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道場どうじょうきょう (越辺川おっぺがわ)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
埼玉県道269号標識

道場どうじょうきょう(どうじょうばし)は埼玉さいたまけん坂戸さかど大字だいじ横沼よこぬまと、どうけん比企ひきぐん川島かわじままち大字だいじ上伊草かみいぐさあいだながれる越辺川おっぺがわかる埼玉さいたまけんどう269ごう上伊草かみいぐさ坂戸さかどせん道路どうろはしである。

概要がいよう

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現行げんこうはしは1981ねん昭和しょうわ56ねん)にけられたもので、越辺川おっぺがわ終点しゅうてんからおよそ1.4 kmの地点ちてんかる[1]はしちょう313.5メートル、そう幅員ふくいん10.75メートル、有効ゆうこう幅員ふくいん9.75メートル(車道しゃどう7.25メートル、歩道ほどう2.0メートル、車道しゃどう歩道ほどうあいだにある縁石えんせきの0.5メートルをふくむ)最大さいだいささえあいだちょう45.050メートルの7みちあいだPC連続れんぞくばこけたきょう1とうきょう(TL-20)である[2]ささえあいだわり左岸さがんがわから45.050 m + 44.450 m + 45.025 m + 45.025 m + 44.450 m + 44.450 m + 45.050 mとなっていて中央ちゅうおうよりりょうはしささえあいだちょうながくなっている。歩道ほどう下流かりゅうがわのみに設置せっちされている。はしめん横断おうだんめん放物線ほうぶつせんじょうになっており1.5パーセントの横断おうだん勾配こうばいけられている[2]

両側りょうがわ道路どうろ(アプローチ区間くかん)はそう延長えんちょう516メートルあり[3]右岸うがんがわ街路がいろじゅうえ栽された盛土もりつち左岸さがんがわ高架こうかきょう併用へいようされている。公共こうきょう交通こうつう機関きかん路線ろせんバス)の経路けいろには使用しようされていない。最寄もよりのバス停留所ていりゅうじょは「伊草いぐさ小学校しょうがっこうまえ」もしくは「伊草いぐさ坂下さかした」バス停留所ていりゅうじょとなる[4]

ふるくからの水害すいがいつねかさね地帯ちたいであり、はしは抜水きょうであるため洪水こうずいでも通行つうこう可能かのうだが、1982ねん昭和しょうわ57ねん)の台風たいふう18ごう[5]2019ねんれい元年がんねん)の台風たいふう19ごう[6]などによるだい水害すいがいさい右岸うがんがわ一帯いったいみずうみのようになり、西にしつめ道路どうろ冠水かんすいして通行止つうこうどめとなる場合ばあいがある[7]

歴史れきし

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道場どうじょうわた

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明治めいじ時代じだい初期しょきごろにはこの場所ばしょはしけられず、いつから存在そんざいしていたかはさだかではないが[注釈ちゅうしゃく 1]江戸えど時代じだいより「道場どうじょうわたし」としょうされる渡船場とせんばもうけられていて入間いるまぐん横沼よこぬまむら比企ひきぐん上伊草かみいぐさむらむすんでいた[7][8][9]。『武蔵むさしこく郡村こおりむら横沼よこぬまむらこうによると、ふね1そうゆうするわたしわたりしるされている。渡船とせんりょう周辺しゅうへん渡船場とせんばよりたかめでかなりのがくがかかったと[7]渡船場とせんばの「道場どうじょう」の由来ゆらいは、幕末ばくまつころ横沼よこぬまむら大川おおかわたいら兵衛ひょうえ大川おおかわ道場どうじょう門弟もんていやく3000にん)が近傍きんぼうにあり[7]門人もんじんたちが信玄袋しんげんぶくろ竹刀しないかついでわた往来おうらいしていた様子ようす[3]大川おおかわ川越かわごえとおりまち道場どうじょう出稽古でげいこさい利用りようしたことから、いつしか「道場どうじょうわたし」とばれるようになったといいつたえられている[7]渡船場とせんば門人もんじんだけではなく、住吉すみよし神社じんじゃ潮音寺ちょうおんじなど周辺しゅうへん寺社じしゃ参拝さんぱい利用りようすくなくなかった[7]。 なお、明治めいじ時代じだい初期しょき迅速じんそくはかでははししるされていないが、明治めいじ40ねん測量そくりょうの5まんぶんの1地形ちけい[注釈ちゅうしゃく 2]でははし記号きごうしるされ、形式けいしき不明ふめいだがそのころからなんらかのはし存在そんざいしていたことが見出みだせる。 渡船場とせんばはし架設かせつ廃止はいしされ、渡船場とせんばあとにはけやき老木ろうぼくがある[7]わたいたみちりょうきしがわとものこされている[7][注釈ちゅうしゃく 3]

