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白頭山はくとうさんみつ

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白頭山はくとうさんみつ故郷こきょういえ
地図
地図ちず

白頭山はくとうさんみつ朝鮮ちょうせん: 백두산밀영)は、朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)が同国どうこくだい2だい最高さいこう指導しどうしゃきむ正日じょんいるの「生誕せいたん」と主張しゅちょうしている史跡しせき説話せつわのなかで朝鮮ちょうせん民族みんぞく始祖しそとされているだんくん白頭山はくとうさんまれたとされている[1]

所在地しょざいちりょう江道えんどう三池みいけふかし白頭山はくとうさんみつ営洞。

概要がいよう[編集へんしゅう]

北朝鮮きたちょうせん主張しゅちょうによると、白頭山はくとうさんみつ営は初代しょだい最高さいこう指導しどうしゃであるきむ日成いるそんつま金正淑きんせいしゅく中心ちゅうしんになってひきいた朝鮮ちょうせん人民じんみん革命かくめいぐん根拠地こんきょちひと[2]とされ、1942ねん2がつ16にちきむ正日じょんいるがこのみつ営のなかにある丸太まるた小屋こや故郷こきょういえ)で誕生たんじょうした[3]とされている。しかし、実際じっさいきむ正日じょんいる誕生たんじょうしたのは1941ねん2がつ16にちで、生誕せいたん白頭山はくとうさんみつ営ではなく、ソビエト極東きょくとうハバロフスク近郊きんこうまれたというせつ[4]主流しゅりゅうとなっており、ソビエトがわ資料しりょうからも確認かくにんされている。

1974ねんきむ正日じょんいるきむ日成いるそん後継こうけいしゃまると、きむ日成いるそん白頭山はくとうさんをたずね、風光ふうこう明媚めいび箇所かしょえらんで、そこがきむ正日じょんいるまれた白頭山はくとうさんみつ営の跡地あとちだとかたり、背後はいごやまを「正日じょんいるほう」(将帥しょうすいみね)とんだという[5][注釈ちゅうしゃく 1]白頭山はくとうさんみつ営は1980年代ねんだい後半こうはんきむ日成いるそんによって「さい発見はっけん」されたとされ、1987ねんみつ営跡丸太まるた小屋こやが「再建さいけん」されたのを皮切かわきりに、よく1988ねんにはちかくにある標高ひょうこう1,793メートルのやま名称めいしょう正式せいしきに「正日じょんいるほう」にあらためた[6]

こうして、白頭山はくとうさん聖地せいちいますすめられており[注釈ちゅうしゃく 2]、「遺訓いくん政治せいじ」をかかげるきむただしおんもみずから「白頭はくとう血統けっとう」にぞくすることを主張しゅちょうしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ かたわらにいた側近そっきんちょうは、きむ日成いるそん俗物ぞくぶつだとかんじたという[5]
  2. ^ 北朝鮮きたちょうせんテレビラジオ天気てんき予報よほうでは、主要しゅよう都市としとともに当地とうち予報よほう発表はっぴょうされる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • しょうあきらきむ正日じょんいるきむただしおん正体しょうたい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅん新書しんしょ〉、2011ねん2がつISBN 978-4-16-660797-6 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい4151ふん47びょう 東経とうけい1289ふん34びょう / 北緯ほくい41.86306 東経とうけい128.15944 / 41.86306; 128.15944