(Translated by https://www.hiragana.jp/)
皆川マス - Wikipedia コンテンツにスキップ

皆川みなかわマス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

皆川みなかわ マス(みなかわ マス、べつ表記ひょうき:マスおんな[1][2][3]1874ねん明治めいじ7ねん[4]4がつ10日とおか[5] - 1960ねん昭和しょうわ35ねん7がつ8にち [5][6])は、栃木とちぎけん芳賀はがぐん益子ましこまち益子ましこしょう絵付えつ陶画とうがこうである[2][3][4][7][8][9]

その益子ましこしょうの「山水さんすい土瓶どびん」の陶画とうが[10][11][12][13]は、濱田はまだ庄司しょうじに「自分じぶん益子ましこえんむすんだ」とわしめ[14][15]、そして土瓶どびん絵付えつけを濱田はまだ庄司しょうじやなぎ宗悦むねよしたち民藝みんげい運動うんどう称賛しょうさんされ[2][16][12]、「無名むめいこうじん[8][12]代表だいひょうてき人物じんぶつとして有名ゆうめいとなった。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

1874ねん明治めいじ7ねん[4]4がつ10日とおか[5]栃木とちぎけん真岡しんおか西田井にしだいまれた[1][6][17]

1884ねん明治めいじ17ねん[4]、10さいとき益子ましこの「鳥羽絵とばえ皆川みなかわ伝次郎でんじろう養女ようじょとなり[6][17][4]養父ようふから土瓶どびん絵付えつけのえがかた文字通もじどお仕込しこまれた[1][4][6][5]

あたえられた手本てほんをただそのとおりに原本げんぽんどおりにえがうつして習得しゅうとくしていくものであり、創意そうい創案そうあんといったものは一切いっさいかった[1]

白色はくしょく無地むじ土瓶どびんすみふでなんへんえがいてはし、筆順ひつじゅんふではしらせる方向ほうこうさえもける職人しょくにんげい[1]、15さいころからひとちをし、絵付えつけの仕事しごと従事じゅうじはじめた[5][6]

1887ねん明治めいじ20ねん前後ぜんこうころは、関東かんとういちえん信楽しがらき[よう曖昧あいまい回避かいひ]小学校しょうがっこう農家のうか、そしてかく家庭かてい昼食ちゅうしょくのおちゃよう使つかわれていた益子ましこ土瓶どびん全盛期ぜんせいきであったため[6][12][18]もっとわか絵付えつとしていそがしくはたらいた[1]

絵付えつ1個いっこにつき5ぶんから12-13ぶんというとてつもなく安価あんか代金だいきん[19] 1にちに500から700[12]簡単かんたん図柄ずがらだと1,000から1,200もの土瓶どびん絵付えつけをえが[1][5][17]、その生涯しょうがいではゆうに400まんもの絵付えつけをえがいたのではないかと推察すいさつされている[19][12]

明治めいじ40ねんぎぐらいにはマスのような絵付えつ益子ましこにも何人なんにんかいたのだが [20]大正たいしょうはいると益子ましこ土瓶どびん下火したびとなり、あめ釉をける手法しゅほう流行はやったこともあり[20]絵付えつ徐々じょじょっていったが、マスは最後さいご一人ひとりになるまで細々こまごま絵付えつけの仕事しごとつづけていった[1][2][6][17] [20]

無名むめいこうじん

[編集へんしゅう]

1924ねん大正たいしょう13ねん)に濱田はまだ庄司しょうじ益子ましこ移住いじゅうすると[2][6]濱田はまだはマスがえがむかしからの土瓶どびんを、たしかなうつくしさがある芸術げいじゅつであると賞賛しょうさん[17]「マスの絵付えつけの技術ぎじゅつ大切たいせつにするべきだ」と推奨すいしょう紹介しょうかいした[6][1][9][16][20]

その濱田はまだ主張しゅちょういた人々ひとびとは、マスの貴重きちょう絵付えつけの技術ぎじゅつ注目ちゅうもくするようになる[1][20]

