磯津 村
いそつむら | |
---|---|
1955 | |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
なし( | |
2,171 (1950 | |
| |
| |
| |
ウィキプロジェクト |
地理 [編集 ]
地名 の由来 合併 ・成立 時 に主要 集落 であった磯 崎 (いさき)、喜木 津 (ききつ)から一 字 ずつ取 って新 たに命名 した合成 地名 。
社会 [編集 ]
集落 ・地域 [編集 ]
例 八幡浜 市 保内 町 磯崎
集落 の特徴 [編集 ]
磯崎
漁村 ながら、背後 の山麓 で柑橘類 の栽培 も行 なわれている。磯崎 とその西 隣 の夢 永 (むえ)にわずかに水田 。磯崎 の中心 部 に役場 (合併 後 保内 町 支所 )・小学校 をはじめとした行政 ・教育 施設 などが立地 している。
喜木津
隣 の広早 ともども柑橘 を中心 とした農 漁村 。喜木津 浦 は吉田 藩 の唯一 の瀬戸内海 ・伊予灘 側 に面 した港 であり、藩 の御 船場 もあった。かつて小学校 もあった。
広早
広 い碆に由来 するともいわれる地名 。慶長 年間 以降 に喜木津 浦 から分離 したとされる。喜木津 よりさらに小規模 な農 漁村 。
行政 [編集 ]
役場 大字 磯崎 におかれていた。合併 後 保内 町 支所 となる。
人口 ・世帯 数 [編集 ]
- 1904
年 (明治 37年 ) 454戸 、2215人 - 1921
年 (大正 10年 ) 433戸 、2280人 - 1940
年 (昭和 25年 ) 445戸 、2171人 参考 2020年 (令 和 2年 ) 225世帯 、512人 [3]
教育 [編集 ]
磯崎 小学校 村立 →保内 町立 →八幡浜 市立 となり2007年 (平成 19年 )宮内 小学校 に統合 。喜木津 小学校 村立 →保内 町立 となり八幡浜 市 との合併 と同 時期 の2005年 (平成 17年 )3月 宮内 小学校 に統合 、閉校 。磯崎 中学校 1975年 (昭和 50年 )川之石 中学校 ・宮内 中学校 とともに保内 中学校 に統合 [4]。
歴史 [編集 ]
宇和島 藩 領 。- 1662
年 (寛文 2年 ) -宇和島 藩 と吉田 藩 との領地 の交換 により、吉田 藩 の領地 に組 み入 れられた喜木津 と広早 とは飛 び地 となった。 - 1696
年 (元禄 9年 ) -当地 を含 む佐田岬半島 の浦 々は保内 組 に属 し、川之石 浦 の雨 井 (あまい)に町場 が形成 された。 - 1750
年 (寛延 3年 ) -喜木津 ・広早 騒動 (農民 騒動 ) - 1804
年 (文化 元年 ) -二宮 敬作 、磯津 に生 まれる[5]
- 1889
年 (明治 22年 ) -市制 ・町村 制 実施 により、磯崎 、喜木津 、広早 (ひろはや)が合併 し磯津 村 となる。西宇和 郡 に属 す。 - 1890
年 (明治 23年 ) -大字 磯崎 に駐在 設置 さる。 - 1893
年 (明治 26年 ) -東 の出海 村 境 に金山 銅 山 [6]の開発 始 まる。大正 年間 には300人 を越 える人々 が従事 していたようだが昭和 初期 に鉱 質 低下 により閉山 となる。 - 1922
年 (大正 11年 ) -電灯 ともる - 1929
年 (昭和 4年 ) -磯津 郵便 局 開設 - 1940
年 (昭和 15年 ) -県道 川之石 磯崎 長浜 線 が開通 - 1945
年 (昭和 25年 ) -八幡浜 とのバス路線 開設 - 1955
年 (昭和 30年 )3月 31日 -宮内 村 、川之石 町 、喜 須来村 との合併 により、保内 町 となる。
磯津 村 の系譜 (町村 制 実施 以前 の村 )磯崎 ━━━┓ (明治 期 ) ┃町村 制 施行 時 喜木津 ━━━╋━━━磯津 村 ━━━━━━┓ ┃ ┃広早 ━━━┛ ┃ ┃宮内 村 ━━━┫ (昭和 30年 3月 31日 )川之石 町 ━━━╋━━保内 町 喜 須来村 ━━━┛ (注記 )磯津 村 ほかの合併 まで、及 び保内 町 の平成 の合併 の系譜 については、それぞれの町村 の記事 を参照 のこと。
産業 [編集 ]
交通 [編集 ]
出身 者 [編集 ]
二宮 敬作 -磯崎 出身 。記念 公園 がある。
名所 [編集 ]
注釈 [編集 ]
参考 文献 [編集 ]
- 『
角川 日本 地名 大 辞典 38愛媛 県 』