大正たいしょうはし

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大正たいしょう初期しょきごろ川上かわかみの「天神てんじんわたし」にはしげん天神橋てんじんばし)がけられたため、道場どうじょうわたしにもはしける風潮ふうちょうたかまり[7]伊草いぐさむらほか周辺しゅうへんむら代表だいひょうしゃらが募金ぼきんあつめをおこなった[7]募金ぼきん順調じゅんちょうあつまり、木橋もくきょう道場どうじょうきょう架設かせつされ、渡船とせん廃止はいしされた[8]丸太まるた)のくい橋脚きょうきゃく根太ねぶとりょう)をわたしてそのうえわたいたならべたはしである[7]洪水こうずいふねとおすため、中央ちゅうおうよりりょうきしにそれぞれはずれる構造こうぞうで、はしもりがいて開閉かいへいおこなっていた。橋銭はしせん通行つうこうりょう)を徴収ちょうしゅうするちんはしで、橋銭はしせんはおとな5せん、こどもやく3せんであった[7]はしめい渡船場とせんば名前なまえ踏襲とうしゅうされた[3]現行げんこうはしやく200メートル上流じょうりゅうがわ[注釈ちゅうしゃく 4]にあり[8]かわ蛇行だこうかえしていた。はしはずれていてわたれないときはりょうきしよりロープをり、川下かわしもながされないようにそれをつたってわたる「イタミ」とばれるふね臨時りんじ運行うんこうしていた。まとまった人数にんずうるまではふねさなかったという[7]

1953ねんはし

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越辺川おっぺがわ河川かせん改修かいしゅう蛇行だこうしていたりゅうをショートカットするとし水路すいろあらたに開削かいさくされ、架橋かきょう地点ちてんであるいままでのながれははいがわされたため、下流かりゅうがわかわどうじょうはしなおされることになり、1953ねん昭和しょうわ28ねん)に木製もくせい冠水かんすいきょう架設かせつされた[10][注釈ちゅうしゃく 5]架橋かきょう同時どうじはし県道けんどう編入へんにゅうされている。はしちょう66メートル、幅員ふくいん3.2メートル[11]てい水路すいろのみにけられていた。はしには流木りゅうぼくけや欄干らんかんもうけられ、橋詰はしづめにはおやばしら設置せっちされていた[10]道幅みちはばせまいことから片側かたがわ交互こうご通行つうこうであった。 架設かせつ当時とうじ三芳みよし野村のむら伊草いぐさむらむすはしであったが、所謂いわゆる昭和しょうわだい合併がっぺいにより1954ねん昭和しょうわ29ねん)7がつ1にち三芳みよし野村のむら坂戸さかどまちに、同年どうねん11がつ3にち伊草いぐさむら川島かわじまむらにそれぞれ発足ほっそくした。

このはし水害すいがい度々たびたび破損はそんし、1971ねん昭和しょうわ46ねん)の台風たいふう23ごうによる洪水こうずい流失りゅうしつした[10]復旧ふっきゅう工事こうじ冬場ふゆば渇水かっすいっておこなわれ、どう形式けいしきはしなおされ、翌年よくねん3がつ完了かんりょうした[10]

1981ねんはし

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冠水かんすいきょう老朽ろうきゅうともない、永久えいきゅうきょうへの事業じぎょう着手ちゃくしゅされ、1973ねん昭和しょうわ48ねんより現地げんち測量そくりょうおこなわれた[3]1977ねん昭和しょうわ52ねん)より架設かせつ工事こうじ着手ちゃくしゅされ[10]きゅうはしのすぐ川上かわかみがわ位置いち架設かせつされることとなった。下部かぶこうぎゃくTしき鋼管こうかんくい基礎きそ橋脚きょうきゃくぎゃくTしき鋼管こうかんくい基礎きそ橋台きょうだいわせており、ささえうけたまわはゴムくつ使用しようされている[2]橋脚きょうきゃくたかさはてい水路すいろで15.1メートルである。上部じょうぶこうけただかは2.6メートルで、3みちあいだ連続れんぞくばこけたと4みちあいだ連続れんぞくばこけたわせている[2]上部じょうぶこう施工しこうはオリエンタルコンクリート(げんオリエンタル白石はくせき)がおこない[11]架設かせつ工法こうほうとして当時とうじとしてはめずらしい工法こうほうもちいて建設けんせつされた[2]そう工費こうひは13おく4300まんえんであった[10]