そして濱田はまだ同志どうし民藝みんげい運動うんどうであったやなぎ宗悦むねよし河井かわい寛次郎かんじろうバーナード・リーチとの親交しんこうふか[21]全国ぜんこくられるようになっていった[5][22]

とくに「民藝みんげい運動うんどう」の主唱しゅしょうしゃであるやなぎ宗悦むねよし[20]皆川みなかわマスを「無名むめいこうじん」と[注釈ちゅうしゃく 1]芸術げいじゅつによる個性こせい表現ひょうげんなどではなく「無名むめいこうじん」によってえがかれたありふれたやすものである益子ましこしょう土瓶どびん陶画とうがにこそ、並々なみなみならぬがあるとしてつよ賞賛しょうさんした[6][23]

1935ねん昭和しょうわ10ねん)、62さいにして栃木とちぎけんからの推薦すいせんにより、東京とうきょう松坂屋まつざかや開催かいさいされた「日本にっぽんみんかまてん」で陶画とうが絵付えつけの実演じつえんをした[1][17]

栃木とちぎ田舎いなか益子ましこまれの「マスばあさん」が、東京とうきょうのデパートというだい舞台ぶたい大勢おおぜい人々ひとびとまえ気後きおくれもせず絵付えつけの実演じつえんをこなし、益子ましこなまりでの解説かいせつおこなったという[1]

1938ねん昭和しょうわ13ねん)にはドイツベルリンひらかれただいいちかい国際こくさいしゅ工芸こうげい博覧はくらんかい皆川みなかわマスが絵付えつけをほどこした益子ましこ土瓶どびん出品しゅっぴんし、ただ一人ひとり特選とくせんとなりヒトラーしょう受賞じゅしょう[注釈ちゅうしゃく 2][1][2][6][5][16][17][24][25]世界中せかいじゅう工芸こうげいおどろかせ[19]、ますますに有名ゆうめいになっていった。

戦時せんじなか

[編集へんしゅう]

太平洋戦争たいへいようせんそう最中さいちゅう日本にっぽん政府せいふ方針ほうしんとして、益子ましこ陶器とうき工場こうじょうひとつにまとめて規模きぼ縮小しゅくしょうさせ無駄むだはぶかせようとするうごきがこった。1943ねん昭和しょうわ18ねん[4]にはその政策せいさく実行じっこうするために当時とうじ商工しょうこう大臣だいじんであったきし信介しんすけ[4]益子ましこ視察しさつにやってきた。

家内かない工業こうぎょうおおかった益子ましこ陶器とうきせい作業さぎょうしゃたちは日本にっぽん政府せいふによる企業きぎょう整備せいび政策せいさくからのがれるために、濱田はまだ庄司しょうじはじめとして益子ましこがわ事情じじょう説明せつめい説得せっとくしたことで企業きぎょう整備せいびからまぬかれること出来できた。

そしてこのとききしは、皆川みなかわマスの絵付えつけの実演じつえん感銘かんめい[17]、「益子ましこ陶画とうが」の伝統でんとうてきたもつようマスを激励げきれい[4]のちにこれをとなえた礼状れいじょうおくった。マスはこの礼状れいじょう生涯しょうがい自慢じまんの1つとし、愛蔵あいぞうしたという[26]

また1944ねん昭和しょうわ19ねん)には、益子ましこおとずれていた棟方むなかた志功しこう佐久間さくま藤太郎ふじたろうかま庭先にわさきで、皆川みなかわマスの絵付えつけにはいった。その様子ようす写真しゃしんられ、佐久間さくま藤太郎ふじたろうたく保管ほかんされた[27]

戦後せんご

[編集へんしゅう]

