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かいこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

かいこ(さんば)とは、中国ちゅうごく伝説でんせつの1つで、うまかわ融合ゆうごうした少女しょうじょかいこ変身へんしんしてこのきぬをもたらしたとされる伝説でんせつかいこおんな(さんじょ)・馬頭ばとうむすめ(ばとうじょう)の別名べつめいがあり、日本にっぽんの「おしらさま伝説でんせつのモデルになったともされる。

前史ぜんし

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中国ちゅうごくではふるくからきぬかいこにまつわる伝説でんせつ説話せつわ存在そんざいしていた。戦国せんごく時代じだい荀況しるした『荀子』(へん)には、かいこ身体しんたい柔軟じゅうなんあたまうまているとしるされている。前漢ぜんかん書物しょもつである『山海さんかいけい』(海外かいがいきたけい)には、おういと(おうしのの)という土地とちがあり、そこでは少女しょうじょひざまずにつかまっていとおう(吐)いているとしるされている。さらふるくからきぬ産地さんちとしてられていたしょく現在げんざい四川しせんしょうでは、古代こだいいにしえしょくおうであるかいこくさむらかいこかた人々ひとびとおしえたとする伝説でんせつなど様々さまざま伝説でんせつがあったとされている。こうした伝説でんせつ説話せつわむすびついたこと誕生たんじょうしたのが「かいこかいこおんな馬頭ばとうむすめ)」の伝説でんせつであったとかんがえられている。

さがせかみ

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かいこのもっともふる形態けいたいであるとされるのは、あずますすむたからしるした『さがせかみ』(まき14)の「おんなかいこす」である。

むかし、あるいえ父親ちちおや戦争せんそうされ、いえにはむすめゆうだけがのこされた。むすめ父親ちちおやこいしさのあまり、ゆう冗談じょうだん半分はんぶんで「もし、父様とうさまれてかえってきてくれたら、あなたのおよめさんになるわ」とったところ、ゆうはすぐさま父親ちちおやれていえもどってきた。ところが、むすめにしたときゆう様子ようすがおかしいので父親ちちおやむすめ事情じじょういただすと、むすめ一部始終いちぶしじゅうけた。これをった父親ちちおや激怒げきどしていしゆみゆう射殺しゃさつしてかわいでざらしものにした。そのむすめゆうかわがわじゃれていると、うまかわ不意ふいがってむすめいていえからしていった。数日すうじつむすめ発見はっけんされたときにはむすめうまかわひとつになって大木たいぼくえだあいだかいこ変身へんしんしていといていた。そのため、大木たいぼくは「」と同音どうおん(ソウ)である「くわ」と名付なづけられたとう。

太平たいへいこう』(『はらでん拾遺しゅうい』)

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さがせかみ』とはややことなる内容ないようかいこ伝説でんせつつたえているのは、きたそう勅命ちょくめいによって編纂へんさんした『太平たいへいこう』(まき479)の「かいこおんな」である。ただし、『太平たいへいこう』は古今ここん書物しょもつからの引用いんよう集成しゅうせいであり、「かいこおんな」ももとは『はらでん拾遺しゅうい』という書物しょもつから引用いんようされたものである。

こうからしおう時代じだいしょくには君王くんのうがおらず、一族いちぞくがまとまってらして一族いちぞくあらそっていた。あるむすめ父親ちちおやもそのたたかいでてき捕虜ほりょとなっていちねん以上いじょう経過けいかし、むすめ父親ちちおやことかんがえるとたまれなくなった。むすめ母親ははおや一族いちぞくおとこたちたいして、「もし、おっとたすけだしくれたら、そのものむすめとつがせる」とべた。だが、それにこたえるものはいなかった。ところが、そのはなしいていた父親ちちおや乗馬じょうば手綱たづなりほどいていえすと、数日すうじつ父親ちちおやれてもどってきた。母親ははおやおどろいて約束やくそくけん父親ちちおやけると、父親ちちおやは「どうして人間にんげん獣類じゅうるいとつがせること出来できよう」とべたが、それをいたうまあばしたため、父親ちちおや激怒げきどしてゆん射殺しゃさつしてかわいでざらしものにした。その数日すうじつむすめうまかわがわとおったときうまかわ不意ふいがってむすめいていえからしていった。10日とおかかわむすめごとくわいてむすめ姿すがたかいこ変化へんかしていといてこのきぬをもたらした。これによってむすめかいこおんなばれるようになるが、両親りょうしんはとてもかなしんだ。ところが、突然とつぜんてんからむすめれいうましながら降臨こうりんたし、ふとじょう自分じぶんせん嬪にして天上てんじょう長生ちょうせいさせてくれることになったことをつたえて両親りょうしんなぐさめたとう。

四川しせんにおける「かいこおんな馬頭ばとうむすめ)」信仰しんこう

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太平たいへいこう』が引用いんようした『はらでん拾遺しゅうい』にはつづいて、かいこおんな遺跡いせきこうかん存在そんざいし、什邡綿めんちく徳陽とくよう人々ひとびと毎年まいとしみやかんにある少女しょうじょ塑像そぞううまかわせて「馬頭ばとうむすめ」とび、くわかいこそなえていの儀式ぎしきがあったという。また、徳陽とくようにはかいこおんなびょうはかつたわったとされているが、きよし時代じだい洪水こうずい影響えいきょう荒廃こうはいしたと、どう13ねん1874ねん編纂へんさんの『徳陽とくようけんこころざし』はつたえている。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 袁珂 ちょ/鈴木すずきひろし やく中国ちゅうごく神話しんわ伝説でんせつだい事典じてん』(大修館書店たいしゅうかんしょてん、199ねんISBN 978-4-469-01261-3 「かいこおんな」「かいこおんなびょう」「かいこ」「馬頭ばとうむすめ」のかく項目こうもく