつてはトラスが
白色に
塗装されており
防風柵がなく
列車の
撮影地として
知られていた
東海道新幹線白糸川橋梁
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東海道新幹線白糸川橋梁
本橋梁建設に伴い白糸川の河川改修が行われ、直下にあった箱根脇関所の一つ根府川関所が水没した。