昭和しょうわ天皇てんのうと「御製ぎょせいうた

[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん9月2にち戦後せんご巡幸じゅんこうおこなっていた昭和しょうわ天皇てんのう益子ましこ訪問ほうもんし、栃木とちぎけん窯業ようぎょう指導しどうしょおとずれたとき濱田はまだ庄司しょうじによる紹介しょうかい解説かいせつのもと[28]皆川みなかわマスによる絵付えつ実演じつえん見学けんがくした[1][5][4][6][9][16][17][19][29][30]

このときに「益子ましこ絵付えつばあさん」の妙技みょうぎ感嘆かんたんした昭和しょうわ天皇てんのう[6][17]予定よてい時間じかんえてマスの筆遣ふでづかいを注視ちゅうし[31]「そのふではどうやってつくるの?」とい、われたマスが「手懐てなづけたいぬをつまんで素早すばやってつくる」とこたえるなど、様々さまざま会話かいわわしたという[32]。そして昭和しょうわ天皇てんのうのちにマスの絵付えつ技術ぎじゅつ賞賛しょうさんする「御製ぎょせいうた」をおくった[1][5][4][6][16][19][17][33][12][25]

さえもなき おうなのゑがく すゑものを ひとのめつるも おもしろきかな

この「御製ぎょせいうた」はのち石碑せきひられ、栃木とちぎけん窯業ようぎょう指導しどうしょ現在げんざいの「栃木とちぎけん産業さんぎょう技術ぎじゅつセンター 窯業ようぎょう技術ぎじゅつ支援しえんセンター」)くち[34]建立こんりゅうされた[1][17][25][35]

昭和しょうわ天皇てんのう皆川みなかわマスを賞賛しょうさんうたった「御製ぎょせいうた」をきざんだ石碑せきひ
昭和しょうわ天皇てんのう皆川みなかわマスを賞賛しょうさんうたった「御製ぎょせいうた」をきざんだふた石碑せきひ。こちらは濱田はまだ庄司しょうじ揮毫きごうによるもの。「陶芸とうげいメッセ・益子ましこ」にあるきゅう濱田はまだ庄司しょうじていそばにっている[36]

1950ねん昭和しょうわ25ねん5月15にち東京とうきょう日本にっぽん民芸みんげいかん皇太后こうたいごうのち貞明皇后ていめいこうごう追号ついごうされた)が訪問ほうもんしたときも、館長かんちょうやなぎ宗悦むねよしつよわれたマスが上京じょうきょうし、絵付えつ実演じつえん披露ひろう[1][4][16][19][33][37]1950ねん昭和しょうわ25ねん)8がつには益子ましこ訪問ほうもんした内親王ないしんのう上皇じょうこう明仁あきひと)のまえでも絵付えつ実演じつえん披露ひろうした[1]

また1954ねん昭和しょうわ29ねん10月18にち益子ましこ訪問ほうもんした三笠みかさみやたかしじん親王しんのう濱田はまだ仕事場しごとばおとずれたのち皆川みなかわマスと交流こうりゅうし、ねぎらわれたマスは「わしゃもうんでもええ」となみだなが[38]濱田はまだたく宿泊しゅくはくしたよく19にちにも、皆川みなかわヒロの絵付えつけを視察しさつしたのち皆川みなかわマスたくおとずれ、紋付もんつはかま出迎でむかえたマスと歓談かんだんし「これでオレはおものこすことはねぇよ」となみだがおのマスに三笠みかさみやは「元気げんきでね」とこえけた[24][39]

また1955ねん昭和しょうわ30ねん11月11にちには民芸みんげい[よう曖昧あいまい回避かいひ]探求たんきゅうのため益子ましこ[よう曖昧あいまい回避かいひ]おとずれた雍仁親王やすひとしんのう勢津子せつこ濱田はまだたずねたのちまご皆川みなかわヒロの絵付えつ作業さぎょう視察しさつし、皆川みなかわマスたくおとず歓談かんだんし、マスと記念きねん写真しゃしん撮影さつえいした[24][40]

晩年ばんねん

[編集へんしゅう]

