入道にゅうどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥山とりやま石燕せきえん今昔こんじゃく画図えずぞくひゃくおに』より「入道にゅうどう
著者ちょしゃしょう諸国しょこくひゃく物語ものがたり』より「きょう東洞とうどういんかたわしゃこと[1]
水木みずきしげるロード設置せっちされている「入道にゅうどう」のブロンズぞう

入道にゅうどう(わにゅうどう)は、鳥山とりやま石燕せきえん妖怪ようかい画集がしゅう今昔こんじゃく画図えずぞくひゃくおに』にえがかれている日本にっぽん妖怪ようかい[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

鳥山とりやま石燕せきえんは、ほのおつつまれた牛車うしぐるま車輪しゃりん中央ちゅうおう男性だんせいかおいた姿すがたえがいており、解説かいせつぶんには以下いかのようにべられている。

くるまこしき(こしき)にだいなる入道にゅうどうくびつきたるが かたにてをのれとめぐりありくあり これをみるものたましいうしなふ 此所しょうははさとかみにかきて出入でいりにおせば あへてちかづくことなしとぞ[2]

入道にゅうどう自分じぶん姿すがたものたましいいていき、「此所しょうははさと」といたかみ呪符じゅふとしていえると、入道にゅうどうちかづくことができないという意味いみである。「此所しょうははさと」とは、中国ちゅうごく儒家じゅか始祖しそ孔子こうし門人もんじんである曾子が「ははつ」のきらってかちははさとあしれなかったという『史記しき』「鄒陽列伝れつでん」での逸話いつわ由来ゆらいとされている[2]

かたしゃとの同一どういつせい[編集へんしゅう]

石燕せきえん入道にゅうどうは、その形状けいじょう内容ないようから1677ねんのべたから5ねん刊行かんこうの『諸国しょこくひゃく物語ものがたり』にしるされている京都きょうと東洞ひがしぼらいんどおりあらわれた車輪しゃりん妖怪ようかい「かたわしゃ」(かたしゃ)(巻一けんいちきょう東洞とうどういんかたわしゃこと」)から取材しゅざいされえがかれたものであるとかんがえられており、『今昔こんじゃく画図えずぞくひゃくおに』で別々べつべつ妖怪ようかいとしてえがかれている「かたしゃ」と「入道にゅうどう」は同一どういつ説話せつわ素材そざいとして別々べつべつえがかれた作品さくひんである。『諸国しょこくひゃく物語ものがたり』での挿絵さしえには車輪しゃりん中央ちゅうおうかおがついたかたちかたしゃえがかれている。入道にゅうどう男性だんせいかたしゃ女性じょせいとしてえがかれており、現在げんざいもそのように解釈かいしゃくされているが、かたしゃ姿すがた女性じょせいとしてえがかれはじめてたのは1743ねんひろし3ねん刊行かんこうの『諸国しょこく里人さとびとだん』あたりからである。石燕せきえん以前いぜん版本はんぽん挿絵さしえにおいてすで描写びょうしゃちがい(車輪しゃりん人面じんめんがついているか・車輪しゃりんった女性じょせいか)が存在そんざいし、本来ほんらいまったおな説話せつわであった「かたしゃ」が、かたしゃ入道にゅうどうという2つの妖怪ようかいへと分岐ぶんきしていったのではないかとされる[3]

ゲゲゲの鬼太郎おにたろう登場とうじょうする入道にゅうどう[編集へんしゅう]

人間にんげんをダイヤモンドにえる光線こうせんくちから能力のうりょくつ。この能力のうりょくしゅとして鬼太郎おにたろう敵対てきたいする立場たちば登場とうじょうする場合ばあい披露ひろうされる。この光線こうせんかがみたると反射はんしゃされ、それにより自身じしんがダイヤモンドされてたおされることおおい。

味方みかた協力きょうりょくしゃとなるときは、妖怪ようかい自動車じどうしゃなどの車輪しゃりんとして登場とうじょうすることおおい。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 著者ちょしゃしょう ちょ諸国しょこくひゃく物語ものがたり」、高田たかだまもるへんこうちゅう へん江戸えど怪談かいだんしゅうした岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1989ねん、13-15ぺーじISBN 978-4-00-302573-4 
  2. ^ a b c 稲田いなだ篤信あつのぶ田中たなかただしにち へん鳥山とりやま石燕せきえん 画図えず百鬼夜行ひゃっきやこう高田たかだまもる監修かんしゅう国書刊行会こくしょかんこうかい、1992ねん、136ぺーじISBN 978-4-336-03386-4 
  3. ^ 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ妖怪ようかい事典じてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000ねん、368ぺーじISBN 978-4-620-31428-0 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]