はし1981ねん昭和しょうわ56ねん)3がつ完成かんせい[注釈ちゅうしゃく 6]同年どうねん3がつ27にち開通かいつうした[3][12]完工かんこう祝賀しゅくがしき開通かいつう式典しきてん)は同日どうじつ10挙行きょこうされ、りょう市町しちょう首長しゅちょう関係かんけいしゃ出席しゅっせきした。式典しきてんのち、くすだまひらき披やさん世代せだい家族かぞくによるわたおこなわれた[3][10]はし同日どうじつ午後ごごより一般いっぱん供用きょうよう開始かいしされた[3]きゅうはし撤去てっきょされたが、堤防ていぼう沿ったクランクじょう線形せんけい取付とりつけ道路どうろりょうきしがわともにのこされている。

周辺しゅうへん

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右岸うがんがわ取付とりつけ道路どうろ

はし右岸うがんがわ水田すいでん地帯ちたいとなっており、民家みんかなどは皆無かいむである。左岸さがんがわ越辺川おっぺがわつくした自然しぜん堤防ていぼうかわ沿いにあり、そのうえ川越かわごえ松山まつやま往還おうかんとおり、伊草いぐさ宿やど由来ゆらいふるくからの集落しゅうらくがあり、民家みんかなどがなら[13]高水たかみずじき河川敷かせんしき)は一部いちぶ運動うんどうじょう農地のうちとして使用しようされている以外いがい地図ちず記号きごうから広葉樹こうようじゅ河畔かはんりん荒地あれちとなっている[注釈ちゅうしゃく 2]道場どうじょうきょう西方せいほう1.5キロの台地だいちじょうに「道場どうじょう」の由来ゆらいとなる大川平おおかわだい兵衛ひょうえ大川おおかわ道場どうじょうあと大川おおかわ平三郎へいさぶろうおう記念きねん公園こうえん)がある。道場どうじょうきょうたもと右岸うがん下流かりゅうがわ堤防ていぼう1961ねん昭和しょうわ36ねん)に大川おおかわつつみ遺跡いせき記念きねんてられた[14][8]

  • 川島かわしま町立ちょうりつ伊草いぐさ小学校しょうがっこう
  • 川島かわしま町立ちょうりつ伊草いぐさ公民館こうみんかん
  • 笛木ふえき醤油じょうゆきむふえしょうゆパーク)
  • さくら保育園ほいくえん
  • 埼玉さいたまけん信用金庫しんようきんこ 川島かわしま支店してん
  • 上伊草かみいぐさ公園こうえん
  • かねじょういん
  • 長福寺ちょうふくじ
  • 大聖寺だいしょうじ
  • 伊草いぐさ神社じんじゃ
  • 昭和しょうわといかん河川かせん施設しせつ

となりはし

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上流じょうりゅう) - 八幡橋はちまんばし - 越辺川おっぺがわきょう - 道場どうじょうきょう - 落合おちあいきょう - 釘無くぎなしきょう - (下流かりゅう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 後述こうじゅつする道場どうじょうがよいの経緯けいいから、幕末ばくまつまでには確実かくじつ存在そんざいしていたとかんがえられる。
  2. ^ a b 外部がいぶリンクぶしの『今昔こんじゃくマップ』も参照さんしょう
  3. ^ 一部いちぶかわどうきゅうかわどうはさまれた場所ばしょ)が経年けいねんにより自然しぜんかえりつつあり、不明瞭ふめいりょうなものとなっている。
  4. ^ 資料しりょうによってはやく100メートルとも[7]
  5. ^ 土木どぼく学会がっかい図書館としょかんの『橋梁きょうりょう年表ねんぴょう』では開通かいつう年月日ねんがっぴが1952ねん[11]となっている。
  6. ^ 坂戸さかどがわおやばしらに「昭和しょうわ56ねん3がつ完成かんせい」ときざまれたはしめいいた設置せっちされている。