1953ねん昭和しょうわ28ねん11月3にち女性じょせいはつ栃木とちぎけん文化ぶんか功労こうろうしょう受章じゅしょうした[1][4][16][17][41][42][43]

丈夫じょうぶときからまご皆川みなかわヒロに12、3さいころから助手じょしゅをさせ、山水さんすい陶画とうが伝授でんじゅした[44]。まだどもだったヒロがなまけていると「なまけているとあと後悔こうかいするぞ。ただけではえがけない。あとかんがえたってえがけないからな」と随分ずいぶんしかられたという[44]

80さいになったころにはみみとおくなり、81さいになると眼底がんてい出血しゅっけつわるくなり片目かためとなり[44]神経痛しんけいつうひどくなってしまったため、外出がいしゅつ出来できなくなり絵付えつけの仕事しごともほとんど出来できなくなった[1][19]

そして風邪かぜくなどしてたきりになることがおおくなった。ている部屋へやには枕元まくらもとたけいわ牡丹ぼたんかどきくうめ四君子しくんし、そして山水さんすいの、マスがならおぼえた陶画とうが文様もんようえがかれたかみられた屏風びょうぶ[44]、そして部屋へやいたかべには昭和しょうわ天皇てんのうんだうた濱田はまだ庄司しょうじ揮毫きごうし、そのしたにマスの山水さんすい土瓶どびんえがいたものかっていたという[44]。マスにとって「昭和しょうわ天皇てんのう御詠ぎょえい」は生涯しょうがい最上さいじょうよろこびだったとおもわれた[44]

1960ねん昭和しょうわ35ねん7がつ8にち益子ましこ自宅じたく老衰ろうすいのため逝去せいきょした。享年きょうねん87さいであった[1][5][6][9][19]

