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西内にしうちみやび

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西内にしうち みやび(にしうち ただし、1903ねん - 1993ねん4がつ19にち[1])は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ

略歴りゃくれき

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高知こうちけんまれ。高知こうちだいいち中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう一時期いちじきマルクス主義まるくすしゅぎアナーキズム傾倒けいとう代用だいよう教員きょういんて、広島ひろしま文理ぶんり大学だいがく数学すうがく卒業そつぎょうれきおよび暦法れきほう研究けんきゅう過程かていで、たに秦山じんざん渋川しぶかわ春海しゅんかい弟子でし)の土佐とさ勤皇きんのう思想しそう土佐とさみなみがく)にせっし、皇国こうこく史観しかんにのめりむ。平泉ひらいずみきよし当時とうじ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ)がひらいた青々あおあおじゅく門下生もんかせいとなり、皇国こうこく史観しかん著名ちょめいな「平泉ひらいずみ学派がくは」のイデオローグの一人ひとりとみなされるにいたる。

広島ひろしま文理ぶんりだい研究けんきゅうせい陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう嘱託しょくたく教官きょうかん陸軍りくぐん教授きょうじゅ(1933ねん以降いこう青々あおあおじゅく門下生もんかせい次々つぎつぎ陸海りくかいぐん学校がっこう教官きょうかんむかれられている)。のち、そう力戦りきせん研究所けんきゅうじょ所員しょいん思想しそう担当たんとう教官きょうかん)として同所どうしょ研究生けんきゅうせいとうに「皇国こうこく思想しそう」を教授きょうじゅするが、当時とうじ日本にっぽん各界かくかい若手わかてエリートからなる同所どうしょ研究けんきゅうせいあいだでは時代じだい錯誤さくごてきであるとして評判ひょうばんわるかったといわれる[2]。しかし、この皇国こうこく史観しかん礼賛らいさんイデオロギーは陸軍りくぐん重用じゅうようされ、1945ねん7がつ終戦しゅうせん直前ちょくぜんきびしいかみ不足ふそく出版しゅっぱん統制とうせいにもかかわらず、『たに秦山じんざんがく』という300ぺーじえる著作ちょさくが3000出版しゅっぱんされた[3]西内にしうち自著じちょによると終戦しゅうせん肩書かたがきは「陸軍りくぐんしょう兵務へいむきょく思想しそう班長はんちょう」。終戦しゅうせん発生はっせいした宮城みやぎ事件じけんでは、西内にしうち犯行はんこうグループの将校しょうこうたち緊密きんみつ連絡れんらくっていたとされる[4]

上記じょうきのように、旧制きゅうせい中学ちゅうがく卒業そつぎょうから終戦しゅうせんまでのかれ経歴けいれきには、詳細しょうさい真偽しんぎ不明ふめいてんおおい。

戦後せんご工学院大学こうがくいんだいがく皇學館大学こうがくかんだいがく京都産業大学きょうとさんぎょうだいがく中央学院大学ちゅうおうがくいんだいがくひとしあわこう大学だいがく台湾たいわん)でおしえる。1965ねんから1975ねんころまで香港ほんこんにて日本語にほんご学校がっこう経営けいえい

本人ほんにん著書ちょしょとうによれば、文化ぶんかだい革命かくめいにより大陸たいりくから脱出だっしゅつして中国人ちゅうごくじんおしえていたさい1972ねん文書ぶんしょ日本にっぽん解放かいほうだい工作こうさく要綱ようこう」を生徒せいとから提供ていきょうされたとされる(べつ場所ばしょではアジア諸国しょこく歴訪れきほうちゅう1973ねん入手にゅうしゅしたともべており、その“入手にゅうしゅ”の経路けいろについてはやはり不明ふめいてんおおい)。この文書ぶんしょ今日きょうにおいて、『WiLL』など一部いちぶメディアでげられるようなれいられる。同誌どうし掲載けいさいさい西内にしうち経歴けいれきに“陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうそつ”というあやまった経歴けいれき付与ふよされたが、上記じょうきとおかれはその嘱託しょくたく教官きょうかんであったとはされるが、その卒業生そつぎょうせいではない。

著書ちょしょ

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  • 澁川しぶかわ春海しゅんかい研究けんきゅう至文しぶんどう、1940
  • 先哲せんてつけて』小宮山こみやま書店しょてん、1941、高原こうげんしゃ、1943
  • 日本にっぽんこく実体じったいしんどう修錬しゅうれんかい、1941
  • たに秦山じんざん神道しんとう高原こうげんしゃ、1943
  • たに秦山じんざんがく冨山とやまぼう、1945
  • はちせんまん命運めいうん京北けいほく書房しょぼう、1953
  • 間接かんせつ侵略しんりゃく立花たちばな書房しょぼう、1965
  • 建国けんこく記念きねん 科学かがく歴史れきし神話しんわ今日きょう問題もんだいしゃ、1966 改版かいはん1970、にしきせいしゃ 1988- 古代こだいこよみ研究けんきゅうから神武じんむ天皇てんのう即位そくい異議いぎとなえる
  • 日本にっぽん歴史れきし精神せいしん 社会しゃかい歴史れきし批判ひはん理想りそうしゃ、1966
  • 日本にっぽん防衛ぼうえい 思想しそう政治せいじ経済けいざい武力ぶりょくせん脅威きょうい抑止よくし日本教文社にっぽんきょうぶんしゃ、1970
  • 中国ちゅうごく正体しょうたい日本教文社にっぽんきょうぶんしゃ、1973
  • さんじゅうねん戦争せんそう 自由じゆうアジアの命運めいうん国民こくみん新聞しんぶんしゃしん叢書そうしょ、1975
  • 蒋介石しょうかいせき歿後ぼつご ポスト・ベトナム』おりじん書房しょぼう、1975
  • 居合いあいどう読本とくほん』おりじん書房しょぼう、1975
  • たれ神道しんとう伝承でんしょう 親房ちかふさ闇斎あんさい春海しゅんかい秦山じんざん先生せんせいつぎじゅつ神道しんとうせんほうきょう本庁ほんちょう、1978
  • くにたましい 愛国あいこくひゃくにんいちしゅ解説かいせつにしきせいしゃ、1985
  • まんしゅう事変じへん 民族みんぞく協和きょうわ実現じつげん大湊おおみなと書房しょぼう、1988、にしきせいしゃ、1990
  • だい東亜とうあ戦争せんそう終局しゅうきょく 昭和しょうわ天皇てんのう聖業せいぎょうにしきせいしゃ、1991
  • 神道しんとう入門にゅうもん清家きよいえしゃ、1991

共著きょうちょ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 現代げんだい物故ぶっこしゃ事典じてん1991~1993』(日外にちがいアソシエーツ、1994ねん)p.447
  2. ^ 猪瀬いのせ直樹なおきちょ昭和しょうわ16ねんなつ敗戦はいせん世界文化社せかいぶんかしゃ、1983ねん新版しんぱん中公ちゅうこう文庫ぶんこ [ようページ番号ばんごう]
  3. ^ たに秦山じんざんがく奥付おくづけとうによる
  4. ^ だい東亜とうあ戦争せんそう精神せいしん宮城みやぎ事件じけん[ようページ番号ばんごう]

関連かんれん項目こうもく

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