出典しゅってん

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  1. ^ 荒川あらかわ上流じょうりゅう河川かせん維持いじ管理かんり計画けいかく国土こくど交通こうつう大臣だいじん管理かんり区間くかんへん”. 国土こくど交通省こうつうしょう関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 荒川あらかわ上流じょうりゅう河川かせん事務所じむしょ. p. 107. 2022ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e にじきょう No.31 35ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g 昭和しょうわ56ねん3がつ28にち埼玉さいたま新聞しんぶん 7ぺーじ
  4. ^ 東武とうぶバスウェスト 川越かわごえ営業えいぎょう事務所じむしょ坂戸さかど営業えいぎょうしょ管内かんないバス路線ろせん - 東武とうぶバス(2022ねん4がつ1にち). 2022ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ 荒川あらかわだい洪水こうずい昭和しょうわ30年代ねんだい-平成へいせい)-カスリーン台風たいふう以降いこう洪水こうずい-” (PDF). 国土こくど交通省こうつうしょう 関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 荒川あらかわ調節ちょうせつ工事こうじ事務所じむしょ. 2022ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ れい元年がんねん10がつ11にちからの台風たいふうだい19ごうによる出水しゅっすいじょうきょうとうについて” (PDF). 国土こくど交通省こうつうしょう 関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 荒川あらかわ上流じょうりゅう河川かせん事務所じむしょ (2019ねん10がつ11にち). 2022ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 歴史れきしみち調査ちょうさ報告ほうこくしょだいきゅうしゅう 入間川いりまがわ水運すいうん 40-41ぺーじ
  8. ^ a b c d 越辺川おっぺがわ - 道場どうじょうきょうから落合おちあいきょう - 有限ゆうげん会社かいしゃフカダソフト.2022ねん5がつ22にち閲覧えつらん
  9. ^ むかしはしいまきている 市内しない探訪たんぼう」『図書館としょかんだより』だい198ごう坂戸さかど図書館としょかん、2020ねん4がつ24にち、1-2ぺーじ 
  10. ^ a b c d e f g 川島かわじままち 地誌ちしへん 341ぺーじ
  11. ^ a b c 道場どうじょうきょう1952- - 土木どぼく学会がっかい附属ふぞく土木どぼく図書館としょかん橋梁きょうりょう年表ねんぴょう2022ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  12. ^ 坂戸さかど 総合そうごう政策せいさく 情報じょうほう政策せいさく: “統計とうけい坂戸さかどれいもと年度ねんどばん” (PDF). 坂戸さかど. p. 230 (2021ねん3がつ). 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  13. ^ 川島かわじままち 地誌ちしへん 380-381ぺーじ
  14. ^ 荒川あらかわにまつわる石碑せきひ -荒川あらかわひと共存きょうぞんしてきた歴史れきしかた-” (PDF). 国土こくど交通省こうつうしょう 関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 荒川あらかわ調節ちょうせつ工事こうじ事務所じむしょ. 2022ねん5がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 川島かわじままち川島かわじままち 地誌ちしへん川島かわじままち、2004ねん3がつ25にち、338-339ぺーじ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20585132 
  • 広報こうほう委員いいんかいへん)「はしめぐりにしひがし -埼玉さいたまけんまき-」『にじきょうだい31ごう日本橋にほんばしはり建設けんせつ協会きょうかい、1984ねん8がつ、27-45ぺーじ 
  • 埼玉さいたま県立けんりつさきたま資料しりょうかん歴史れきしみち調査ちょうさ報告ほうこくしょだいきゅうしゅう 入間川いりまがわ水運すいうん埼玉さいたまけん政情せいじょうほう資料しりょうしつ、1988ねん4がつ、40-41ぺーじ 
  • “「道場どうじょうきょう」のわたはちねんぶり、待望たいぼう祝賀しゅくがしき 坂戸さかど”. 埼玉さいたま新聞しんぶん (埼玉新聞社さいたましんぶんしゃ): p. 7. (1981ねん3がつ28にち) 

外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3558ふん6.16びょう 東経とうけい13927ふん37.16びょう / 北緯ほくい35.9683778 東経とうけい139.4603222 / 35.9683778; 139.4603222