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だい35師団しだん (日本にっぽんぐん)

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だい35師団しだん
創設そうせつ 1939ねん昭和しょうわ14ねん2がつ7にち
廃止はいし 1945ねん昭和しょうわ20ねん
所属しょぞく政体せいたい 大日本帝国だいにっぽんていこく
所属しょぞく組織そしき 大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
部隊ぶたい編制へんせい単位たんい 師団しだん
兵種へいしゅ/任務にんむ 歩兵ほへい
所在地しょざいち きたささえ-タイ-ニューギニア
編成へんせい 東京とうきょう
通称つうしょうごう/略称りゃくしょう ひがし(ひがし)
補充ほじゅう担任たんにん だい1かん東京とうきょうかん東京とうきょう管区かんく
最終さいしゅう上級じょうきゅう単位たんい だい2ぐん
最終さいしゅう位置いち ニューギニア ソロン
戦歴せんれき にちちゅう-太平洋戦争たいへいようせんそう
(ニューギニアのたたか)
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だい35師団しだん(だいさんじゅうごしだん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん師団しだんひとつ。

沿革えんかく

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大陸たいりく戦線せんせん

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盧溝橋ろこうきょう事件じけんのち華北かほくから華中かちゅう華南かなんへと戦線せんせん拡大かくだいにちちゅう戦争せんそう泥沼どろぬまするなかで、占領せんりょう警備けいび治安ちあん維持いじ目的もくてきとして1939ねん昭和しょうわ14ねん2がつ7にち新設しんせつされた師団しだんひとつであり、同時どうじだい32師団しだんだい33師団しだんだい34師団しだんだい36師団しだんだい37師団しだん新設しんせつされた。また同年どうねん6月30にちにはだい38師団しだんだい39師団しだんだい40師団しだんだい41師団しだん新設しんせつされた。

編成へんせいきたささえ方面ほうめんぐん隷下れいか黄河こうが北岸ほくがん新郷しんごうって、ほかの治安ちあん師団しだん同様どうように1939ねんなつ以降いこうおこなわれたさまざまな治安ちあん作戦さくせん参加さんかする。

太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんきたささえ方面ほうめんぐん隷下れいか華北かほく占領せんりょう警備けいび治安ちあん作戦さくせん従事じゅうじした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)、中国ちゅうごく駐屯ちゅうとんする部隊ぶたい改編かいへんがあり、このときだい35師団しだんおつ師団しだんへい師団しだん改編かいへんされた。5月1にち野砲やほうへいだい35連隊れんたい廃止はいしされ、砲兵ほうへいりょくいての作戦さくせん遂行すいこういられることとなった。以後いごだい12ぐん編入へんにゅうされ、山東さんとうしょう方面ほうめん治安ちあん粛正しゅくせいしょ作戦さくせん従事じゅうじした。同年どうねん7がつ中旬ちゅうじゅんから師団しだんちょうは、だい59師団しだん歩兵ほへいだい54旅団りょだん主力しゅりょく指揮しきし、じゅうはちなつふとしぎょう作戦さくせん参加さんかしょうさかい付近ふきん中共ちゅうきょうぐん掃討そうとうした。

太平洋たいへいよう戦線せんせん

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1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ南方なんぽうへの移動いどう決定けっていされ、配属はいぞくほう兵隊へいたいとして3がつ2にち満州まんしゅう独立どくりつ山砲さんぽうへいだい4連隊れんたい師団しだんへんあわされ、ハルマヘラとうだい2ぐん編入へんにゅうされた。当初とうしょには、だい31ぐん所属しょぞくとして、マリアナ転用てんようされる予定よていであったのだが、急遽きゅうきょだい2ぐん編入へんにゅうされ、西部せいぶニューギニアへと進出しんしゅつすることになった。だいいち輸送ゆそう部隊ぶたいとして歩兵ほへいだい219連隊れんたいパラオ経由けいゆして、無事ぶじ進出しんしゅつえた。しかし、だい輸送ゆそう部隊ぶたい師団しだん主力しゅりょくたけいち船団せんだんとしてマノクワリかう途中とちゅう輸送ゆそうせんべいぐん潜水せんすいかん攻撃こうげきけてしまった。独立どくりつ山砲さんぽうへいだい4連隊れんたい壊滅かいめつし、部隊ぶたい多数たすう人員じんいん装備そうびうしない、残存ざんそん部隊ぶたいはハルマヘラとう上陸じょうりくした。

その師団しだん主力しゅりょく海軍かいぐん艦艇かんてい輸送ゆそうされ、ニューギニア島西しまにしはしソロンまでは到達とうたつできた。ソロンに進出しんしゅつ歩兵ほへいだい220連隊れんたいふく師団しだん主力しゅりょくはソロン地区ちく歩兵ほへいだい219連隊れんたいはヌンホルとう歩兵ほへいだい221連隊れんたいはマノクワリ地区ちく配置はいちされた。以後いごかく部隊ぶたいは、現地げんち連合れんごうぐん上陸じょうりくそな防衛ぼうえい体制たいせい整備せいび着手ちゃくしゅした。

