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翁久允おきなきゅういん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

おう 久允きゅういん(おきな きゅういん、1888ねん2がつ8にち1973ねん2がつ14にち)は、日本にっぽん作家さっかジャーナリスト幼名ようみょうしんじ(ノブ)、筆名ひつめいろくけいごうふとしややややおうややせん

経歴けいれき

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富山とやまけん上新川かみしんかわぐん六郎谷ろくろうだに(ろくろだん)むらいち番地ばんち現在げんざい中新川なかにいかわぐん立山たてやままち六郎谷ろくろうだに)に漢方かんぽうちちおうはじめゆび(げんし)(文久ぶんきゅう元年がんねん3月6にちせい)、はは・フシイ(慶應けいおう2ねん1がつ3にちせい)の次男じなんとして誕生たんじょう富山とやま中学校ちゅうがっこう現在げんざい富山とやま県立けんりつ富山とやま高等こうとう学校がっこう)に入学にゅうがくして校友こうゆうかい月刊げっかん雄弁ゆうべんかい文才ぶんさい発揮はっきする。3年生ねんせいのときに寄宿舎きしゅくしゃ舎監しゃかん反抗はんこうしてくそゆか事件じけんこして新聞しんぶん沙汰ざたとなり、知事ちじ県議会けんぎかいさわぎとなったため、首謀しゅぼうしゃではなかったものの放校ほうこう処分しょぶんう(しかし同窓会どうそうかい名簿めいぼにはだい19かい卒業生そつぎょうせいとして記載きさいされている)[1]。やむなくあにげんむねたよって上京じょうきょうし、滑川なめかわ出身しゅっしん自由じゆう民権みんけん運動うんどう女傑じょけつだった中川なかがわ幸子さちこ私塾しじゅく三省みつよし学舎がくしゃ」に下宿げしゅくし、正則せいそく英語えいごよる学校がっこうじゅんてん中学校ちゅうがっこうすすみ、海外かいがいへのあこがれをつようになる。

1907ねん渡米とべいシアトルやブレマートンで家事かじ労働ろうどうエレベーターボーイとしてはたらきながら苦学くがくして、ブレマートン・ハイスクールを卒業そつぎょうする。邦字ほうじ新聞しんぶんあさひ新聞しんぶん」の懸賞けんしょう小説しょうせつ応募おうぼした短篇たんぺんわかれたあいだ」が入選にゅうせんしたのをに、邦字ほうじ小説しょうせつ評論ひょうろん随筆ずいひつを「ろく渓山けいざんじん」の筆名ひつめい発表はっぴょう。1910ねん久允きゅういん発案はつあんで、シアトルに文学ぶんがくかい発会はっかい。1914ねんカリフォルニアしゅう移動いどうして、「さくら日報にっぽう」のスタクトン支社ししゃ主任しゅにんとなり、広島ひろしまけん佐伯さえき便利べんりしゃ発行はっこうする雑誌ざっし太平楽たいへいらく」の米国べいこくでの編集へんしゅうたずさわる一方いっぽう、「日米にちべい」に長篇ちょうへん小説しょうせつあく日影ひかげ』や『あかあと』を連載れんさい。1919ねん日米にちべい新聞しんぶんしゃ社長しゃちょう安孫子あびこ久太郎きゅうたろうさそいで同社どうしゃオークランド支社ししゃ主任しゅにんとなり、「移民いみん文芸ぶんげい宣言せんげん」を発表はっぴょうし、同紙どうし文芸ぶんげいらん担当たんとう担当たんとうした。『日米にちべい日本人にっぽんじん人名じんめい辞典じてん』の編集へんしゅうワシントン軍縮ぐんしゅく会議かいぎ特派とくはいんつとめ、1923ねん短篇たんぺん小説しょうせつしゅう移植いしょくじゅ』を出版しゅっぱん

1924ねん帰国きこく東京とうきょう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ入社にゅうしゃし「アサヒグラフ」を担当たんとう。26ねん大阪おおさか朝日新聞社あさひしんぶんしゃ東京とうきょう駐在ちゅうざいとして『週刊しゅうかん朝日あさひ』の編集へんしゅうたずさわり、おおくの作家さっか交流こうりゅうったが、そのなかでも竹久たけひさゆめとの交流こうりゅうふかかった。人気にんき回復かいふくのために渡米とべい旅行りょこう希望きぼうしたゆめを、みずからの退職たいしょくきん元手もとでにしてアメリカれてったが、現地げんちゆめ人気にんきず、失敗しっぱいわった[1]。また大泉おおいずみ黒石こくせきとの交流こうりゅうられている。にち混血こんけつ黒石くろいしちょう国家こっか主義しゅぎはばかすなか文壇ぶんだんないでの居場所いばしょうしなってからも両者りょうしゃ交流こうりゅうつづき、頻繁ひんぱん黒石くろいし久允きゅういん自宅じたくたずねてさけ馳走ちそうあずかっていたという。久允きゅういんはその当時とうじ黒石くろいしについて「ボロかさかんむりり、下駄げたなども粗末そまつなものであった。貧乏びんぼうそこをついているようであった。かれなにほっしていない。たださけであった。そしてむと飄々ひょうひょうとしてった」と回顧かいこしている[2]。なお、黒石くろいしの『峡谷きょうこくさがせぐる』には1928ねん黒部くろべ峡谷きょうこくおとずれたときのこともしるされており、いちぎょうには久允きゅういんゆめもいた[3]