そしてその技法ぎほう孫娘まごむすめ皆川みなかわヒロにがれた[44][1][6][8][17][9][19][45][46]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 無名むめいのおばあさん」[12]ともばれた。
  2. ^ 文献ぶんけん資料しりょうによっては表記ひょうきが「ヒットラー」[4]や「ビットラー」になっているものもある。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 益子ましこかま佐久間さくま藤太郎ふじたろう塚田つかだ泰三たいぞう ちょ、P82 - 88 「皆川みなかわマスおんな」- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん1がつ31にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f 『たくみ』(7)「全国ぜんこくかまめぐり (2) 益子ましこ山水さんすい土瓶どびん佐久間さくま藤太郞ふじたろう P4 - 5 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2023ねん5がつ17にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  3. ^ a b 『たくみ』(15)「益子ましこしょうのできるまで―浜田はまだ工房こうぼうにて(6)」島岡しまおか達三たつぞう P9「益子ましこ 皆川みなかわマスおんなつけ」キャプション写真しゃしん掲載けいさい - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2023ねん5がつ18にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 教育きょういく月報げっぽう』4(42)「文化ぶんか功労こうろうしょうかがや人々ひとびと」「皆川みなかわマス栃木とちぎけん教育きょういく委員いいんかい P3 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2024ねん4がつ12にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e f g h i j k 20世紀せいき日本人にっぽんじんめい事典じてん. “皆川みなかわマスとは”. コトバンク. 2022ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 芳賀はが,一番いちばん,中嶌なかじま, 1993, p. 998.
  7. ^ 伝統でんとう芸術げいじゅつ講座こうざだい8かん、「絵付えつけをする皆川みなかわマスさん(栃木とちぎけん益子ましこ)」キャプションきの写真しゃしん掲載けいさい- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービス]にて閲覧えつらん
  8. ^ a b c しん女性じょせい』(46)「はちじゅういちさい益子ましこしょうのおばあさん」土橋どばしほとりじん P45 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2023ねん5がつ18にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  9. ^ a b c d e 島岡しまおかたちさん 1976, p. 111.
  10. ^ 民藝みんげい』 (535) 表紙ひょうし- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  11. ^ 民藝みんげい』 (535) 今月こんげつごう図版ずはん益子ましこ土瓶どびん土瓶どびん- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  12. ^ a b c d e f g h 民藝みんげい』 (485) 「みんかま土瓶どびん作家さっか土瓶どびん」「16 益子ましこ山水さんすい土瓶どびん佐々木ささき潤一じゅんいち、P18 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション2023ねん4がつ12にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  13. ^ 民藝みんげい』 (485) 「今月こんげつごう図版ずはん みんかま土瓶どびん作家さっか土瓶どびん」「16 益子ましこ山水さんすい土瓶どびん」、P46 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション2023ねん4がつ12にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  14. ^ 浜田はまだ庄司しょうじ作品さくひんしゅうやなぎ宗悦むねよしへん解說かいせつにかへて」濱田はまだ庄司しょうじ、P14 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  15. ^ きる知恵ちえ』 (人生じんせい読本とくほん ; だい1しゅう) 「益子ましこがまよんじゅうねん浜田はまだ庄司しょうじ、P157 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  16. ^ a b c d e f g しん人物じんぶつ風土記ふどきだい2かん P17 - 18 栃木とちぎけんまき絵付えつけふでななじゅうねん皆川みなかわばあさん」- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n 益子ましこまちだい5かん (窯業ようぎょうへん)「だい1へん かまじょうとその製品せいひんだいしょう 近世きんせいきん現代げんだいだいせつ 陶器とうき製品せいひん絵付えつけ/(益子ましこ陶画とうが製品せいひん皆川みなかわマス、P285, 289 - 298 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  18. ^ 益子ましこむかしもの いまもの連載れんさい手仕事てしごとレポート”. 手仕事てしごとフォーラム (2019ねん4がつ17にち). 2023ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d e f g h i 民藝みんげい』 (92) 「皆川みなかわマスおんなく」、P49 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  20. ^ a b c d e f ひかりげい出版しゅっぱん,新装しんそう陶工とうこうすえだん 1994, p. 209-210.
  21. ^ 皆川みなかわマスおんな バーナード・リーチさく”. 函館はこだて中央ちゅうおう図書館としょかん所蔵しょぞう デジタルアーカイブ. 2024ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  22. ^ 民藝みんげい』 (535) 「益子ましこ土瓶どびん皆川みなかわマスおんな塚田つかだやすし三郎さぶろう、P2 - 8 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  23. ^ やなぎ宗悦むねよし益子ましこ土瓶どびん水尾みずお比呂志ひろしへんやなぎ宗悦むねよし民藝みんげい紀行きこう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ所収しょしゅう岩波書店いわなみしょてん、1986 、pp.92 - 117(初出しょしゅつは『しんだい7かんだい1ごう生成せいせいかい、1954)やなぎ宗悦むねよし 益子ましこ土瓶どびん青空あおぞら文庫ぶんこ”. 2023ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  24. ^ a b c 下野げや史学しがく』(24)「(皆川みなかわマス女史じょし」、P56 - 57 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション2023ねん2がつ11にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  25. ^ a b c 歌人かじん今上きんじょう天皇てんのう』「御歌おうた解説かいせつ」「地方ちほう巡行じゅんこう御歌おうたよるひさし正雄まさお P140-141 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2023ねん5がつ19にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  26. ^ 益子ましこかま佐久間さくま藤太郎ふじたろう塚田つかだ泰三たいぞう ちょ、P119 - 120 「太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう益子ましこ」- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  27. ^ (ざい)益子ましこまち,横堀よこぼりさとし,上田うえだ友美ゆみ 1976, p. 74,79.
