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せいエリーザベトの伝説でんせつ

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せいエリーザベトの伝説でんせつ』(ドイツDie Legende von der heiligen Elisabeth)は、フランツ・リスト作曲さっきょくした3つのオラトリオのうちだい1さくで、1862ねん完成かんせいした作品さくひんである。このなかの4きょくにはピアノ連弾れんだん編曲へんきょくばんがある。

献呈けんてい[編集へんしゅう]

ルートヴィヒ2せい献呈けんていされた。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

リストがオーストリアの画家がかモーリッツ・フォン・シュヴィント(1804-71)のフレスコから霊感れいかんけ、ドイツのテューリンゲン聖人せいじんエリーザベト(エルジェーベト)の物語ものがたり題材だいざいとしたオラトリオである。ヴァイマル時代じだいの1857-58ねん作曲さっきょくりかかり、1862ねんローマ移住いじゅう完成かんせいした。 日本にっぽんでの初演しょえん1973ねん11月23にちおこなわれた。 リストにとってこのオラトリオは、上演じょうえんに2あいだ30ふんようするきょ大作たいさくであり、生前せいぜんは、その上演じょうえん回数かいすう非常ひじょうおおく、会場かいじょうつね満員まんいんであった。それはすべてが慈善じぜん事業じぎょう義援金ぎえんきん募金ぼきんのためのものであったためである。1866ねん5月1にち5がつ10日とおかにミュンヘンでビューローの指揮しき上演じょうえんされた。ルートヴィヒ2せい

このすばらしい芸術げいじゅつ作品さくひんのたのしみは純粋じゅんすいくもりなきものである。

とのかぎりない賛辞さんじべている。

初演しょえん1865ねん8がつ15にちにリスト自身じしん指揮しきによっておこなわれた。当時とうじのリストはすで神父しんぷふくまとって舞台ぶたいっており、その姿すがたおおくのスケッチとしてのこされている。その効果こうか絶大ぜつだいなものだったとおもわれる。  

演奏えんそう時間じかん[編集へんしゅう]

ぜん2やく2あいだ20ふんかく70ふんずつ)

楽器がっき編成へんせい[編集へんしゅう]

フルート3(ピッコロ1え)、オーボエ2、(2ばんコーラングレえ)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバティンパニ(3)、小太鼓こだいこだい太鼓たいこシンバル低音ていおんかね2、ハープ2、オルガンハルモニウムつる

混声こんせい合唱がっしょう児童じどう合唱がっしょう

独唱どくしょうソプラノメゾソプラノコントラルトもしくはバリトン、バリトン2、バス2

楽曲がっきょく構成こうせい[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつとおり2からなる。粗筋あらすじせいエリーザベトのそだちから生涯しょうがい行跡ぎょうせきべたもので、だい1が3つの場面ばめんかれ、だい2おなじく3つの場面ばめんかれている。

だい1[編集へんしゅう]

  • 序奏じょそう

 冒頭ぼうとうでフルートがかなでる「だいいち動機どうき」は、オラトリオ全体ぜんたいでライトモティーフとして重要じゅうよう役割やくわりになっている。この主題しゅだいはリストによると、せいエリーザベトの祝日しゅくじつのために聖歌せいかからとられた動機どうきであるという。非常ひじょう劇的げきてき序曲じょきょくである。

  • だい1きょく エリーザベトのヴァルトブルクへの到着とうちゃく                                                               

 ヴァルトブルクはエリーザベトがそだった場所ばしょであり、教育きょういくけた場所ばしょでもある。ヘルマン伯爵はくしゃくのキスでむかえられ、自分じぶんがこれからきみちちになるのだとだい歓迎かんげいける。ハンガリーから同伴どうはんしてきた貴族きぞくたちは、れいくして本人ほんにんわたす。ここで、「だいさん動機どうき」があらわれる。この動機どうきは、ハンガリー民謡みんようからとられたもので、だいよんじょうだいろくじょうにもふたたあらわれる。

