野分のわけ (小説しょうせつ)

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野分のわけ』(のわき)は、夏目なつめ漱石そうせきによってかれた中編ちゅうへん小説しょうせつ雑誌ざっしホトトギス』に1907ねん明治めいじ40ねん)に掲載けいさいされた。この中編ちゅうへん小説しょうせつかれた1907ねん著者ちょしゃにとって転機てんきである。夏目なつめ漱石そうせきはそのとし東京大学とうきょうだいがく講師こうししょくめることをおおやけ発表はっぴょうし、正規せいきに『朝日新聞あさひしんぶん』へ投稿とうこうするようになったとしである。おなねんに『虞美人草ぐびじんそう』も連載れんさいした。

あらすじ[編集へんしゅう]

野分のわけ」は3にん作家さっかにまつわる物語ものがたりである。結核けっかくちである高柳たかやなぎとお洒落しゃれ中野なかのわかく、学生がくせい時代じだいからおたがちか関係かんけいで、成功せいこう夢見ゆめみ努力どりょくしている大学院生だいがくいんせいである。3にんのうちいちばん年上としうえ道也みちや先生せんせい故郷こきょう教職きょうしょくいていたが、富豪ふごう権力けんりょくしゃへの無礼ぶれい態度たいど原因げんいんで、村人むらびと生徒せいとによってそのしょくわれることになった。現在げんざい東京とうきょう編集へんしゅうしゃおよ作家さっかとしての仕事しごとたずさわり、なんとか生計せいけいてている。かれつまはそのことにおどろきをかくせないようである。にちちゅう雑誌ざっし編集へんしゅうしゃで、いずれ「人格じんかくろん」という真剣しんけん作品さくひん完成かんせいさせ出版しゅっぱんすることを切望せつぼうしている。偶然ぐうぜんにも、100えん当時とうじでは1ヶ月かげつぶん給料きゅうりょう相当そうとう)をめぐって3にん出会であうことになる。中野なかのから高柳たかやなぎおくられた病気びょうき療養りょうようのための海岸かいがん沿温泉おんせん作品さくひんることでまかなわれた道也みちや先生せんせい借金しゃっきん高柳たかやなぎ自己じこ犠牲ぎせい償還しょうかん

批評ひひょう[編集へんしゅう]

主題しゅだいてきに「野分のわけ」は、前作ぜんさく短編たんぺん小説しょうせつひゃくじゅうにち[1]およ男性だんせい社会しゃかい成功せいこうできないわか女性じょせい悲劇ひげきはげしくメロドラマてきえがかれた「虞美人草ぐびじんそう」とつながっている。「ひゃくじゅうにち」と「虞美人草ぐびじんそう」は山登やまのぼりをするおとこ2にん哲学てつがくてき討論とうろんはいむところからはじまる。「野分のわけ」は道也みちや先生せんせいがある地区ちく学校がっこう講義こうぎをしているところからはじまる。「野分のわけ」と「虞美人草ぐびじんそう」は夏目なつめ漱石そうせき作品さくひんなかでも教訓きょうくんてきであり、一般人いっぱんじん批評ひひょうから賞賛しょうさんされている。

野分のわけ」はもり鷗外短編たんぺん小説しょうせつ青年せいねん」と共通きょうつうした部分ぶぶんがある。「青年せいねん」では夏目なつめ漱石そうせきをモデルにした平田ひらた拊石という登場とうじょう人物じんぶつがおり、文学ぶんがく知的ちてき生活せいかつについて講義こうぎをしている。

帝国ていこく文学ぶんがく明治めいじ38ねんせられた「倫敦ろんどんとう[2]はじめのページで紹介しょうかいされたように、漱石そうせき退化たいかろんふたたもどることになった。「野分のわけ」では、結核けっかくによってむしばまれていく高柳たかやなぎが、かれちち過去かこおかしたつみ病気びょうきいでいるのとおなじようにがれているのではないかとかんがえている。夏目なつめ漱石そうせきによる道也みちや先生せんせいえがかたイプセンの『民衆みんしゅうてき』にっているところがおおきい。道也みちや理想りそう権威けんいたいして真実しんじつくちにしようとするところから「民衆みんしゅうてき」とばれるイプセンのストックマン医師いしている。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]