点頭てんとうろく

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点頭てんとうろく
作者さくしゃ 夏目なつめ漱石そうせき
くに 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 随筆ずいひつ
発表はっぴょう形態けいたい 新聞しんぶん掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ朝日新聞あさひしんぶん
1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつ1にち-1がつ21にち
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点頭てんとうろく』(てんとうろく)は、夏目なつめ漱石そうせき随筆ずいひつである。1916ねん大正たいしょう5ねん、このとしの12月漱石そうせきぼっする)1がつ1にちから21にちまで9かい、『朝日新聞あさひしんぶん』に連載れんさいされたのち漱石そうせき健康けんこう悪化あっかにより中断ちゅうだんされた。

内容ないよう[編集へんしゅう]

「また正月しょうがつた。かえると過去かこまるゆめのようにえる。何時いつに斯う年令ねんれいったものか不思議ふしぎくらいである。」からはじめられる。61さいになってはじめてみちこころざした禅僧ぜんそうちょうしゅう和尚おしょうはなしき、「寿命じゅみょう自分じぶんきわめるものでないから、もとより予測よそく出来できない。自分じぶん多病たびょうだけれども、ちょうしゅうはつ発心ほっしんときよりもまだじゅうねんわかい。たとひひゃくじゅうまできないにしても、ちからつづあいだ努力どりょくすればまだすこしはなに出来できようおもふ。」と前置まえおきされる。

4かいにわたって、だいいち世界せかい大戦たいせんたいする感想かんそうべられ、軍国ぐんこく主義しゅぎのドイツに対抗たいこうするのに、イギリスのように個人こじん自由じゆうおもんずるくにが、強制きょうせい徴兵ちょうへいあん議会ぎかい提出ていしゅつし、それが多数たすう可決かけつされてイギリスがわらなければならなかったことがべられる。フランスの自由じゆう主義しゅぎ哲学てつがくしゃパラント文章ぶんしょう要約ようやく紹介しょうかいされる。「手段しゅだん目的もくてき以下いかのものである。目的もくてきよりも低級ていきゅうなものである。人間にんげん目的もくてき平和へいわにあらうとも、芸術げいじゅつにあらうとも、信仰しんこうにあらうとも、知識ちしきにあらうとも、それをいま批判ひはんする余裕よゆうはないが、とにかく戦争せんそう手段しゅだんである以上いじょう人間にんげん目的もくてきでない以上いじょう、それになりこう実力じつりょく付与ふよする軍国ぐんこく主義しゅぎなるものもまたけっして活力かつりょく評価ひょうかひょううえおいて、けっして上位じょういうらないむべきものでないことかである。自分じぶん独逸どいつによつて今日きょうまで鼓吹こすいされた軍国ぐんこくてき精神せいしんが、其敵こくたるえいふつ多大ただい影響えいきょうあずかへたごとゆうみとめると同時どうじに、此時代じだい錯誤さくごてき精神せいしんが、自由じゆう平和へいわあいする彼等かれら多大ただい影響えいきょうあずかへたごとかなしむものである。」とべられる。

つぎの4かいは「国家こっかちからなり」として、ドイツの統一とういつ政策せいさく支持しじした愛国あいこくてき歴史れきしハインリヒ・フォン・トライチュケについてべられる。ドイツ統一とういつがなされたのちも、「ぜん世界せかい健全けんぜんにするはどくおつ事業じぎょうなり」とし「どくおつ全欧ぜんおうのみならず、ぜん世界せかい征服せいふくするまで、此軍こく主義しゅぎ国家こっか主義しゅぎとおせきだつたかもれない。しかしながら、我々われわれ人類じんるいことごとどくおつ征服せいふくされたとき我々われわれは其報酬ほうしゅうとしてどくおつからはたしてなに給与きゅうよされるのだらう。どくおつもトライチケもまづ其所から説明せつめいしてかゝらなければならない。」とべたかいまでで中断ちゅうだんされた。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]