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蔦 (樅型駆逐艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

つた (もみがた駆逐くちくかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1940ねんくれ撮影さつえいされただい35ごう哨戒しょうかいてい(きゅうつた」)[1]
かんれき
計画けいかく 1918年度ねんど[2]
起工きこう 1920ねん10がつ16にち[2]
進水しんすい 1921ねん5がつ9にち[2]
就役しゅうえき 1921ねん6がつ30にち[2]
その 1940ねん4がつ1にち哨戒しょうかいてい編入へんにゅうだいさんじゅうごう哨戒しょうかいてい改名かいめい[3]
1941ねん高速こうそく輸送ゆそうかん改造かいぞう[2]
1942ねん9がつ2にち空爆くうばく沈没ちんぼつ[2]
除籍じょせき 1943ねん2がつ10日とおか[2]
性能せいのうしょもと計画けいかく
排水はいすいりょう 基準きじゅん公表こうひょう 770トン
常備じょうび:850.00トン
全長ぜんちょう 全長ぜんちょう:290 ftin (88.39 m)
水線すいせんちょう:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線すいせんあいだちょう:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅ぜんぷく 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水きっすい 8 ft 0 in (2.44 m)
ふか 16 ft 3 in (4.95 m)
推進すいしん 2じく x 400rpm
直径ちょっけい 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径ちょっけい2.565m、ピッチ3.353m
機関きかん おも:ブラウン・カーチスしきオールギアードタービン(高低こうていあつ) 2[4]
出力しゅつりょく:21,500shp
ボイラー:ごうかん本式ほんしきかん(重油じゅうゆせんしょう) 3
速力そくりょく 36ノット
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ240トン
航続こうぞく距離きょり 3,000カイリ / 14ノット
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん 107めい[5]
竣工しゅんこう定員ていいん 110めい[6]
へいそう 45口径こうけいさんねんしき12cmほう たんそう3もん
さんねんしきほう 2てい
53cm連装れんそう発射はっしゃかん 24もん
魚雷ぎょらい8ほん
搭載とうさいてい 内火艇ないかてい1せき、18ftカッター2せき、20ftどおりせん1せき
備考びこう ※トンはえいトン

つた(つた)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん駆逐くちくかんで、もみがた駆逐くちくかんの14ばんかんである。同名どうめいかんたちばながた駆逐くちくかんの「つた」があるため、こちらは「つた (初代しょだい)」や「つたI」などと表記ひょうきされる。

かんれき[編集へんしゅう]

1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ16にち神戸こうべ川崎かわさき造船ぞうせんしょ起工きこう[7]1921ねん大正たいしょう10ねん)5がつ9にち午前ごぜん730ふん進水しんすい[8]同年どうねん6がつ30にち竣工しゅんこう[7]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)から1938ねん昭和しょうわ13ねん)まで、にちちゅう戦争せんそうにおいて華北かほく沿岸えんがん作戦さくせん参加さんかした[2]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ1にち哨戒しょうかいてい類別るいべつ変更へんこうだいさんじゅうごう哨戒しょうかいてい改称かいしょう

太平洋戦争たいへいようせんそうにおいて南方なんぽう海上かいじょう護衛ごえい哨戒しょうかい作戦さくせん従事じゅうじ[2]1942ねん昭和しょうわ17ねん)9がつ2にち、ニューギニア輸送ゆそう作戦さくせんちゅう、ビコリアとう北東ほくとうべい軍機ぐんき空爆くうばくにより沈没ちんぼつ[2]1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ10日とおか除籍じょせき

艦長かんちょう[編集へんしゅう]

