日土 村
ひづちむら | |
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1955 | |
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なし( | |
4,986 (1948 | |
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地理 [編集 ]
地名 の由来 養老 2年 に出 石山 山頂 の金山 出 石寺 の建立 時 に石仏 が出現 し、丈 が高 くなったので槌 で打 ったところ、槌 が2つに割 けて飛 んだ(飛 槌 )というい伝 えによる。- また「ひづち」は「ひじち」が
訛 ったもので、大洲 の肱川 等 の「ひじ」と同 じく、「曲 がりくねった地 」という意味 があるともされる。
歴史 [編集 ]
宇和島 藩 領 。宇和島 藩 に入 った伊達 家 は藩 内 を10の組 に分 け統治 したが、当 村 は「保内 組 」に属 し、さらにその中 で当 村 一帯 は「保内 郷 」に属 すものとされた。郷内 随一 の石高 の農村 であった。
- 1889
年 (明治 22年 )12月15日 -明治 の町村 制 ・市制 施行 時 に、日土 が日土 村 となる。 - 1891
年 (明治 24年 ) -平岩 銅山 開 坑 - 1944
年 (昭和 19年 ) -水害 により村役場 流失 、同年 移転 新築 。 - 1955
年 (昭和 30年 ) 2月 1日 -川上 村 ・真 穴 村 ・双岩 村 の3村 とともに八幡浜 市 の一部 となる。当 村 域 は「八幡浜 市 日土 町 」と呼 ばれることとなった。
当 村 は昭和 合併 論議 の際 、八幡浜 市 側 か川之石 町 側 (後 の保内 町 )かで大 いに議論 があった。同 じ喜木 川 流域 で交通 の便 のよい川之石 側 を推 す意見 と,将来 の発展 を見越 して八幡浜 市 に合流 すべきとする意見 とが並立 した。結局 、将来 に夢 を託 し八幡浜 市 及 びその周辺 の村 々と合流 した。当 村 から直接 八幡浜 市街 に入 る幹線 道路 がないため、この結果 保内 町 側 に一旦 出 る必要 のある飛地 のような形 となった。(平成 の合併 で八幡浜 市 と保内 町 とが合併 し、ようやくこの事態 は解消 した)
日土 村 の系譜 (町村 制 実施 以前 の村 ) (明治 期 )町村 制 施行 時 日土 ━━━━━━日土 村 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓八幡浜 町 ━━┳━━━━┳八幡浜 市 ━━━━━━━━┃矢野 崎村 ━━┛a ┃(昭和 10年 2月 11日 ┣━八幡浜 市 千丈 村 ━━━━━━━━┫ 、合併 、市制 ) ┃(昭和 30年 2月 1日 )神山 村 ━━━神山 町 b━┫ ┃舌 田村 ━━━━━━━━┛ ┃川上 村 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫真 穴 村 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫双岩 村 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫大字 和泉 及 び布喜川 の一部 三瓶 町 へ(昭和 30年 2月 1日 ) a昭和 5年 1月 1日 、b昭和 3年 7月 1日 町制 施行 (注記 )八幡浜 町 ほかの合併 前 の系譜 、及 び平成 の合併 の系譜 については、それぞれの記事 を参照 のこと。
地域 [編集 ]
喜木 川 流域 下河原 、出 奥 、防 川 、松岡 、新堂 、梶 谷岡 、続 藪 、中当 、川 辻 、横尾 地 、福岡 (旧称 ・仁田 ノ藪 、又 は仁多 ノ藪 )、樫木 、久保田 (元々 は仁多 ノ藪 の一部 でありヒノウラという名前 であったが、火事 が相次 いだのを忌 み、現在 の地名 となった)、尾 之 花 、筵 田 、野地 (防 泰野 、山神 坊 )、瀬田 今出川 沿岸 今出 、神明 出石川 流域 田 之 窪 、小坂 、森山 、榎 野
行政 [編集 ]
役場 当 初出 奥 におかれていたが、松岡 に移転 。1944年 (昭和 19年 )の水害 により流失 、同年 新堂 に新築 移転 。合併 後 市役所 日土 支所 。
教育 [編集 ]
産業 [編集 ]
農業 藩政 期 から米 、麦 に加 え、麻 、綿 、漆 、茶 、薪 、木炭 などを産 した。夏 柑は明治 19年 に当地 に導入 され、その後 郡 内 一 円 に広 まり、佐田岬半島 一帯 は夏 柑の屈指 の産地 を形成 した。明治 30年代 から養蚕 が興 り、大正 期 には当 村 内 にも4箇所 の製糸 工場 が操業 開始 した。物資 の積 み出 しとしては、まだ八幡浜 港 と結 ぶ道路 が整 っていなかったこともあり、川之石 港 が利用 された。工業 上記 の製糸 工場 に加 え、後 にタオル工場 が操業 開始 している。同 工場 は後 に八幡浜 市 の会社 (後 の酒 六 株式会社 )に買 い取 られている。鉱業 - 1891
年 (明治 24年 )に開 かれた平岩 銅山 は明治 30〜40年代 に採鉱 のピークを迎 え、鉱石 は八幡浜 港 沖合 いの佐島 に送 られ、精錬 された。