 りの角笛つのぶえり、エリーザベトは伯爵はくしゃくともりにかける。つぎ場面ばめんでは、有名ゆうめいな「バラの奇跡きせき」がてくる。ルートヴィヒはエリーザベトに何故なぜそこでさびしそうなかおをしているのかとく。エリーザベトは自分じぶんはただあなたのいえからワインをしていたのだとう。伯爵はくしゃくは、バラをんでいた、と反問はんもん。そのかごせることをエリーザベトに要求ようきゅうする。そこで、エリーザベトはとっさにみちまよってバラをんでいたといううそう。伯爵はくしゃくかごけさせられると、本当ほんとうのバラがはいっていた。

 十字軍じゅうじぐん戦士せんしたちの勇壮ゆうそう進軍しんぐん合唱がっしょうはじまる。ルートヴィヒはエリーザベトにわかれをげ、十字軍じゅうじぐん戦士せんしたちの合唱がっしょうおくられて、いさぎよ戦場せんじょうかう。ここで、「だいよん動機どうき」があらわれる。この動機どうき十字軍じゅうじぐん時代じだい由来ゆらいするとされたふる巡礼じゅんれいうたによるとされる。十字軍じゅうじぐん行進こうしんなどに使つかわれている。

だい2[編集へんしゅう]

  • だい4きょく ゾフィーかたはく夫人ふじん

 ゾフィー夫人ふじん家令かれいかたっているところへ、息子むすこのルートヴィヒが戦死せんしをとげてしまったというかなしいらせがはいってくる。エリーザベトはひどくかなしむ。そこに突如とつじょとして天変地異てんぺんちいこり、あらしおそってきてひどくなり、雷鳴らいめい電光でんこう四方しほうかべはじめ、そら暗雲あんうんおおわれてしまう。しろのこかべまでがくずち、しろ全体ぜんたいほのおつつまれてしまった。それはまさおそろしい一夜いちやであった。

  • だい5きょく エリーザベト

 エリーザベトはまずまれ故郷こきょうのハンガリーにもどって、もっぱいのりと信仰しんこう生活せいかつはいった。そこでしずかにようかりしころおもふけってなつかしみ、孤児こじたちの面倒めんどうをみながらの慈善じぜん事業じぎょう彼女かのじょのこされた唯一ゆいいつみちだった。しかし、戦死せんししたルートヴィヒはいつもしんなか一緒いっしょであった。その孤児こじたちと天使てんし合唱がっしょうともにエリーザベトは浄化じょうかされる。突然とつぜんてんあつくもとびらひらいて、最後さいごじる。 ここで、「だい動機どうき」があらわれる。これは、せいエリーザベトにかんするハンガリーの聖歌せいか、ふたつの民謡みんよう旋律せんりつ使つかった動機どうきで、だいろくじょう冒頭ぼうとうにもあらわれる。

  • だい6きょく エリーザベトの葬儀そうぎ

 このオラトリオの終曲しゅうきょくなが序奏じょそうつづき、バヴァリア国王こくおうフリートリヒ2せい登場とうじょうして、「みなもの家来けらいたち諸君しょくん、このエリーザベトのはかもうでよう。」とって、わか十字軍じゅうじぐん戦士せんしルートヴィヒをたたえ、群衆ぐんしゅう合唱がっしょうながれる。そして、我々われわれいま、エリーザベトをはかはこぶのだと高唱こうしょうする。合唱がっしょうにはさらにドイツとハンガリーの司教しきょうたちの合唱がっしょうくわわって、せいエリーザベトの葬送そうそうと、オラトリオ全曲ぜんきょく終結しゅうけつするのである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

CDの回想かいそう オペラ、オラトリオ - 世俗せぞく合唱がっしょうきょく

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『ブダペスト音楽おんがく出版しゅっぱん』(Editio Musica Budapest)のスコア
  • 福田ふくだわたる 作曲さっきょくひと作品さくひんシリーズ リスト 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]