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はたさけこう

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はたさけこう(『前賢ぜんけん故実こじつ』より)

はた さけ こう(はたの さけ の きみ)とは、日本にっぽん古代こだいの、5世紀せいき後半こうはんごろ豪族ごうぞく浦東ほとうきみはたちち

経歴けいれき

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渡来とらいけい氏族しぞく廷臣ていしんつたえられている。

日本書紀にほんしょきまきだいじゅうよんによれば、雄略天皇ゆうりゃくてんのう木工もっこう(こだくみ)の闘鶏とうけい御田みた(つげ の みた)にめいじて楼閣ろうかくつくらせた。御田みたろうのぼって、四方しほうぶように疾走しっそうした。これをていた伊勢いせ采女うねめがそのはやさにおどろき 、饌(そなえもの)をひっくりかえしてしまった。天皇てんのうはこれをて、御田みたがその采女うねめおかしたのだとうたがい、物部ものべ(もののべ)のわたして処刑しょけいしようとしたとき、さけこうきんいてうたうたい、御田みた無実むじつ天皇てんのうさとらしめた[1]

また、はたみん分散ぶんさんしてしんれんなどのせい諸氏しょしのもとにかれ、おのおのの一族いちぞくのほしいままに使つかいされている情況じょうきょうなげいて、はた造酒ぞうしゅ天皇てんのううったえた。天皇てんのうはこれをあつめてさけこうたまわった。さけこうはこのひゃくはちじゅうしゅしょう(ももあまりやそ の すぐり)をひきいていさお調しらべきぬや縑(かとり)を献上けんじょうし、そのきぬ・縑が朝廷ちょうていにうずたかまれたので、「禹豆あさ」(うつまさ)のせいたまわったというはなしがある[2]。このはなしは『新撰しんせん姓氏せいしろく』や『古語こご拾遺しゅうい』にもみえ、『新撰しんせん姓氏せいしろく』には、さらに大蔵おおくら長官ちょうかんになった、とつたえられている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本書紀にほんしょき雄略天皇ゆうりゃくてんのう12ねん10がつ10日とおかじょう
  2. ^ 日本書紀にほんしょき雄略天皇ゆうりゃくてんのう15ねんじょう

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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