  28. ^ 坂井さかい基樹もとき,竹見たけみ洋一郎よういちろう,則武のりたけゆう,株式会社かぶしきがいしゃ美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ 2011, p. 147.
  29. ^ 天皇てんのう』P124 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  30. ^ 天皇てんのう裕仁ひろひと昭和しょうわ天皇てんのう手前てまえみぎ) 全国ぜんこく巡幸じゅんこう 栃木とちぎ 益子ましこ陶器とうき窯業ようぎょうしょ絵付えつけ見学けんがく※「1おくにん昭和しょうわ」(5)|毎日まいにちフォトバンク - 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2023ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  31. ^ 栃木とちぎけん警察けいさつ下巻げかんだいきゅう 警衛けいえい警察けいさつ昭和しょうわじゅうねん県内けんない巡幸じゅんこう、P987 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  32. ^ しんひょう 24』(10) 「秘話ひわドキュメント(だいかい天皇てんのう語録ごろく小林こばやし吉弥よしや、191 - 192、- 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション2023ねん2がつ12にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  33. ^ a b 自警じけい』38(3)「二人ふたり老人ろうじんはなし」(いち皆川みなかわマスおんな斎藤さいとうひろし、P72 - 75 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  34. ^ 地図ちず - Google マップ - 窯業ようぎょう技術ぎじゅつ支援しえんセンター
  35. ^ たび郷土きょうど文学ぶんがく 全日本ぜんにほん文学ぶんがく大成たいせい』「栃木とちぎけん」P 144 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ1にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  36. ^ 地図ちず - Google マップ - 昭和しょうわ天皇てんのう御製ぎょせいいしぶみ
  37. ^ 民藝みんげい』 (167)「日本にっぽん民芸みんげいかんりゃく年譜ねんぷ」P44 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、2023ねん2がつ13にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  38. ^ 下野げや新聞しんぶん 昭和しょうわ29ねん10がつ19にちづけ益子ましこしょうなどご見学けんがく お気軽きがる三笠みかさみやさま」
  39. ^ 下野げや新聞しんぶん 昭和しょうわ29ねん10がつ20日はつか熱心ねっしん陶藝とうげいだんをメモ 皆川みなかわさんにやさしいお言葉ことば
  40. ^ 下野げや新聞しんぶん 昭和しょうわ30ねん11月12にちづけ秩父宮ちちぶのみや殿下でんか益子ましこへ 民藝みんげい探求たんきゅうさんねんまえからのご計画けいかく
  41. ^ 栃木とちぎけん教育きょういく 昭和しょうわ28年度ねんどばん』「だいよん 社会しゃかい敎育きょういく」「いちいち 文化ぶんか功労こうろうしゃ」P231 - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 2023ねん5がつ17にち国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション デジタル資料しりょう個人こじん送信そうしんサービスにて閲覧えつらん
  42. ^ 栃木とちぎけん文化ぶんか功労こうろうしゃ表彰ひょうしょう受章じゅしょうしゃ一覧いちらん昭和しょうわ24年度ねんどれい2年度ねんど”. 栃木とちぎけん. 2022ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  43. ^ 栃木とちぎけん文化ぶんか協会きょうかい 2007, p. 293.
  44. ^ a b c d e f g 近藤こんどうきょう嗣,栃木とちぎけん民藝みんげい 1987, p. 72-75.
  45. ^ 島岡しまおかたちさん 1976, p. 16,90.
  46. ^ 益子ましこ窯元かまもと 山水さんすいみせ みなかわ|フィルムカメラの命運めいうん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 島岡しまおか達三たつぞう日本にっぽん陶芸とうげい7 益子ましこ保育ほいくしゃ〈カラーブックス 375〉、1976ねん11月5にち、152ぺーじ 
  • 近藤こんどうきょう嗣『栃木とちぎけん民藝みんげい』ふろんてぃあ出版しゅっぱん文化ぶんか事業じぎょう〈Namazu books〉、1987ねん11がつ20日はつか、72-75ぺーじNCID BN12936431国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんサーチR100000002-I000001932067 
  • 芳賀はがのぼる,一番いちばんせら康子やすこ,中嶌なかじまくに,でん浩一こういち日本にっぽん女性じょせい人名じんめい辞典じてん日本にっぽん図書としょセンター初版しょはん〉、1993ねん6がつ25にち、998ぺーじISBN 4820571281 
  • ひかりげい出版しゅっぱん編集へんしゅう へん新装しんそう合本がっぽん 陶工とうこうすえだん株式会社かぶしきがいしゃ こうげい出版しゅっぱん、1994ねん4がつ25にち、209-210ぺーじISBN 4769401035 
  • (ざい)益子ましこまち観光かんこう振興しんこう公社こうしゃ,横堀よこぼりさとし,上田うえだ友美ゆみ『「益子ましこ棟方むなかた志功しこうてん図録ずろく益子ましこまち、1999ねん4がつ17にち、83ぺーじ 
  • ぶん青木あおきひろし,写真しゃしんいぬいつよし益子ましこ笠間かさま』〈かまべつガイド 日本にっぽんのやきもの〉2003ねん12月6にち、18ぺーじISBN 4473019411 
  • 栃木とちぎけん文化ぶんか協会きょうかい ちょ栃木とちぎけん文化ぶんか協会きょうかい栃木とちぎけん芸術げいじゅつ名鑑めいかん編集へんしゅう委員いいんかい へん栃木とちぎけん芸術げいじゅつ名鑑めいかん 2007 平成へいせいじゅうきゅう年版ねんばん栃木とちぎけん文化ぶんか協会きょうかい、2007ねん2がつ10日とおか、293ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんサーチR100000002-I000008485466 
  • 坂井さかい基樹もとき,竹見たけみ洋一郎よういちろう,則武のりたけゆう理想りそうらしをもとめて 濱田はまだ庄司しょうじスタイル』株式会社かぶしきがいしゃ美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、2011ねん7がつ14にち、162ぺーじISBN 9784568103960 