※『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。

艤装ぎそういんちょう
  • 斎藤さいとう直彦なおひこ 少佐しょうさ:1921ねん4がつ30にち[9] -
駆逐くちく艦長かんちょう
  • 斎藤さいとう直彦なおひこ 少佐しょうさ:1921ねん7がつ1にち[10] - 1921ねん12月1にち[11]
  • 大熊おおくま政吉まさきち 少佐しょうさ:1921ねん12月1にち - 1922ねん12月1にち
  • 郷田ごうだ喜一郎きいちろう 少佐しょうさ:1922ねん12月1にち[12] - 1923ねん6がつ1にち[13]
  • 竹下たけしたこころざしけい 少佐しょうさ:1923ねん6がつ1にち - 1923ねん10がつ15にち
  • 佐倉さくら武夫たけお 少佐しょうさ:1923ねん10がつ15にち - 1924ねん5がつ10日とおか
  • ふじ存知ぞんち 少佐しょうさ:1924ねん5がつ10日とおか - 1925ねん12月1にち
  • 多田ただ武雄たけお 少佐しょうさ:1925ねん12月1にち - 1926ねん4がつ20日はつか
  • 大藤おおふじ正直まさなお 少佐しょうさ:1926ねん4がつ20日はつか[14] - 1926ねん12月1にち[15]
  • 宮武みやたけ重敏しげとし 少佐しょうさ:1926ねん12月1にち[15] - 1928ねん12がつ10日とおか[16]
  • 早川はやかわ幹夫みきお 少佐しょうさ:1928ねん12がつ10日とおか - 1929ねん11月30にち
  • かちはらみつるこう 少佐しょうさ:1929ねん11月30にち[17] - 1930ねん12月1にち[18]
  • けん村上むらかみ暢之のぶゆきじょ 少佐しょうさ:1930ねん12月1にち - 1931ねん11月2にち
  • けん佐々木ささきへい 大尉たいい:1931ねん11月2にち[19] - 1931ねん12月1にち[20]
  • 浜野はまの元一げんいち 少佐しょうさ:1931ねん12月1にち[20] - 1932ねん3がつ10日とおか[21]
  • 小山こやま猛男たけお 大尉たいい:1932ねん3がつ10日とおか[21] - 1933ねん11月1にち[22]
  • なりとみ武光たけみつ 大尉たいい:1933ねん11月1にち[22] - 1935ねん11月15にち[23]
  • けん宇垣うがきたまき 少佐しょうさ:1935ねん11月15にち[23] - 1936ねん5がつ26にち[24]
  • けん愛甲あいこう文雄ふみお 大尉たいい:1936ねん5がつ26にち[24] - 1936ねん12月1にち[25]
  • けん上杉うえすぎ義男よしお 少佐しょうさ:1936ねん12月1にち[25] - 1937ねん4がつ6にち[26]
  • 上杉うえすぎ義男よしお 少佐しょうさ:1937ねん4がつ6にち[26] - 1937ねん11月15にち[27]
  • 青木あおき久治きゅうじ 少佐しょうさ:1937ねん11月15にち[27] - 1938ねん2がつ21にち[28]
  • 岩上いわかみいち 少佐しょうさ:1938ねん2がつ21にち - 1938ねん12月1にち
  • けん山下やましたいたる 少佐しょうさ:1938ねん12月1にち[29] - 1939ねん2がつ20日はつか[30]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ #日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい下巻げかんp.847、No.2660の写真しゃしん解説かいせつ
  2. ^ a b c d e f g h i j 日本にっぽん海軍かいぐんだい7かん、302ぺーじ
  3. ^ #日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい 資料しりょうへん主要しゅよう艦艇かんていかんれきひょう」12ぺーじ
  4. ^ #帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん下巻げかんpp.589-590(よんはち-よんはちろくぺーじ)
  5. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょp.16、士官しかん6めい特務とくむ士官しかん3めい下士官かしかん26めいへい72めい
  6. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-1(1972)pp.601-602、『大正たいしょうはちねんろくがつじゅうにち(うちれいいちはち) 海軍かいぐん定員ていいんれいちゅうひだりつう改正かいせいセラル さんとう驅逐くちくかん定員ていいんひょうひょうつうあらためム | だいろくじゅうひょう | さんとう驅逐くちくかん定員ていいんひょう |(詳細しょうさい備考びこうりゃく) |』將校しょうこう機關きかん將校しょうこう6にん特務とくむ士官しかんじゅん士官しかん3にん下士かし26にんそつ75にん
  7. ^ a b #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく11-2(1972)pp.1074-1075、昭和しょうわ3ねん2がつ14にちないれいだい34ごう艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい
  8. ^ #T10公文こうぶん備考びこう24艦船かんせん1/駆逐くちくかんつたあし製造せいぞういちけん(2)画像がぞう14『大正たいしょうじゅうねんがつきゅうにち(中略ちゅうりゃく)驅逐くちくかんつた今朝けさななさんじゅうふん無事ぶじ進水しんすい致シマシタ』
