(Translated by https://www.hiragana.jp/)
近藤平三郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

近藤こんどう平三郎へいさぶろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
こんどう へいざぶろう
近藤こんどう 平三郎へいさぶろう
生誕せいたん 1877ねん12月11にち
日本の旗 静岡しずおかけん
死没しぼつ (1963-11-17) 1963ねん11月17にち(85さいぼつ
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 薬学やくがく
研究けんきゅう機関きかん 陸軍りくぐん
塩野しおのよし商店しょうてん
おつ研究所けんきゅうじょ
東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく卒業そつぎょう
おも指導しどう学生がくせい 上尾あげお庄次郎しょうじろう
おも業績ぎょうせき アルカロイドに関連かんれんする
薬剤やくざい開発かいはつ
おも受賞じゅしょうれき 日本学士院にほんがくしいんしょう(1928ねん
プロジェクト:人物じんぶつでん
テンプレートを表示ひょうじ

近藤こんどう 平三郎へいさぶろう(こんどう へいざぶろう、1877ねん12月11にち - 1963ねん11月17にち)は、日本にっぽん薬剤師やくざいし薬学やくがくしゃくすり化学かがく)。勲等くんとう文化ぶんか勲章くんしょう学位がくい薬学やくがく博士はかせ日本学士院にほんがくしいん会員かいいん

陸軍りくぐん薬剤やくざいかん塩野しおのよし商店しょうてん顧問こもんおつ研究所けんきゅうじょ所長しょちょう東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ日本にっぽんやく学会がっかい会頭かいとう日本薬剤師会にほんやくざいしかい会長かいちょうなどを歴任れきにんした。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

現在げんざい静岡しずおかけん賀茂かもぐん松崎まつざきまちにてまれた。本郷ほんごうドイツ学校がっこうから東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医科いかやく学科がっかすすみ、長井ながい長義ながよし師事しじみかどだい卒業そつぎょう大学だいがくせききながらも陸軍りくぐん薬剤やくざいかんとして入隊にゅうたいし、にち戦争せんそう薬剤師やくざいしとして従軍じゅうぐん陸軍りくぐん学校がっこう教官きょうかんて、ベルリン工科こうか大学だいがく留学りゅうがくして有機ゆうき化学かがく専攻せんこうした。

薬学やくがくしゃとして

[編集へんしゅう]

1911ねん帰国きこくすると塩野しおのよし商店しょうてん塩野しおの長次郎ちょうじろう懇請こんせいけ、塩野しおのよし商店しょうてん顧問こもん就任しゅうにん。この関係かんけい発展はってんして1915ねんには塩野しおの援助えんじょによっておつ研究所けんきゅうじょ東京とうきょう設立せつりつして所長しょちょうとなるとともに、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅにも就任しゅうにんした。以降いこうアルカロイド関係かんけい薬剤やくざい開発かいはつ専心せんしんし、1928ねん学士がくしいんしょう受賞じゅしょう日本にっぽんやく学会がっかい会頭かいとう日本薬剤師会にほんやくざいしかい会長かいちょう歴任れきにんした。1953ねん日本学士院にほんがくしいん会員かいいん1958ねん文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう

論文ろんぶん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
先代せんだい
河合かわい亀太郎かめたろう
日本薬剤師会にほんやくざいしかい会長かいちょう
だい12だい:1943ねん - 1946ねん
次代じだい
慶松けいしょうかつ左衛門さえもん