皆川みなかわマス陶画とうが山水さんすい土瓶どびん記載きさいされている文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 芸術げいじゅつ新潮しんちょう編集へんしゅう ちょ芸術げいじゅつ新潮しんちょう編集へんしゅう へん日本にっぽんやきもの紀行きこう株式会社かぶしきがいしゃ新潮社しんちょうしゃ〈とんぼのほん〉、1985ねん7がつ25にち、106ぺーじISBN 9784106019241 益子ましこしょう笠間かさましょう情報じょうほう混在こんざいしているので注意ちゅうい
  • JTB『やきもののたび 東日本ひがしにっぽん たずねてみたい20のかまさと』JTB日本交通公社にほんこうつうこうしゃ出版しゅっぱん事業じぎょうきょく〈JTBキャンブックス〉、1993ねん7がつ1にち、6,99ぺーじISBN 4533019862 
  • やきもの愛好あいこうかい へん『よくわかる やきものだい事典じてん株式会社かぶしきがいしゃ ナツメしゃ、2008ねん12月11にち、158ぺーじISBN 9784816345838 
  • 民藝みんげい日本にっぽん やなぎ宗悦むねよしと『手仕事てしごと日本にっぽん』をたびする』株式会社かぶしきがいしゃ筑摩書房ちくましょぼう、2017ねん9がつ10日とおか、47ぺーじISBN 9784480876256 
  • 仁木にき正格せいかく『わかりやすく、くわしい やきもの入門にゅうもん株式会社かぶしきがいしゃ 主婦しゅふ友社ともしゃ、2018ねん12月31にち、82ぺーじISBN 9784074354658 
  • とう工房こうぼう編集へんしゅう へん『やきものの教科書きょうかしょ 基礎きそ知識ちしきから陶芸とうげい技法ぎほう全国ぜんこく産地さんち情報じょうほうまで』まことぶんどう新光しんこうしゃとう工房こうぼうBOOKS〉、2020ねん4がつ24にち、125ぺーじISBN 9784416620069 

栃木とちぎけんだい百科ひゃっか事典じてん

[編集へんしゅう]

国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 個人こじんけデジタル資料しりょう送信そうしんサービス」で閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]