1936ねん故郷こきょう富山とやま郷土きょうど文化ぶんか高志こうしじん(こしびと)」を創刊そうかん、1973ねんまで主宰しゅさいした。全集ぜんしゅうじゅうかんがある。富山とやま市立しりつ図書館としょかんには1998ねんに「翁久允おきなきゅういん文庫ぶんこ」が設置せっちされ、やく2700てん洋装ようそう和書わしょやく2000さつ洋書ようしょ269さつ雑誌ざっし201しゅ和装わそうほん181てん)の蔵書ぞうしょがある。[4][5][6] 立命館大学りつめいかんだいがく図書館としょかんには、おう久允きゅういん研究けんきゅうかい所蔵しょぞう資料しりょうとして、「翁久允おきなきゅういん日記にっき」、「翁久允おきなきゅういん自筆じひつ原稿げんこう」、「新聞しんぶんスクラップブック」(在米ざいべい時代じだい中心ちゅうしん)の複写ふくしゃぶつ所蔵しょぞうされている。

2023ねん12月には、おう久允きゅういん財団ざいだん代表だいひょう理事りじであるまご須田すだみつるより、久允きゅういん資料しりょう日記にっき原稿げんこう書簡しょかんなど)9314てん高志こうし国文学こくぶんがくかん寄贈きぞうされた[7]

厚生こうせい事務次官じむじかんなどをつとめたおう久次郎きゅうじろうおい[8]

著書ちょしょ

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  • 移植いしょくじゅ移植いしょくじゅしゃ(カリフォルニアしゅうオークランド) 1923
  • 宇宙うちゅうじん(コスモポリタン)はかたる』 聚英かく 1928
  • みちなきみち甲子きのえねしゃ書房しょぼう 1928
  • ぬえのアメリカをかたる』だいおおとりかく書房しょぼう 1930
  • 『アメリカ・ルンペン』啓明けいめいしゃ 1931
  • 今日きょう印度いんど改造かいぞうしゃ 1933
  • 印度いんどふつあとる』大東だいとう出版しゅっぱんしゃ 1935
  • 戯曲ぎきょく釈迦如来しゃかにょらい日本にっぽん書房しょぼう 1936
  • 大陸たいりく亡者もうじゃ高志こうし書房しょぼう 1938
  • 民族みんぞく故郷こきょう 随筆ずいひつ高志こうし書房しょぼう 1942
  • しん観音かんのんけい講話こうわしんただしあい運動うんどう叢書そうしょ刊行かんこうかい 1955 (しんただしあい運動うんどう叢書そうしょ)
  • 最高さいこう言葉ことばしんただしあい運動うんどう叢書そうしょ刊行かんこうかい 1957 (しんただしあい運動うんどう叢書そうしょ ; だい3輯)
  • くるわしかきよし あおいわおろく禅師ぜんじたちしんただしあい運動うんどう叢書そうしょ刊行かんこうかい 1960 (しんただしあい運動うんどう叢書そうしょ ; だい4輯)
  • 翁久允おきなきゅういん全集ぜんしゅう ぜん10かん 翁久允おきなきゅういん全集ぜんしゅう刊行かんこうかい 1971-74
  • 移植いしょくじゅ大空おおぞらしゃ 2007.11 (資料しりょう翁久允おきなきゅういん移民いみん社会しゃかい 1)
  • あく日影ひかげかつら書房しょぼう 2023.10 (翁久允おきなきゅういん叢書そうしょ 1)
  • 日本人にっぽんじんつみ メリー・クリスマス』かつら書房しょぼう 2023.12 (翁久允おきなきゅういん叢書そうしょ 2)

関連かんれん書籍しょせき

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ a b 富山とやま高校こうこう人物じんぶつでん富山とやま高校こうこう同窓会どうそうかい”. www.toyama-taromaru.net. 2021ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ 志村しむら有弘ありひろ大泉おおいずみ黒石こくせきろん」『高志こうしじん』、高志こうしじんしゃ、1972ねん5がつ1にち、9-17ぺーじ 
  3. ^ 大泉おおいずみ黒石こくせき峡谷きょうこくさがせぐる』春陽しゅんようどう、1929ねん8がつ、1-16ぺーじ 
  4. ^ 翁久允おきなきゅういんについて | 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 翁久允おきなきゅういん財団ざいだん
  5. ^ 翁久允おきなきゅういん文庫ぶんこ | 富山とやま市立しりつ図書館としょかん On-Line
  6. ^ 講演こうえんかい 現代げんだいきる久允きゅういん思想しそう 立山たてやま出身しゅっしん差別さべつ批判ひはん 業績ぎょうせき紹介しょうかい富山とやま
  7. ^ 翁久允おきなきゅういん資料しりょう9314てん寄贈きぞう まご須田すださん だかこころざし国文学こくぶんがくかんへ』北日本きたにっぽん新聞しんぶん 2023ねん12月16にち26めん
  8. ^ 高志こうしじんしゃ; 高志こうししゃ (1974-03). 高志こうしじん. 富山とやま: 高志こうしじんしゃ. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000288549-00 
  9. ^ おう久允きゅういん移民いみん社会しゃかい1907-1924 : 在米ざいべいじゅうはちねん軌跡きせき
  10. ^ ふでたましいおう久允きゅういん生涯しょうがい
  11. ^ 翁久允おきなきゅういん年譜ねんぷ だいよんはん: 1888-1973 (翁久允おきなきゅういん財団ざいだん): 2023

参考さんこう

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