  9. ^ 官報かんぽうだい2623ごう大正たいしょう10ねん5がつ2にち
  10. ^ 官報かんぽうだい2676ごう大正たいしょう10ねん7がつ2にち
  11. ^ 官報かんぽうだい2801ごう大正たいしょう10ねん12月2にち
  12. ^ 官報かんぽうだい3102ごう大正たいしょう11ねん12月2にち
  13. ^ 官報かんぽうだい3251ごう大正たいしょう12ねん6がつ2にち
  14. ^ 官報かんぽうだい4095ごう大正たいしょう15ねん4がつ21にち
  15. ^ a b 官報かんぽうだい4283ごう大正たいしょう15ねん12月2にち
  16. ^ 官報かんぽうだい587ごう昭和しょうわ3ねん12月11にち
  17. ^ 官報かんぽうだい878ごう昭和しょうわ4ねん12月2にち
  18. ^ 官報かんぽうだい1179ごう昭和しょうわ5ねん12月2にち
  19. ^ 官報かんぽうだい1455ごう昭和しょうわ6ねん11月4にち
  20. ^ a b 官報かんぽうだい1478ごう昭和しょうわ6ねん12月2にち
  21. ^ a b 官報かんぽうだい1557ごう昭和しょうわ7ねん3がつ11にち
  22. ^ a b 官報かんぽうだい2053ごう昭和しょうわ8ねん11月2にち
  23. ^ a b 官報かんぽうだい2663ごう昭和しょうわ10ねん11月16にち
  24. ^ a b 官報かんぽうだい2818ごう昭和しょうわ11ねん5がつ27にち
  25. ^ a b 官報かんぽうだい2976ごう昭和しょうわ11ねん12月2にち
  26. ^ a b 官報かんぽうだい3076ごう昭和しょうわ12ねん4がつ7にち
  27. ^ a b 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう 号外ごうがい だい91ごう 昭和しょうわ12ねん11月15にちづけ」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072072500 
  28. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう 号外ごうがい だい140ごう 昭和しょうわ13ねん2がつ21にちづけ」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072073400 
  29. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい267ごう 昭和しょうわ13ねん12月1にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074700 
  30. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい303ごう 昭和しょうわ14ねん2がつ20日はつか」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072075400 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 海軍かいぐんしょう へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきじゅうの1』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい182かんはら書房しょぼう、1972ねん4がつ原著げんちょ1940ねん)。 
  • 海軍かいぐんしょう へん海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく まきじゅういちの2』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい185かんはら書房しょぼう、1972ねん5がつ原著げんちょ1941ねん)。 
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかい日本にっぽん海軍かいぐんだい7かんだい9かんだい10かん第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1995ねん
  • 片桐かたぎりだい聯合れんごう艦隊かんたい銘銘めいめいでん光人みつひとしゃ、1993ねん
    • 片桐かたぎりだい聯合れんごう艦隊かんたい軍艦ぐんかん銘銘めいめいでん普及ふきゅうばん光人みつひとしゃ、2003ねん
  • 日本にっぽん駆逐くちくかん世界せかい艦船かんせん 1992ねん7がつごう増刊ぞうかん だい453しゅう(増刊ぞうかんだい34しゅう)、海人あましゃ、1992ねんISBN 4-905551-41-2 
  • 日本にっぽん舶用はくよう機関きかん編集へんしゅう委員いいんかい/へん帝国ていこく海軍かいぐん機関きかん明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい245かんはら書房しょぼう、1975ねん11月。 
  • 福井ふくい静夫しずお写真しゃしん 日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい』ベストセラーズ、1994ねんISBN 4-584-17054-1 
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」。 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]