べいぐんは、同年どうねん5がつ27にちビアクとう上陸じょうりく開始かいしした。このとき師団しだんは、歩兵ほへいだい219連隊れんたいだい2大隊だいたい歩兵ほへいだい221連隊れんたいだい2大隊だいたい基幹きかんとして、やく2,500めい将兵しょうへいをビアクとう増員ぞういん兵力へいりょく派遣はけんしたが、全滅ぜんめつした。そのいたしょ師団しだん所属しょぞくかく部隊ぶたい被害ひがい続出ぞくしゅつした。7月2にちには、べいぐんがヌンホルとう上陸じょうりく歩兵ほへいだい219連隊れんたい激戦げきせんのすえ全滅ぜんめつした。7月31にちには、連合れんごうぐんがサンサポール地区ちく上陸じょうりく開始かいし師団しだん主力しゅりょく連合れんごうぐんとの戦闘せんとう参加さんかし、これを迎撃げいげきするが、敗退はいたいした。以後いご現地げんち連合れんごうぐん交戦こうせんつづいた。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつにソロンの本拠地ほんきょち撤退てったいして、連合れんごうぐん上陸じょうりくそな防衛ぼうえい体制たいせいととのえるなかで終戦しゅうせんむかえた。ソロンの陸海りくかいぐん部隊ぶたいべいぐんにより孤立こりつしながらも、サクサク(サゴヤシ澱粉でんぷん)の採取さいしゅなどで現地げんち自活じかつおおくが終戦しゅうせんまでちこたえた。

師団しだん概要がいよう

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歴代れきだい団長だんちょう

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  • 前田まえだおさむ 中将ちゅうじょう:1939ねん昭和しょうわ14ねん)3がつ9にち - 1940ねん5がつ23にち 病没びょうぼつ
  • 原田はらだ熊吉くまきち 中将ちゅうじょう:1940ねん昭和しょうわ15ねん)5がつ25にち - 1942ねん3がつ2にち[1]
  • 重田しげた徳松とくまつ 中将ちゅうじょう:1942ねん昭和しょうわ17ねん)3がつ2にち - 1943ねん2がつ28にち[2]
  • 坂西さかにし一良かずよし 中将ちゅうじょう:1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ28にち - 1944ねん3がつ4にち[2]
  • 池田いけだ浚吉 中将ちゅうじょう:1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ4にち - 終戦しゅうせん[3]

参謀さんぼうちょう

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  • 白滝しらたきさとし四郎しろう 歩兵ほへい大佐たいさ:1939ねん昭和しょうわ14ねん)3がつ25にち[4] - 1941ねん10がつ15にち
  • 山本やまもとささいつき 大佐たいさ:1941ねん昭和しょうわ16ねん)10がつ15にち[5] - 1942ねん12月1にち
  • 小林こばやし公雄きみお 中佐ちゅうさ:1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月1にち - 終戦しゅうせん[6]

最終さいしゅう所属しょぞく部隊ぶたい

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  • 歩兵ほへいだい219連隊れんたい甲府こうふ):清水しみずさだ大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい220連隊れんたい東京とうきょう):金井塚かないづか勇吉ゆうきち大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい221連隊れんたい佐倉さくら):鈴木すずき友吉ゆうきち大佐たいさ
  • 独立どくりつ山砲さんぽうへいだい4連隊れんたい春山はるやま雄一ゆういち大佐たいさ
  • だい35師団しだん通信つうしんたい若松わかまつぐんきち少佐しょうさ
  • だい35師団しだん衛生えいせいたい草野くさのあきらぞう大佐たいさ
  • だい35師団しだん工兵こうへいたい米山よねやま直一なおかず少佐しょうさ
  • だい35師団しだん輜重しちょうたい片倉かたくらはるじん少佐しょうさ
  • だい35師団しだん海上かいじょう輸送ゆそうたい太郎たろうとも中佐ちゅうさ
  • だい35師団しだん野戦やせん病院びょういんけんとうけいとく軍医ぐんい少佐しょうさ
  • だい35師団しだんびょううましょう佐久間さくまただし大尉たいい

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』272ぺーじ
  2. ^ a b 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん、376ぺーじ
  3. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』352ぺーじ
  4. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』378ぺーじ
  5. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』396ぺーじ
  6. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』459ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 外山とやまみさお森松もりまつ俊夫としお編著へんちょ帝国ていこく陸軍りくぐん編制へんせい総覧そうらん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1987ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん

関連かんれん項目こうもく

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